常に夜を纏う不思議な月夜の森。その森には二つの都が存在している。
全てに逆らう事をやめた月明かりの都ミントス。獣人王を中心とする軍事国家ビーストキングダム。
ここは獣人達の最期の地。人間に迫害され、傷ついた民の流れ着いた安息の地。
漸く彼らに訪れた平和。ここまで来るのに喪われていった仲間達。次の世代にはこんな思いをさせまいと、戦い疲れた獣人達は優しい親へと変わった。そんな親達に守られて子供達はすくすく育つ。
太陽の恵みを知らずとも。
今日も月夜の森の中心にある広場で獣人の子供達は遊ぶ。鬼ごっこや、縄跳びや、かくれんぼ。
子供達が集まって楽しそうに遊んでいる中を、一人寂しそうに見つめている金色の髪を持つ少年がいた。年は11、12才位だろうか。まだまだあどけなさが残る顔には、しかし、似つかわしくない孤独が浮かんでいた。他の子供達を見つめる様は大人びて、まるでガラスの向こうに見える世界のように、手を伸ばせば壊れてしまうもののように眺めていた。
その少年は暫く視線を彷徨わせていたが、目の前で遊んでいる集団のリーダー格らしい茶髪の少年に、勇気を出して声をかけた。
「オイラも交ぜて…」
その少年はあからさまに嫌そうな顔をすると金髪の少年を突き飛ばした。
「獣人王様の子供だからっていい気になるな!人間の血が混じった奴と遊べる訳ねーだろ。どっか行けよ!」
汚いモノを触ったかのように手を払うと茶髪の少年は仲間に向き直った。
「さ、行こうぜ」
茶髪の少年がみんなを促す。そのグループの子供達も金髪の少年から逃げるように離れていった。
「待っ…」金髪の少年が手を伸ばしたが、彼らが振り返ることはなかった。少年は伸ばした手をゆっくりとおろしていく。その時、可愛らしい声が少年の耳朶に触れた。
「お父さん、高い高いして!」
小さな男の子がピョコピョコ跳ねながら父親に手を伸ばしていた。
「仕方ないなぁ。レスターはお兄ちゃんになったのに、この甘えん坊さんめ」
その子の父親が苦笑して、幼い身体を高く持ち上げた。レスターと呼ばれた子供は嬉しそうに手足をバタバタさせる。
「さて、と。もういいだろ? レスター、お母さんが待ってるから家に帰ろうな」
父親に抱っこしてもらい、男の子はご満悦の様子。
「お父さん、明日も遊んでね」
父親が我が子の頭をくしゃっと撫でた。
「はいはい、レスターがちゃんと赤ちゃんの面倒を見たらな」
「ちゃんとウィリーの面倒見るぅ。だから遊んで〜」
「こらこら、お父さんの髪引っ張っちゃダメだろ。わかった、わかったから」
幸せそうな親子が家に帰っていく。父親に包まれて男の子は何を思うだろう。
「いいな…」
素直に少年は呟いた。
「オイラはあんな事、ない…」
少年の父親は獣人達の王であった。
遊んでもらった記憶はない。会う時は後継者として少年に厳しい稽古をつける時のみ。少年が知っているのは遠い父の背中だけであった。
「父さんは、オイラ、嫌い…?」
少年は空に輝く月を見上げた。
「馬鹿息子め…、一体何処まで遊びに行ったのやら」
ビーストキングダムの執務室で、一人の男がため息を吐いていた。
「親の心子知らず、とは良く言ったものだ」
男は手に持ったペンを置いて椅子から腰を上げる。視線の先には亡き妻の肖像画がかかっていた。
『例え闇の世界に暮らそうとも、光も知る人間になって欲しい』
妻は最後まで息子の行く末を案じていた。
『太陽の光を浴びさせたかったわ…』
この森で一生を終えるであろう息子。まだ幼い我が子を残して逝くのはどれほど辛かったか。
『私は今からマナの女神様の元へ向かうけれど、貴方は傍であの子を照らしてあげて』
彼女の最後の願い。
妻は頷いた夫の姿に安心したのか瞼を閉じた。そして、もう二度と開く事はなかった。
月が綺麗な夜には彼女の姿が蘇る。
闇の司祭の反乱に乗じ、獣人奴隷を引き連れウェンデルから脱出した夜。愛しい人間の娘と逃げたあの晩。妻はウェンデル貴族の名を捨てて、無名の獣人奴隷についてきた。
「覚えているか。月夜の森に逃げてくるのがやっとだったあの頃。
力がなかったばかりに次々と仲間を失った。どれ程無力な己が恨めしかったか。
ケヴィンには同じ思いをさせたくはない。
例え何があってもケヴィンだけは死なないように、守れるように、俺は心を鬼にしよう。
…空で見ているがいい。俺はケヴィンを立派な後継者にしてみせる。恨まれても構わない」
窓辺に寄りかかり、男は月を仰いだ。淡い光の中に懐かしい思い出が浮き上がっていく。
あの時もこんな夜だった。
夜泣きをする一人息子を背中に背負い、ベランダであやしていた男の横に立ち星を見ながら笑っていた。
『私、死んだらお月様になるわ。いつでも貴方を見ているから。だから貴方も私を見てね』
もしかしたら彼女は自らの死期を予感していたのかも知れない。
「もしお前が月になれたのなら…」
月は亡き妻の顔をしていた。
「月よ、見守ってくれ。俺達の息子を…」
男は暫く月を愛でていた。
どの位、月を仰いでいただろうか。弱く扉を叩く音にハッとして視線を移した。男が待ちわびていた人物の気配。扉の向こうから聞こえた遠慮がちなノックに対し、男は入れと命じた。
「遅れてゴメンなさい…」
扉から少し顔を覗かせてケヴィンが様子を窺う。男は獣人王へと変わっていた。
「…ケヴィン、今日の組み手を始めるぞ」
獣人王は亡き妻の忘れ形見の腕を掴み、ビーストキングダムの屋上へと向かう。いつもの稽古場は獣人王とケヴィンだけで使うには相当の広さのように思われた。
いつものように、ケヴィンは何度も何度も父親に飛びかかった。その度にケヴィンの体が吹っ飛び、獣人王は静かに息子が立ち上がるのを待つ。
「これで終わりか、ケヴィン」
「う、まだ立てる!」
親子二人の姿を見守るように、月はいつまでもやわらかな光を降り注いでいた。
「強くなれ、強くなれ」
父よりも母よりも。誰にも負けない人になれ。
月が空に輝く限り。太陽が昇らずとも。
お前は月の息子なのだから…
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