「夕陽の記憶」





 勢いよく、水しぶきがあがった。
 きゃあっと悲鳴をあげたリーザが、スカートをひるがえし笑いながら逃げていく。わざと足を大きく蹴り上げて、エルクがまた水しぶきを飛ばした。すでに彼はシャツから何から全部脱ぎ捨てて、ズボン一枚になっていた。
 「エルクったら! びしょぬれになっちゃう!」
 息をきらして波打ち際をリーザが逃げ回り、それをエルクが追いかける。まわりをぐるぐる駆け回るパンディットがうれしそうに吠え、それが二人の笑い声にかさなって、夕暮れ近い砂浜に響いた。
 「若いものは元気じゃのう」
 ほっほっと笑ったゴーゲンに、徳利で酒をぐい飲みしていたトッシュが、け、と吐き捨てるような音をたてた。
 「戦い済んで日が暮れて、こちとらぐったり疲れてるってのによ。この上楽しく水遊び三昧できるってんだから、お子さまの体力って奴は底無しだぜ」
 「年なんか、関係ないと思うけどなあ」
 村人からもらったパンをむしゃむしゃと食べながら、ポコが口をはさんだ。パンと言ってもこのあたりの島で作られるものは、イモやトウキビをつぶして粉にしたあと、水で十分に練り上げて、釜で平たく焼いたもののことをいうのだ。いつも食べるものとは違っていても、それは香ばしくてかすかに甘みがあり、ぱりぱりとした歯ごたえがあった。ポコはもうそれを何枚もたいらげているのだ。
 「ここんとこ、ずっと戦い続きだったもんね。おまけに最後の二日間は、ほとんど飲まず食わず寝ずで走りまわってたし。僕だってもう、走り回る元気なんか残ってないよ」
 「……それだけ食べる元気が残っていれば十分だと思うけど」
 ためいきまじりにシャンテが言い、水辺ではしゃぐ少年と少女に目を移し苦笑した。
 「十四と十五か。いいわよね。あたしもあれくらいの年の頃は、あんな風に走れたのかしら」
 「よせやい、そういう言い方は」
 苦い顔で、トッシュが文句を言った。
 「なんか俺まで、えらく年をとっちまったような気がするじゃねえか」
 ちぇっと舌打ちして、また徳利を傾ける。中に入っているのは村人に分けてもらった、この島特産のトウキビから作る酒だ。濃い茶色をしていて、ねっとりとしてコクがあるそれは、かなりアルコール度の高い酒であるらしく、日に焼けたトッシュの目元はすでにぼんやりと赤らんでいる。
 「どうだい。お前もいくか?」
 腕組みをしたままかたわらに立っているシュウに、トッシュは徳利を掲げて見せた。無口な男は、ちらりと視線を向けたが、黙ったまま首を振った。
 「愛想がねえな、相変わらず」
 つまらなそうに口をひんまげたトッシュが、皆から少し離れたところに座っているアークを見つけ、一瞬、気掛かりそうに目を細めた。彼らのリーダーを務める少年は、いまだ武装も解かず、無意識のように片手で砂をもてあそびながら、ぼんやりとした顔で夕方の海を見つめている。
 ポコやゴーゲンと目配せした赤毛の剣士は、ことさらに明るい調子で声をかけた。
 「よし、そんじゃアーク、お前はどうだ?」
 アークが、え、とおぼつかなげに顔を向けた。いっとき、何を言われたか理解できなかったらしい。
 「俺は――――いや、俺もいい」
 首をふって、ぎこちなく笑顔を作る。トッシュはことさらに、子供のように口をとがらせて見せた。
 「なんでえ、付き合いが悪いじゃねえか。酒と言えば一升でも飲み干せるお前が遠慮するなんざ、らしくねえぜ」
 「……後でもらうよ」
 かすれた声で、答えた。へ、とトッシュが鼻を鳴らす。
 「酒を残すなんてえ罰当たりな真似を、この俺さまがするとでも思ってんのかよ。見損なうんじゃねえや。後で欲しいなんて言っても、わけてやんねえからな、覚えとけよ」
 ぶつぶつと文句をつきつつ、また徳利をあおる。かすかに微笑したアークは、鎧をきしませながら立ち上がった。
 「――――少し、歩いてくる」
 妙に平板な声で、そう言った。
 「しばらくしたら戻るから、皆は俺を待たずに、先に休んでいてくれ」
 おう、とトッシュが、徳利をふりあげて答える。笑みを返してアークは、昼間の熱のまだ残る砂浜を、ひっそりと歩きはじめた。





 空を行く海鳥の声と、波の音。
 白い砂浜を、アークはうつむいたまま歩き続けた。打ち寄せる波が、彼の後を追うように点々と残された足跡を、静かに洗っては消していく。湿り気の多い潮風が髪をなぶり、連日の戦いで少しそげた頬を、朱色の夕陽が照らしていた。
 足を止め、アークは海を見た。
 金色に輝く雲を従えて、太陽がゆっくりと沈んでいく。
 足元に静かに打ち寄せ、再び海に帰っていく波。鉛色の海面に浮かぶ、金と朱色の豪奢な光の道。
 この道はどこに続いているのだろうと、そんな埒もないことが頭に浮かんだ。
 空虚な気持ちのまま、アークは夕陽を凝視した。
 たぶん人は、この光景を美しいと感じるのだろう。
 だが、彼の心には、何の感慨も浮かんでこなかった。輝くものがそこにある、ただ、それだけだ。
 はじめて海を見たときは、こんなではなかった――――と思う。あれは、スメリア王の命を受けてミルマーナに旅だったときのこと。シルバーノアの舷窓から、ポコとククルと三人で、波頭きらめく海を見た。青と白のコントラストがこんなにもきれいなものだとは、あの日まで思いもしなかった。
 だが、今は……。
 水平線近くにかかる雲の合間から、夕陽が挑戦的に光を放つ。水面は藍色から黒へと、空は茜色から紫色へと変わりつつあり、それが多くの人にとって、心揺さぶられる光景なのだということは理解できた。
 だが、俺は、夕日があまり好きじゃない。だから、きれいだとは思えない。
 ことに、海に落ちる夕日をアークは嫌っていた。それはアークにあの日のこと、聖櫃が奪われてトウヴィルが結界に包まれた日のことを思い出させるのだ。旅の果てに、ようやくたどりついた洞窟の奥――――ひっそりと静まり返った空間に置かれていた、聖櫃。
 洞窟を出たところで捕らえられ……。
 地割れがおき、ククルの姿が亀裂の向こうに遠ざかるのを見た。
 耳の奥で執拗に響いた、天からの声。
 戦いに向けて旅立てと、その声は言った。
 故郷、帰るべき家、思い描いていた未来。なにもかもを無くした自分に、この世の存亡を賭けて戦えと。
 ……ほかに道はなかった。座して滅びを待つわけにはいかないのだ。母はアンデルのもとで捕らわれの身となり、ククルは、トウヴィルの神殿で闇の復活を阻止するための孤独な闘いを続けている。自分だけが、逃げ出すわけにはいかない。
 だから、誓った。
 トウヴィルの岸壁で、沈みゆく太陽を見つめながら、戦わねば――――と。
 夕陽はいつも、つかの間の美しさしか与えてくれない。それが消えた後は、闇が来るのだ。容赦の無い暗闇が。悲鳴も、嘆きも、すべてのものを飲み込んでしまう無慈悲な夜が――――。
 だから夕陽は、好きになれない。



 風がふいに強くなった。
 ひとつ息をつき、アークは元来た方をふりかえった。すでに、皆の姿はどこにも見えない。宿営地に戻ったのか、それとも、知らぬ間に視界から消えるほど長い距離を歩いていたのかもしれない。
 海へと目を転ずれば、夕日は最後の光を放ち、今にも波の向こうに沈もうとしていた。アークは苦い笑みをうかべた。我にもあらず、愚痴めいたことを考えて時間をとってしまったようだ。
 戻ろうか、と足を踏み出したとき、がしゃ、と金属のこすれる音がして、アークは思わず自分の体を見た。あちこちに傷のある、古びた銀色の鎧。そういえば、まだ着替えすらしていなかった。ため息をつき、アークは唇をかんだ。どうやら疲れて、気持ちが沈みやすくなっているらしい。
 だが、それも、無理はなかった。どれほど力を尽くしても、世界を覆いつくそうとする闇はじわじわと暗さを増していく。彼らの戦いは、単なる応急手当にすぎず、敵は常にアークたちよりも一歩先を進んでいた。
 だから、弱音を吐くのは禁物だと思いながらも、ときにはふと恐れが心に浮かび上がってくる。
 闇を止める手立ては、もう残っていないのではないか――――という思いが。
 アークは、空を仰いだ。
 群青色に透き通る天の頂に、小さな星が、ひとつ、またひとつとまたたいている。虚空の果てから届けられた光が、迫りくる闇に抗うように、しんしんと輝きを放ちつづけているのだ。
 息をつき、彼は拳をにぎりしめた。思ったよりもずっと強い力が、手の中にあふれてくる。
 ――――大丈夫だ。
 そっと、自分の胸にささやいた。
 大丈夫、まだ、歩いていける。
 今は少し疲れているけれど、でも、一晩寝ればまた力がよみがえってくるだろう。人にはもともと、生き続けるための力を備えているのだ。それは、神から授かった力とは関係のない、生命そのものが持つ耐久力だった。ククルも、いつも言っている。傷を癒し、ふたたび立ち上がるための力は、つねに己が身のうちにあるのだと。
 たとえククルが聖母の力をもってアークの身と心を癒してくれようと、他者が与えてくれる力は、手助け以上のものにはならない。最後には、自分の力で立ち上がらねばならないのだ。生まれたばかりの子馬が、華奢な脚でよろけながらも立とうとするように。
 きびすを返して、彼は元来た方へと歩きだした。そろそろ戻って、するべきことをしなければ。そして明日一日が過ぎれば、また戦いに戻っていく……。
 ぼんやりとした視線を、彼は砂浜に落とした。ふと、砂の上に、光るものがあるのに気づいた。なかば芒洋とした思考のまま、彼はそれに近づき、拾い上げた。
 楕円形の、貝殻だった。
 外側はごつごつとして岩のかけらのようだが、内側は鮮やかな虹色に輝き、アークの手の中できらきらと光を放っている。しばらく彼は手の中で貝殻を弄び、夕陽の名残が貝の内側がほのかに映えるのを見つめた。

アーク(やしまさん・画)

 ――――持って帰って、ククルに見せようか。
 ふと、そう思った。
 ククルは南の海をまともに見たことがないはずだった。……生まれてからずっと、トウヴィルのワイトの屋敷に閉じ込められるようにして育ち、アークとともに旅だってからは、戦い続きだったのだ。今のアークのように、ゆっくりと夕日の落ちる海を見る時間すらなかった。トウヴィルの神殿からは海が見えるけれど、海岸ははるか崖の下だ。だからククルは、砂浜を歩くことさえできない。
 だから――――せめて。
 この貝を見せれば、喜んでくれるかもしれない。
 そう思うと、沈んでいた気持ちが少しだけ明るくなった。
 アークは足元を見回した。貝のかけらはほかにも落ちていた。螺旋状の迷路のように外側がほぼ砕けてしまった巻き貝、もとはどんな形だったのか、白地に赤や青のすじの入った華やかな貝の破片、白いサンゴのかけら。
 今度トウヴィルに戻ったときには、戦いの虚しい記憶のかわりに、南の島のことを話そう。空よりもなお青い海と、白い砂浜。木陰に咲く大輪の花。目を射る強い太陽の光に、耳元でささやくような潮騒。
 ククルが見られなかったもののことを、話して聞かせよう。

 アークは貝殻を、ひとつひとつていねいに拾い上げた。ほとんどは波にさらされ砕けてしまって、もとの形も色も判然としない。だが、それでもそれらの貝殻は、元の美しさを残していた。手の中の貝を眺めつつアークは、引き潮のころにもう一度来てみようか、と思った。そのころなら、何か珍しい貝が拾えるかもしれない。それとも、白や紫や桃色や、色とりどりの小さな貝のかけらを、糸でつらねて首飾りにしようか。闇を封印しつづけるため、ひとりトウヴィルにとどまった彼女の苦痛と淋しさを、少しでもなぐさめられるように。
 ばしゃばしゃと波を蹴立てる音がして、アークは顔を上げた。
 暗くなりゆく海辺を、エルクとリーザとパンディットが、競争のようにこちらに駆けてくる。二人ともすっかり着替えを終えていて、エルクは短パンひとつ、リーザは島の女達が身につけるような、白いゆったりとしたワンピースを着ている。まだ残る夕陽に、二人の姿がぽっかりと浮かんで見えた。
 「おーい、アーク!」
 大きく手を振り、エルクが叫んだ。何かあったのか、と一瞬身構えたアークは、すぐに警戒をといた。二人のそばを駆け回るパンディットの様子はとても楽しげで、ただ遊んでいるようにしか見えない。リーザの笑い声も、波の音にまじって聞こえてくる。息せききって彼らは、アークのそばにばたばたと駆け込んできた。
 「そろそろメシにしようぜ! みんな、あんたが戻ってくるのを待ってるんだからよ!」
 そう言ってからエルクは、不思議そうにアークの手元をのぞきこんだ。
 「何、持ってんだ?」
 「まあ、きれいな貝!」
 うれしそうにリーザが手を合わせた。
 「これを拾ってたんですか?」
 「あんたも案外お茶目な奴だな、女子供じゃあるまいし、貝なんか拾って、どうするつもりだよ?」
 二人の問いに、パンディットの吠える声が重なる。静かだった浜辺が、いきなりにぎやかになった。
 「いや、その……」
 ククルへの土産にするというのも気恥ずかしく、アークは口ごもった。まばたきしていぶかしげにこちらを見ていたエルクが、いきなりにやりとする。
 「なあるほど、カノジョの土産にするつもりかよ。女ってのはこういうキラキラしたもんが、大好きだもんな」
 「エルクったら、そういう言い方って下世話だわ!」
 ぷん、とリーザが叱りつける。
 「それに、いいと思わない? 遠くにいる恋人のために南の島の貝殻を持って帰る……、ああ! ロマンチックだわ!」
 手を組み合わせ、目をきらきらとさせたリーザが、夢見るように空を見上げる。いたたまれなくなってアークは、ごそごそとズボンの隠しに貝をしまいこんだ。
 「――――それじゃ、戻ろうか。皆が待っているんだろう?」
 「あら、貝を拾う時間ぐらい大丈夫だと思います。私も手伝いましょうか?」
 うきうきとリーザが言うのを無視して、アークはさっさとその場から逃げるように歩きだした。怒ったのかしら、とひそひそとリーザが話すのが聞こえてくる。照れてるんじゃねえの、とエルクが、声もひそめずに答えた。そういうことは聞こえないように言え、と一言言い返してやりたい気持ちに襲われたが、事態がよけいに紛糾しそうな気がする。
 アークはそのまま、無言で足を進めた。後から追いついてきたエルクたちは、彼と並んでのんびりと歩きだした。
 あーあ、とエルクが腕をのばしてあくびをする。
 「いいところだよなあ、この島って。戦いが終わったら、こんなところに住みてえなあ。海の近くに小屋を建ててさ、魚を釣って暮らすんだ」
 「そうねえ……」
 賛同しきれない、と言った声でリーザがつぶやいた。
 「いいところだとは思うけど、でも、一年中暑いのって、なんだかなじめなさそうな気がするわ。やっぱり、四季があるところの方がいいな。秋には枯れ葉が散って、冬になると雪が積もって、春にはいっせいに花が咲くようなところの方が、いろんな景色が楽しめると思うの。それに、こんなに暑い場所に住むんじゃ、パンディットが大変だわ」
 「こいつ、全身毛むくじゃらだもんな」
 からかうようにエルクが、パンディットの頭を押さえようとする。機敏にそれを避けた魔犬は、ワン、と威嚇するように一声吠えた。
 「私が住むんだったら、高原がいいな。アークさんは? どんなところに住みたいですか?」
 ふいに、たずねてくる。
 「……そうだな」
 無視するわけにもいかなくて、アークはもごもごと答えた。
 「……俺だったら、きっと、トウヴィルに住むと思う」
 「トウヴィルに?」
 びっくりしたように、リーザが聞き返してきた。
 「……でも、あそこって……」
 「すっかり廃墟になってるじゃんかよ! そりゃあトウヴィルはあんたの故郷だろうが、焼け跡しかないんじゃ住むには向かないんじゃねえの?」
 歯に衣を着せるということを知らないエルクが、呆れたように口をはさんだ。
 「……そうだな。俺も、そうは思う」
 ぽつりと答えた。
 「だが……」
 頭の後ろで手を組み、じっとアークを見つめていたエルクが、ふと、顔をしかめた。
 「……あんた、もしかして落ち込んでるのか?」
 「――――」
 いっとき、答えるのが遅れた。
 「――――そんなことはない」
 アークはことさらに落ち着いた声を出そうと努力して、顔を上げた。
 「戦い続きで多少疲れているから、そう見えるんだろう」
 「でも、あんまり顔色がよくないみたい」
 リーザも少し心配そうに顔をのぞきこんでくる。むっとしたような顔になったエルクが、そっぽを向いて、ぺっと唾を吐いた。
 「そりゃあ、疲れもするだろうさ。んな重たい鎧を、戦いがあるわけでもねえのに着込んだまんまでいるんだもんな。いいかげん着替えようって頭は働かなかったのかよ」
 「エルクったら! そんな言い方をするもんじゃないわ! でも……」
 ちらりとアークを見て、リーザが上目使いになった。
 「……そのう、言いづらいんですけど、アークさん、そろそろお風呂に入った方がいいんじゃありません?」
 「あ、ほんとだ! さっきからなんか匂うと思ったら、あんたかよ!」
 おおげさに、エルクが鼻をつまむ。アークは思わず、腕を上げて匂いを嗅いでみた。たしかに、少し汗くさいかもしれない。
 「さっさとみんなのところに戻ろうぜ! でもって、風呂入ってメシ食って、ぐっすり寝る! そうすりゃ、落ち込みなんざどっかに消えちまうさ!」
 ぱん、とエルクが、アークの背中をはたいた。
 「あんたはいつだって、あれこれ考えすぎるからな。先のことなんざ、そんときになってから考えりゃいいんだよ。ぐじぐじ悩んだって、どうせなるようにしかならねえんだ」
 元気良く言ってのけたエルクが、ふと首を、海の方に向けた。
 「すっかり沈んじまったな」
 「え?」
 リーザが首をのばす。つられてアークも、海へと目を向けた。先程まであでやかな光をなげかけていた夕陽が、いつのまにやら水平線の彼方に消えてしまい、後は残照が、わずかに西の空を紺と橙色に染めているだけだった。
 「本当、もう、夜になるのね」
 残念そうにリーザがつぶやいた。
 「海にお日様が沈むところを、見ていたかったんだけど……」
 「日没よか、日の出の方がずっときれいだぜ。知ってるか? 海に陽が昇るときって、海から空からみんな、ぱあっと金色になるんだ。明日早起きして、見てみねえか?」
 エルクの提案に、リーザがうれしそうにうなずいた。
 「海の夜明けね、すてき、すてき、きっときれいだわ」
 「夕焼けが見えたってことは、明日は天気ってことだよな。どうせ一日島にいるんだったら、明日はひと泳ぎして遊ぼうぜ。いつも戦ってばっかしじゃ、気持ちがすさんじまうもんな。あんたもそう思うだろ?」
 「――――そうだな」
 どうにか笑顔をかたちづくって、アークは答えた。
 「――――明後日までは、シルバーノアの修理も終わらない。だから明日は、一日ゆっくりするといい」
 「何、他人事みたいに言ってんだよ」
 しかめっ面でエルクが、じろりとアークをにらんだ。
 「あんたも明日は、俺たちと一緒に泳いで遊ぶんだぜ」
 「――――俺も?」
 思わず聞き返した。そうさ、とエルクは裸の胸をそらした。
 「あんたが働きもんだってことは知ってるが、たまにゃ、補給だ次の戦いだなんてことは忘れて遊ぶようにしねえと。そうでないと、気持ちがもたねえぜ。まだ十六なんだしよ、眉間にしわよせて小難しいこと考えてねえで、やることやったら、後は心も体もリラックスさせてやんねえとな」
 「私もそう思います、アークさん」
 胸に手をあてて、リーザがまじめな顔で言った。
 「おじいちゃんがよく言ってたもの。よく働こうと思ったら、よく休まなくちゃいけないって。アークさん、ひどく疲れているみたいだし、今日明日はゆっくりした方がいいんじゃないですか?」
 「トッシュのおっさんたちも、心配してたぜ。あんたが働きすぎるって。いろいろあって、休んでいられないって気持ちになるのもわかるけどよ……」
 ふとまじめな顔になったエルクが、暗さをふきとばすように、足元の砂を思いきり蹴り上げた。藍色の宵闇の中で、白い砂がぱっと扇のように散った。
 「あんたが俺たちのリーダーなんだろうが。率先して休んで、みんなをゆったりしやすくするってのもトップの仕事なんじゃねえの?」
 「…………」
 どう答えていいのかわからなくて、アークは、無言のまま前を見た。
 「な? 決まりだ、そうしようぜ」
 一人飲み込みで、エルクがうなずいた。
 「明日は一日、あんたも俺たちも遊ぶ! 仕事なんざ、みんなでぱーっとやれば終わっちまうし、何もあんたが一人で駆けずりまわらなくたって、物事うまくいくようになってんだよ」
 「――――休んでないのは、チョピンたちも同じだ」
 ぽつりと、かすれた声が出た。
 「彼らを働かせて、俺だけ遊ぶというわけにはいかない」
 「ところがどっこい――――」
 へへん、と得意そうにエルクが鼻をうごめかした。
 「そのチョピンたちが、あんたを少しは休ませろと言ってきたんだよ。せっかく南の島に来たんだし、少しは泳いだり遊んだりするように言ってくれってさ。自分たちはちゃんと交替で休みをとってるけど、あんたは始終働きづめだからってな」
 どん、とエルクが肘でアークの胸をどついた。
 「しっかりしろよ、リーダー、みんなに心配ばっかかけてんじゃねえぜ」
 「だが――――」
 「“だが”も“しかし”もねえよ。これ以上ぐだぐだ言うようだったら、明日の朝にはみんなで無理やりあんたを裸にひんむいて、海に放りこんじまうからな」
 「――――――」
 「お、もうたき火がそこに見えてんじゃん。行こうぜ! 今夜は取れたてのエビだの貝だの魚だので、バーベキューするってよ!」
 うれしそうな声をあげて、エルクが駆け出す。その後をリーザとパンディットが、はしゃいだように追いかけていくのを、アークは歩調を変えずに無言で見送った。黒い影のようなヤシの木陰の向こうに、小さな明かりが見える。たぶん、村の門か、でなければ仲間たちの焚くたき火だろう。
 ――――休息は、十分にとっている。
 少なくとも、自分ではそのつもりだった。
 だが、たいして年も違わないのに、ああしてエルクやリーザが子供のように駆けていくのを見ていると、たしかに自分は疲れているのかもしれない、と思う。少なくとも、海や、焚き火や夕焼けの空や、そういうものを見て心が躍るようなことはなくなってしまった。
 足を止め、アークは、わずかに波頭が白く見えるだけの暗い海を見た。まだ月は無く、あたりは急速に闇に沈もうとしている。はるか水平線に見える朱色の残照も、やがては消えてしまうのだろう。
 夕焼けは、好きじゃない。
 そう、思った。
 廃墟と化していたトウヴィル。焼け跡に転々と横たわっていた親しい人たちの骸、虚空を悲しげに睨んでいた死に顔に当たっていた夕日。
 そして、あの日。
 ようやく手に入れた聖櫃を奪われ、ククルと別れて旅立たねばならなかった日。苦しい追憶を、夕暮れはよみがえらせる。
 ――――けれど。
 前は、冬が嫌いだった。冬は、父が姿を消したときのことを思い出させるから。
 でも今は、そうでもない。冬のさなか、雪に埋もれたトウヴィルの道でククルに出会った。木枯らし吹きすさぶパレンシアの都で、ポコやトッシュと知り合った。
 彼らのおかげで、冬がふたたびアークにとって親しいものとなってくれた。だからいつか、夕陽を見ても、心が重くならずに済む日が来るのかもしれない。
 戦いが、終われば。
 この戦いを越えて、生き延びることができたならば。
 そうしたら、もう一度、海や空や太陽の輝きに、胸はずませるときがくるのかもしれない。
 おーい、と声が聞こえて、アークは消えゆく残照から目をそらした。火の側で、エルクが呼んでいる。何かの肉が刺さった串をポコがかかげ、トッシュが小さな酒樽によりかかっている。
 手を振り返してアークは、エルクたちが待つ焚き火のそばへと、少し足早になって歩きだした。潮騒が、彼の後を追うように、ひときわ耳の底で大きく鳴り響いていた。





FIN.






 まずはこれら三部作を頂いた経緯を説明しますと、おばばさん&やしまさんの所の一周年記念アンケート参加時の御礼として頂いたものを、私が図々しくもおねだりして有り難くも掲載許可を頂いたものです。しかし「アンケート届いてますか?」とお尋ねした所、「文月さんが一番最初でしたv」というお答えが返って来た時は顔から火が出る思いでした……(汗)。
 おばばさんにはもう何度も申し上げているので既に耳にタコ状態でいらっしゃるかもしれませんが、私はおばばさんの小説の自然の描写や何気ない生活の描写が大好きです。キレイで、さり気なくて、確かにそこに生命が息づいているんだ、という……ある種のリアル感、そして優しさを感じます。だからおばばさんの小説を拝読するとガラにもなく優しい気持ちになるんですよ(笑)。そして笑ったり、怒ったり、時には泣いたり。……あー、此処まででお気付きの方おられるかと思いますが、私は御二方のファンです(照)。
 やしまさんの絵は皆大好きなのですが、今回は実はこの小説のアークの絵が一番好きですv「恋する男の子」。……そう、「男」じゃなくて「男の子」。そんな感じがしますvククルの事考える時は、男の子の素顔がこんな風に覗くんだろうなあ、って思いました。確かゲーム中でも「全て終わったら、二人で静かに暮らそう」みたいな事、ククルに言ってましたよね。やけに残ってるんですよこの時の台詞が。だから、「この戦いを越えて、生き延びることができたならば。」の部分を見た時、ずきっと来ました。……「アーク2」を最後までプレイされた方なら皆そう思うんじゃないでしょうか。おばばさんは「アーク」の長編ノベライズをなさってますが、どう決着が着くのか楽しみな所でもあります。(あ、別にプレッシャーをかけている訳ではッ)あと登場人物多めなのが楽しかったです。私の大好きなトッシュと(やはり酒か…)ゴーゲンがいて嬉しいですv
 さあ皆様も是非珠玉の小説&美麗絵を拝みに参りましょう!御感想は御本人様のサイトへ♪ BY文月。



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