雨。
農業を営むものにとっては、必要不可欠。これのために神に祈ることさえある。珍しくはない。
だが、旅をするものにとっては…単に旅の足止めをする存在でしかない。
そして、誰にでもあてはまること…
ときに余計な感慨を抱かせてしまう存在である、ということ。
「雨、でちねぇ……。」
窓の向こう側を眺めて、ため息とともにシャルロットは誰にともなく呟いた。雨は、やむ気配はなく降り続いている。
「シャルロット、おまえ、それ今日何回言った?」
デュランがぼそっとつっこむ。彼もまた、何をするでもなく、座って愛剣を振り回しているだけだ。
「そんなことはどうでもいいんでち。ただ…」
「ただ?」
おうむ返しに聞く。
「こういうしっとりした雨の日には、色々昔のこと思いだしちゃうでちねぇ…。」
聖都ウェンデルの神官、ヒースと一緒に傘を差しながら雨の中こっそり抜け出したこと。
雨がやんだあとは、一緒に水遊びもしたこと。
間違えて水滴をコールドブレイズに変えてしまったこと。
(あの時は、ヒースが雪だるまになっちゃって大変でちた…)
知らず知らずのうちに、ひとりでに笑いがこぼれる。
笑っているうちに、涙がこぼれた。本人も気付かないうちに。笑いながら、泣いていた。おかしな光景だった。
いつもは天真爛漫に笑っている、花のような少女が泣いていることに気付いたデュランは、気付かないふりをしてやった。それが、精いっぱいの慰めだったから。
ひとしきり笑い、泣いたあと、シャルロットがぽつんと呟いた。
「…ケヴィンしゃんは?」
デュランも気付いた。ケヴィンが帰ってこない。
ケヴィンは、「ちょっと雨に当たってくる」と言って宿屋から出ていった。彼は獣人だから、なんとなく雨に当たりたかったのだろう。ずっと部屋にこもりっぱなしでは、さすがに体に良くない。
だが、それにしても遅すぎる。もう2時間は経っていた。
「おかしいでち!ケヴィンしゃんが道に迷うわけがないでち。そんなに大きい町ってワケでもないし、それにケヴィンしゃんには立派な嗅覚と聴覚があるでち。」
そうだよなぁ、おかしいよなぁ、とデュランが同意した。
「まさかケヴィン、何かあったのか……?」
デュランがそう言うよりも早く、シャルロットは駆け出していた。宿屋を飛びだして、雨の中へ。
「お、おい!シャルロット!!おまえ、この雨の中…おーい……。」
あとには、呆然と立ち尽くすデュランの哀しい姿があった。
「まさかシャルロットにあんなに行動力があるとは思わなかったなぁ…。」
雨は激しさを増し、空はだんだんと宵闇の雰囲気をただよわせていった。
シャルロットがまだウェンデルで平和に暮らしていたころ。
「目が覚めた?シャルロット。」
お昼寝から覚めたシャルロットは、ヒースがすぐ近くにいると決まってものすごく安心した。反対に、姿が見えないととても不安がった。
だから、いつのころからかお昼寝のそばではヒースがシャルロットを見守っているようになった。
何故か?それは、シャルロットには未来予測の能力がほんの少し、備わっていた。本来その力は、風の王国ローラントの一族の者の力なのだが、シャルロットにも何故かその傾向が少々あったらしい。とにかく、いつかは分からないがとにかく先のことが見えた。
それは、決まって夢の中で予知されるのだった。
ヒースが、いなくなってしまう夢。
そんな夢をシャルロットはときどき見ていた。
だからこそ、夢から覚めて現実の世界へ戻るとヒースがいる、という事実が嬉しかった。本当は悲しくて泣きじゃくりたいくらいなのだが、ヒースの前ではあまり涙を見せられない。だから、気丈に明るく笑って見せた。
「ヒース、おはようでち!」
そうやって、元気に挨拶をする。
その予知は当たってしまった。ヒースはヘンテコオヤジに連れ去られて、依然行方は分からないままだ。
もう2度と大切なものを失いたくはなかった。どんなに些細なことでも。
「だいじななかま」が無事であることを祈りながら、シャルロットはケヴィンを探し回った。
武器屋、防具屋、道具屋、酒場、肉屋、八百屋……ありとあらゆる店や建物に入って情報を聞いたが、手がかりは得られなかった。
もう町の建物には明かりがともり、空には夜のとばりがおりてきていた。本格的な夜の到来。雨は相変わらず強く降り続ける。
そして夢中になって探すあまり、シャルロットは間違えて町の外に出てしまった。
夜に出るモンスターは、昼間とは比べ物にならないほど強い。そのことは重々承知していたシャルロットだったが、「思わず出てしまった」という流れで町の外に出てしまった。
「ケヴィンしゃん…どこ行ったでちか?」
雨の中ずっと走り回っていてさすがに疲れが出たシャルロットは、はあはあと荒い息をつきながら木陰に入った。
「…あ、町の外出ちゃったでち。帰らないと……」
ずぶぬれになったシャルロットが、よろよろと町へ戻っていこうとした、その時。シャルロットの視界の向こうから同じくよろよろと歩いてくる人影があった。
「ケヴィンしゃん?」
喜び勇んでシャルロットは駆け出した、が。
「…違うでち…ケヴィンしゃんじゃないでち……。」
おびえた様子であとずさった。その影は、もう生きてはいなかった。かつて生きていたという証であるぼろきれを身にまとい、何かを求めて雨の中を歩いてきた。
「ゾンビ……」
周囲に悪臭をまき散らしながら歩いてくる影に対して、シャルロットはただそれしか呟くことが出来なかった。呪文の詠唱を始めようとしたが、恐怖で口がうまく言葉を紡げない。
感情をなくし、ただ獲物を求めて彷徨う哀れなゾンビが、この辺りにはよく出没していた。今まで合ったときは、1人ではなく3人だったから楽に倒すことが出来たが、今はシャルロット1人。腕力は無いに等しい。頼みの綱の聖属性魔法も詠唱失敗を繰り返している。焦れば焦るほど、失敗する。
(嫌……)
ゾンビがすぐ目の前まで迫ってきた。辺りに漂う腐臭に顔をしかめ、逃げるに逃げられず、シャルロットは叫んだ。
「嫌でちぃぃっっ!!!誰か…誰かぁっ!!!!!」
悲鳴が辺りに響き渡ったその瞬間、シャルロットとゾンビの間を何かが通りすぎた。間一髪、のところでシャルロットは抱え上げられ、ゾンビの魔の手から逃れた。
「ケヴィンしゃんっ?!」
「大丈夫?シャルロット。危なかった。」
紛れもなく、探し人の声。すこしたどたどしい、それでいて優しさがいっぱいこもったケヴィンの声。
ケヴィンは、片手でシャルロットを抱え、もう片方の手でゾンビを倒してしまった。シャルロットを下ろすと、言った。
「シャルロット、何故こんなところに?危なかった。夜の独り歩きは危険……」
ケヴィンのセリフは途中で止まった。顔を真っ赤にして怒るシャルロットが、そこにいたからである。
「………ケヴィンしゃんのばかぁっ!!すんごく心配したでちよっ!!!どこ行ってたでちか!!」
「…探して、くれた?」
シャルロットはこくんとうなずく。
「ごめん、シャルロット…。ちょっとオイラ、雨に当たってたら考え事しちゃって…そしたらいつの間にか町の外出てた。町に戻ろうとしたら、悲鳴が聞こえた。」
「考え事でちか?」
「雨の日には色々思い出がある。カールと一緒にずぶぬれになるまで遊んだこととか、そのせいでオイラが風邪引いちゃって一生懸命看病してくれたこととか。懐かしくて、ついつい外まで出ちゃったんだ。」
ケヴィンはどこか遠くを見ながら言っていたようだった。
「シャルもおんなじでち。」
え?とケヴィンが聞き返す。
「ダメでち。1回しか言わないでち!」
シャルロットはイタズラっぽく笑った。そして、付け加えた。
「ケヴィンしゃん。私達、なくなったものを取りかえそうっていう目的はおんなじでち。頑張ろう…ね?」
一瞬、シャルロットがすごく大人っぽく見えた…とは、ケヴィンには言えなかった。だから代わりに、精一杯の笑顔で応えた。
「うん!頑張ろう!」
雨は幾分小降りになっていた。
「遅い!」
宿に戻ると、ふくれっ面でデュランが待っていた。
「デュランしゃん…その格好、どうしたでちか……?」
「決まってるだろ。おまえらが帰るの遅いから、メシつくって待ってたんだ。偉いだろ。」
デュランは、なんとエプロンを着ていた。フリルこそついていないが、とにかくかなり似合わない。
「そーいえばここの宿屋、素泊まりだったっけ。」
素泊まりとは、部屋だけを提供して、食事は出さない宿屋のこと。安いのはいいが、食事は自分達で作らなければならない。
デュランがケヴィンを探しに行けなかったのは、このことがあったからだ。
「ステラおばさんの、まるで花嫁修業のような教育ぶりはすごかった…。料理はもちろん、掃除に洗濯、家計簿つけまで教えられたんだ。」
テーブルの上には、質素だが美味しそうな料理が並んでいた。ステラの家庭的な性格がうかがえる。
「デュラン、こんな才能あったのか?すごい。」
まあな、と応えつつ、デュランはあることを思いだした。
「そういえば…俺がおばさんに料理教えてもらったのって、確かこんな雨の日だったっけ。外出られないからって、家の中で花嫁修業。」
苦笑しながらも、懐かしそうにデュランは言った。
いつの間にか雨はやみ、夜空には美しい月が出ていた。辺りを照らす月は、あたかも冒険者達の旅の無事を祈るかのように、柔らかく光を放ち続けた。
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