何故戦わなかった(戦ってくれなかった)?
何故仇をとらなかった(とってくれなかった)?
何故(何故)?
何故(何故)?
何故(何故)?
何故(何故)?
何故(何故)?
何故、俺は(お前は)あいつと共に戦っている?
「…ル、ねえ、カエルってば」
肩を掴んで揺さぶられ、カエルははっと目を醒ました。
目の前で焚き火の炎がゆらゆらと揺れている。
「見張りのアナタが、寝てどうすんのよ」
声の主はルッカだ、カエルの横に立っている。
どうやら火の番をしているうちに、うとうとしてしまったようだ。
「あ、ああ。すまなかった」
「まあ、丁度交代の時間だったから良いんだけどね」
そう言ってルッカは片目をつぶって笑った。
炎の横では、クロノが寝袋に潜って寝息を立てている。
カエルの横を離れたルッカは、炎を中心にぐるりと回り込んで、カエルの向かい側に腰を下ろした。
「ロボがパーティーにいれば、こうやってわざわざ交代しなくても良かったんだけど」
ルッカはそんな事を呟きながら、焚き火に新しい薪をくべている。
今ここにいる三人以外の仲間達は、皆、時の最果てで待機中である。
違う時を生きる者が四人以上でゲートを使うと時空が不安定になり危険だということで、彼らの旅は原則として三人の旅となっている。
マールはクロノと離れるのを内心嫌がっていたようだが、一応素直に待っているのを承諾した。
ロボは、勿論素直に大人しく待つ事を了解した。
一番駄々をこねたのはエイラだ、今回はここで待つように、と伝えてからなだめるまで優に一時間はかかってしまった。
そして、もう一人…。
「眠ったら?」
一向に横になる気配のないカエルに気付いたルッカが言った。
「それとも先刻まで寝てたから、眠くないとか?」
冗談混じりで付け加える、が、何も答えないカエルを見て、ルッカは笑顔を消した。
「…どうかした?」
心配そうな表情が炎に照らし出される。
その表情がやけに深刻すぎるように感じて、カエルはルッカの顔をまじまじと見つめた。
カエルのその反応に何かを感じ取ったのか、ルッカは一瞬身を引いて、そして、言った。
「…御免」
いきなりルッカに謝られ、カエルは面食らう。
「先刻…、聞いちゃったんだ。アナタが、うなされてたの…」
「うなされてた?」
ルッカはすまなそうに膝を抱えて俯く。
「本当に御免ね、聞くつもりじゃなかったし…、言うつもりもなかったの。でも…」
「別に謝る事はない」
カエルはそう言って少し笑った。
「聞きたいか?」
「え? 何を?」
「どうしてうなされていたのかを」
「そ、そんな事!」
慌ててルッカは首を振る、しかし本当は気になっているという事はすぐに解る。
彼女の眼鏡の奥から覗く一見クールな青い瞳は、実は意外と自分の感情に正直なのだ。
「いや、喋った方が少しは気が晴れるかも知れないと思って、な」
「え?」
「聞いても楽しい話じゃないが」
「そ、そりゃ、うなされてるんだもんね…。でも」
ルッカは少し考え込んで、そしてカエルを見た。
「喋った方が気が晴れるなら、喋る? 聞くのが私で良かったら、だけどね」
真実の、そして最悪の敵は他にいる、俺達が倒さなければならないのはそいつだ。
あいつもその敵を倒す為に生きてきたのだ、過去の自分と故郷を犠牲にしてまで。
しかし、これは、言い訳だ、俺の理性が俺に対してついた嘘だ。
何故なら俺の感情は、今でもあいつを許してはいない。
何故戦わなかったのだろう。
あんな大義名分は、いくらでも無視できた筈ではないか。
感情を押し殺し、理性で嘘をつく。
そうまでして戦わなかったのはどうしてなのか。
カエルとルッカは炎を挟んで座っている。
カエルの左側、ルッカの右側では、相変わらずクロノが寝息を立てている。
「…まだたまに夢に現れる」
カエルは拾い上げた小枝をぱきぱきと手折りながら、独り言のように話し始めた。
「血みどろのサイラスが。そして、俺を責める」
「…え?」
ルッカは驚いて顔を上げた。
「でも、彼の魂は天に昇ったんでしょう?」
ルッカはその場には居合わせていなかったが、その時クロノと共にカエルに同行していたマールからその話は聞いていた。
そして、カエルの迷いも無くなり、グランドリオンがその真の力に目覚めたという話も。
「本当は、まだ迷っているのさ」
カエルは自嘲的に言った。
「あの時のサイラスの亡霊も、ひょっとしたら俺にとって都合のいい幻に過ぎなかったのかも知れない」
「そんな! だって、クロノやマールも見たんでしょ?」
「あの二人も、俺が生み出したまやかしに付き合ってくれただけなのかも知れないな」
「カエル!」
カエルの自虐的な思考の巡りを止めるかのようにルッカが叫ぶ。
「だが、夢に出てくるサイラスが責めているのはその事じゃない」
不自然な程に穏やかなカエルのその口調に勢いをくじかれ、ルッカは次の言葉を呑み込んだ。
「何故、仇をとってくれなかったのか、と」
カエルはそのままの口調で、淡々と、言った。
「勿論、俺が見ている夢だって、俺の意識が見せているだけに過ぎない。本当のサイラスがどう思っているのかは、実際には誰にも解りはしない事だが、な」
「…そう」
ルッカは小さくそれだけ呟いた。
「クロノは」
「え? コイツがどうかした?」
ルッカは横で未だ寝息を立てているクロノを見る。
「多分、気付いていたんだろう」
「何に?」
「俺がまだ、気にしている事に」
「まさか」
ルッカは間髪入れずにそう言って笑う。
「コイツ、とんでもない鈍感よ。そんな事に気付いてる訳無いわよ」
「未だに俺と奴とを一緒に連れ出したことがない」
ルッカは笑うのを止めた。
「気付かなかったか?」
今度はカエルが微笑んだ。
自嘲的な笑みだった。
その事に気付いたという事が何を意味しているのか、それをルッカに気付かせるだけの効力を持った笑みだった。
それだけカエルは「気にしていた」のだ。
「でも…、コイツはきっと何も考えてないだけよ。結果的にそうなったのもきっと単なる偶然よ」
ルッカはそう言うが、自分でもその主張には余り自信が持てないらしく、語調は普段の彼女のものとは異なり、随分と弱々しかった。
「…そうだな。こいつは無意識にやっていただけなのかも知れない。俺が勝手に、そこに意味を持たせてしまったんだろう」
そして、カエルは俯く。
ルッカが炎越しに、カエルの顔を覗き込むような仕草を見せた。
「…後悔してる?」
ルッカが尋ねる。
北の岬で魔王と再会した時、そこにいたのはカエルとルッカとロボだった。
魔王と戦うかどうか、その決断はカエルに委ねられていた。
だから、もしそこでカエルが戦うと決めたなら、その時に魔王を倒す事も出来たのだ。
しかし、カエルはグランドリオンを鞘に収めた。
魔王もまた、ラヴォスに運命を狂わされた人間の一人だった。
ラヴォスという敵は余りにも強大だ。
ラヴォスを倒すという目的があるのならば、魔王も、同志だ。
カエルは確かそんな事を言っていて、それを聞いたルッカもロボも、思いは同じだったのだ。
「あの時言ったのは、言い訳だ」
カエルは呟く。
「本当はそうじゃなかった。俺が魔王と戦わなかった理由はそうじゃなかったんだ」
助けられなかった。
俺も、あいつも。
自分の無力の所為で。
最も大切だった筈の人間を。
『サイラス!』
『サラ!』
戦わなかった本当の理由。
それはあいつが俺と同じ想いをしていたからだ。
同じ想いを抱いていると知ってしまった相手を、俺は倒せない。
───優しすぎるよ、グレンは…。
カエルははっと顔を上げた。
確かに目の前にいたのはルッカで、その他にはやはりクロノが眠っているだけだ。
すると今の台詞は、ルッカによって発せられたものなのか。
それとも、幻聴だったのだろうか。
目の前のルッカはその事については何も言わず、別のことを言った。
「本当の理由がどうであれ、あの時のアナタの行動は、私は間違ってはいなかったと思う」
私みたいな部外者が言っても説得力無いけどね、と付け加えて笑う。
「それに、アナタが魔王と戦わなくて、正直ほっとした」
「負けると思っていたのか?」
「まさか。絶対魔王に勝つと思ってたよ。だから、ほっとしたの」
時々、このルッカという少女は、こんな風に不思議な事を言い出す。
カエルが不思議そうな表情で自分を見ているのに気付き、ルッカは苦笑した。
「私の勝手な思い込みだけど」
そう注釈をつけて、ルッカは続ける。
「カエルがずっと剣の腕を磨いてきたのは、魔王を倒す為だったんでしょ」
「…まあ、大きな目的は、それだな」
「だから、あそこでカエルが魔王を倒してしまったら、カエルは私達の前から居なくなっちゃうんじゃないかって」
一瞬の静寂の後、いきなりカエルが笑い出した。
ルッカは驚いて目を見開き、そして頬を膨らませる。
「そんなに笑うこと無いでしょ!」
「ひどいな。そんなに俺は薄情に見えるか?」
「でもあの時はそう思っちゃったんだもの。心から憎んでた相手がこの世から消えちゃったら、もうカエルは戦わないんじゃないかって」
カエルは笑うのを止める。
「本当は、好きじゃないんでしょう、戦うの」
彼女の青い瞳に心の奥底を見透かされたような気がして、カエルは息を呑んだ。
「アナタは自分の都合だけの剣は、絶対に振るわない人だから」
「…自分の意志では戦う事が出来ないってだけだ」
「でも、他の人の為には戦う事が出来るじゃない」
ルッカはそう言って微笑んだ。
「私はそれが出来る人の方がすごいと思うよ」
違う。
俺はそんな風に言ってもらえる程、強くはない。
カエルは心の中で呟いた。
「アナタは自分でそれを認めていないだけ。もう認めちゃっても構わないのに。自分に厳しすぎるよ、グレン」
不意に呼ばれたその名に、カエルはぎくりとした。
「でも、そんな所もアナタらしいけど」
炎の向こうのルッカは、柔らかな微笑をたたえていた。
ルッカには見えていた。
目の前のカエルに重なる、端整な顔立ちをした凛々しい騎士の姿。
魔王を仲間にしてから、時々カエルの姿がそう見えることがある。
理由はよく解らないのだが、ルッカにはそれがとても良い事の前触れのように感じられる。
そんなルッカの思惑がカエルに伝わったのかどうか、カエルは暫くしてから一度大きく息を吐き出し、そしてルッカを見た。
ほんの少しではあるが、今までよりは気が楽になった、そんな気がしていた。
「やっぱり、聞いてもらって良かった」
「ホント?」
「ああ、有り難う」
微笑みながらそう言うカエルに、ルッカは「どういたしまして」と言いながら自慢げに笑ってみせた。
その笑みを見て、いつものルッカだ、と思いながら、カエルも可笑しそうに笑った。
クロノは相変わらずよく眠っている。
カエルはクロノの方に視線を送り、小さく笑った。
「これから先、こいつが俺と魔王を一緒に連れ出す時は来るかな」
「もし、そんな時が来たとしても、やっぱりただ単に何も考えてないだけよ、コイツは」
ルッカの言う通り、彼の行動には作為というものはないのだろう。
無意識に、自然に、当然の事のように、その場に最も相応しい方法を選び取っているのだ。
こればかりは、やろうと思って出来ることではないし、自分もそうならねばという気負いも今は有りはしない。
勿論、それでも、羨ましくないと言えばそれは嘘になるけれど。
「何も、考えてないだけ、よ…ッ」
ルッカが大きくくしゃみをした。
「冷えたか?」
「…何でコイツの噂してて、私がくしゃみしなきゃいけないのよ」
ルッカがクロノを睨み付けてそう言うのを聞いて、カエルは大きな声で笑った。
当のクロノも、ルッカのくしゃみで目を醒ましたらしく、のそりと起き上がり、大きな欠伸をしながら大きく伸びをした。
そして、他の二人がじっと自分の方を見ているのに気付き、頭をかいて照れ笑いをして見せる。
その様子を見て、カエルはまた大笑いし、ルッカは呆れたように溜息をついた。
───自分にまで嘘をついて、俺に気を遣う必要なんて無かったのに。
───だから、あの時、優しすぎると言ったんだよ、俺は。
───でもそれでお前が少しでも楽になっていたのなら、俺は喜んでその気遣いを受け入れよう。
───あの時の俺は、今のお前ほど立派な騎士ではなかった。
───俺はお前の親友であった事を、心から誇りに思う。
1999年、ラヴォスの日。
そこでの最後の戦いに、クロノが共に戦う仲間と決めたのは、カエルと魔王だった。
───かなわねぇな。
自分の前を行く少年の背を見つめながら、カエルは内心苦笑していた。
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