風が見える。
天上から差す陽光で程良く湿気を奪われた空気は、その暖かさと相まって爽やかさを醸し出している。昼下がりを過ぎた辺りに至れば心地よさは強い浸透力を身に付け、居る者を拒みにくい安穏や眠りへと誘う。屋根や壁などといった遮断物のない屋外であれば尚のこと影響は大きく、城前の広場や中庭、テラスに人々の姿は尽きず、溢れる。
日々真面目に仕事をこなしているつもりでも、同盟軍の拡大に伴い雑務や書類決裁、習得せねばならない知識は増えざるを得ない。自然執務室に籠もりがちとなるユエリーに向かい、テラスに行くようにと教育係も兼ねるシュウが言ったのは息を休めさせる為か、あるいは周囲と交流を持てということだったか。三階へと下り、廊下の途中に並んだアーチの一つをくぐる。声を掛けてきたウィングホードの少女に明るく返し、視界の右隅にある影を捉える。会釈を投げてくる皆に挨拶をしつつ、陽気からは何処か外れた雰囲気へと歩み寄る。
影から伸びた腕に、鳩が留まる。広げた羽根を収め、丸い胸を仰け反らせて鳴く。くるっくー、くるっく。黒い瞳がユエリーを見、更に円らにしたそれで真っ直ぐに見つめてきた。
「来てたのか」
鳩を肘に乗せたまま、レイラは振り返る。
「少し休憩してこいって言われて」
「大変だな」
「レイラさんは息抜きですか?ここで」
「そんなものだ」
何の変哲もない会話の途中でも、幾羽かの鳩が飛んできては二人の足許に群がる。特に規則性もなく歩き回る様子は餌の後を追っているようでもあるが、しかしパンくずがばら撒かれている風もない。再び空へと遣られたレイラの横顔を見ているうち、安らぎの場所に溶け込むかのその穏やかさに知らずユエリーは息を詰めた。先程そぐわなさに気を引かれたのがまるで嘘のように思える。でなければ遠い昔か。
周りの音ももはや朧気にしか届かない。とぼけた鳩の声だけが聞こえ、浮かんだ笑みも誰かに向けられるものではなく、無理に作り上げたものでもない。皆を勇気付ける為の、軍主として、リーダーとしてのいつもの面差しと異なっていることに、自身で気付くことは叶わない。
「懐いてるんですね」
話し掛けた言葉にか、沈黙の唐突さにか。レイラはその一瞬怪訝そうにする。
「ああ……鳩か」
ややあって初めて思いが至ったかのように呟き、そして頷く。
「鳩、好きなんですか?」
「嫌いでもないけど」
「でも好かれてますよね、すごく」
感じたままを口にしながら、ユエリーはぼんやりと思い起こす。鳥や蝶、リスや鹿などの野生の動物に慕われる人は心が美しく、澄み切っているらしい。ジョウイに見せて貰った本の一節に、そんな記述があった記憶がある。野にある動物たちは、自分を捕まえるのではないかと人間を警戒している。だから彼らに愛して貰えるのは、人間の身勝手さに汚されていない証拠なのだろう。そんな夢のような人物に憧れながら、ナナミと三人で読んでいた。
今目の前の彼は、何の苦もなく鳩に懐かれている。餌や玩具といった、関心を得る為のものなど与えていないにも関わらず、白や薄灰色の鳥たちは群がり、愛情を一身に表している。しかしユエリーの胸に広がるのは、今まで見たことのない情景に対する驚きではなく、むしろ再認識に近い。右手の紋章から発される災いを抑える為他との交わりを断とうとしても、否応なしに優しさ、慈愛は醸し出され、感じ取れる。
小さな羽音がふと聞こえ、右肩に感触を覚えた。再び投げ掛けられた闇色の瞳が僅かに細められる。
「君も好かれているみたいだな」
ぴ。
ユエリーより先に短い声が応える。首を動かし辛うじて視界に入った肩では、茶色の小鳥が留まり、羽根を休めているのが見える。視線に気付いたのか顔を見上げてくると、もう一度鳴いた。
「あれ、おかしいな」
頼ってくれている筈の皆に対し、自らを偽り、かと思えば無理矢理信用を押し付け手の届く場所に留めさせているような、利己的で欲望の塊のような人間に、懐いている鳥がいる。先程考えを巡らせたばかりの考えと自分を無意識に比べ、眉を顰めるユエリーを、レイラは黙って見ている。とある瞬間腕から飛び立った鳩を眺めることもない。
ユエリーはレイラを見た。向けられている眼差しに気付き、顰めていた相好を崩す。手前勝手を知りながら、こうして嫌いもせず蔑みもせず、共にいてくれる人がいる。汚れた自分でも構わないのだと、傍らで微笑んでくれる彼に今、疑問を抱くことすら無意味だろう。見つめ合うでもなく視線を合わせる中、ユエリーの肩の上、小鳥は小刻みな動きで羽繕いをしている。軽く羽根を広げた後で再び閉じ、さほど長くない尾羽を前後に揺らした。
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