出会った時から探していた。
傷つき、死の淵を彷徨っていた女は、眼前で姿を変えた。その日から、自分はただの珠魅ではなくなった。護るべき相手を得た護り人、姫を護る騎士となった。欠片たりとも戦う術を持たない、白真珠の少女へと降り掛かる危害を滅し、何も知らない彼女に忍び寄る遺恨を祓ってきた。
前身、黒真珠だった頃の後遺症か、彷徨癖のある彼女をしばしば探さねばならない。一旦何処かへ消えてしまうと容易には戻ってこない為だ。所謂方向音痴の色も濃く、帰る気はあるらしいのだが時間が経つ程に遠ざかり、歩けば歩くだけ離れていってしまう、ならば、と考える。探すのをやめたらどうなるのだろう。
探し回るのに疲れた訳ではない。辟易としたものもない。ただ、出会ってからずっと追い続けてきた、その真珠姫を探さずにいたらどんな未来が待っているのかと思うだけだ。彼女は自分を忘れてしまうだろうか、新しい別の騎士を見つけて悠久に近い時を過ごすだろうか。或いはその方が望ましいかもしれない、彼女にとっては幸福なのかもしれない。
自分は弱い。あまりに非力すぎて、たった独りの「姫」を護り切れもしない。事実護れはしなかった、自分だけでは彼女を苛酷な運命の輪から救い出せなかった。あの時、あの男があの涙をあんな風に流さなければ真珠姫の、またレディパールの核が変容していた可能性は否定できない。少なくとも傍らに留まっていることはできなかっただろう、そう考えている時、決まって当の男は真っ直ぐな瞳を向けてくる。一度だが本音をこぼしてしまった所為だ。ドミナの街外れ、木陰に腰を下ろしている瑠璃へと歩み寄ってきた。黙って隣に座ったその姿をわざわざ返り見ずとも、表情は手に取るように脳裏へと浮かべられる。
「翠(すい)か」
静かな呼気以外、全く発しようとしない彼の名を、視線は前へと向けたままで口ずさむ。
「うん」
応えもやはり一言だけだ。
「お姫様が泣いてしまうよ」
言葉面は軽い様子だが、揶揄の意図など翠に微塵もないことは判っている。瑠璃の剣は鞘から抜かれず、目尻の位置も動くことはない。
「ああ」
「変に考えないで戻ってあげなよ」
「俺は変なのか」
翠は答えず、おそらく微笑んでいるのだろう。尋ねておきながらも自分がおかしいとの自覚はあり、その意味で口にしたばかりの科白は、相槌を求めたものとも言えた。
「俺は何も言っていないよ」
「いつもお前は何も言わんだろうが」
見遣れば、翠は瞳を細めこちらを見ている。瑠璃の眼差しに気付いたらしい後も、表情は変わらない。また文句をぶつけかけたところで、棘などない声が掛けられる。
「気分転換に、飯でもどう?」
瑠璃は眉を顰める。必ずしも食事からの栄養を求めない珠魅の性質は、目の前の彼も知っている筈だ。食べ物を全く受け付けないのではないが、摂取しなければ生きてゆけない訳でもない。翠は悪びれた風も見せず、しかし空とぼけたつもりもないようである。
「無理して食べろっていうんじゃないよ」
楽しげに笑い、言う。
「一緒にテーブルに付いてくれれば」
「どういう意味だ?」
「ただの口実」
明朗な口調で言い切ると、翠はその場に立ち上がる。吊られるように腰を上げた瑠璃へと、二度、三度と手招きをしてみせた。
「美味しいもの作って待ってるからさ」
「お前が料理か?」
「俺じゃないよ、バドとコロナ」
翠と同居しているらしい、魔法使いの幼い姉弟を瑠璃は思い出す。何度か訪れたマイホームで食事を作り掃除をし、サボテンの棘を折っては楽しそうに駆け回っていた。
「コロナが呼びに行ってると思うよ」
「呼びに? 何の話だ?」
唐突との程ではなかったがそれでも、思考を遮られる恰好になった為自然と眉間が狭まる。心持ち雑な足取りながら、隣に並んできた瑠璃を認めると翠は再び歩き出す。
「真珠を呼びに行って貰ったんだ」
告白しながら、笑みを開かせた。裏の意味など少しも感じさせない、随分と記憶のある面差しには発した激昂も口を閉ざし押し込んでしまうより他ない。馴れ馴れしすぎない親しげな色を帯びた瞳は、瑠璃と、そして真珠を目の前にした時いつしか見せるようになったものと同じである。
「相談なく勝手に決めたのか」
「言って聞く人じゃないだろ」
さりげなく出された科白に、そうでもない、と瑠璃は何の気なしに思う。以前なら当たっていたかもしれない、ほぼ唯一ともできる仲間だった真珠にすら想いをただ押し付けていた。感情のままをぶつけるばかりで、あの頃の彼女を思い起こそうとすると俯きがちの姿しか浮かばない。今もそうは変わっていない、しかし彼女は時折は空を見つめ、自分の方はと言えば意思表示を抑える方法を多少は身に付けた。
おそらく全ては彼の所為なのだろう。怒りも笑顔も涙もその声も何もかも、他の誰かの為に表す男に出会ったからに違いない、すぐ脇を歩く本人は見ずに瑠璃は、今までに何度か辿り着いた答えへと考えを巡らせる。一生教える気などなく、性格上口にできるとも思わないが珠魅が生き残れた、いや生き返ることが叶ったのも今の自分と真珠が存在するのも彼が重要な一因を担っている。
世界上の誰一人として知らないが、珠魅たちに限れば一人として欠けず知っている事実だ。足はそのまま迷いも脇道もなくマイホームへと進み、近付けば近付く程に片割れの気配は如実に感じ取れ出す。やがて探す必要もなく視界の遠くに見えてきた純白の煌めきは、自分を自責の、また孤独の迷宮のさなか、天上から照らす光のようだ。知らず歩調が緩まる中、背中越しに浮かべられた翠の笑みを永劫に知ることはできない。代わりに嬉しげに自分を呼ぶ声を紡いだ、薔薇色の唇を見た。
|