「獣人王!」
「わかったわかった、お前の好きなようにしろ」
「ホントにわかってるのか…?」
去っていく父親の後ろ姿にケヴィンは独り言ちた。
マナを巡る大戦から数年の月日が経った。
ケヴィンは獣人王の正統な後継者に任命され、ビーストキングダムの皇太子として立派に成長した。成長したのはケヴィンだけではなかった。それは辛苦を共にした仲間も同じ。
ケヴィン以外の仲間達も、戦いの後、守りたいものが一杯詰まった故郷へ帰っていった。
パーティリーダーだったデュランは黄金の騎士となり、今も英雄王の傍らにいる。フォルセナとの会合の時はいつもデュランと会える。そう言えば、この前の会合でデュランがぼやいていた。その中身を要約すると、あの旅で身に着けた忍耐力のお陰で最近は大人しくなったと近所のおばさんに好評、見合い話が多く舞い込むようになり困っているという。デュランらしい悩みだと笑ったら頭を叩かれた。
アンジェラは理の女王の跡を継ぎ、アルテナの女王となった。マナの力以外の、人がその身に潜めている純粋なる魔法力の研究を重ね、ほんの少しだけだが気候が穏やかになったそうだ。先に光が見えだしたアンジェラは、自然との闘いはこれからだと息巻いている。これからも研究を続けていくそうだ。向上心を忘れないのは結構だが、その心を外交にも向けてビーストキングダムにかける関税をもっと安くして欲しい。
リースは一年前にローラント王となった弟を影ながら支えている。弟が王としてひとりでやっていけるようになったら、彼女は王女の肩書きを捨て、一人の男の許へ行く予定だそうだ。早く行けると良いねと言ったら、それはそれで寂しいと言っていた。嬉しいじゃなくて?と訊いてみても薄く笑うだけで何も言ってくれなかった。
ホークアイは砂漠の緑化運動の為に資金集めで全国を駆け巡っている。この前会った時、まだ砂漠の十分の一しか緑化が進んでいないけれど、これからどんどん加速していくはずだと嬉しそうに話していた。別れる時、いつの間にか援助の約束を交わす羽目になったのは見事と言うしかない。
昔と変わらず元気なシャルロットは、ウェンデルとビーストキングダムの和解とこれからの獣人と人間の未来の為に二年前にビーストキングダムに輿入れした。だが、本人にはそんな自覚なんてなく、昔と変わらず奇想天外な行動を起こしては困らせている。だけど、そのお陰かも知れない。単調な毎日からそれなりに充実した毎日になっているので、それで良いんだと思っている。損害が上回った時は流石に辛いけれど。
道は分かれてしまったけれど、辛くはない。もう独りで歩いていないから。みんながいるから。 ケヴィンにとって彼らは、離れていてもいつも傍にいる大切な仲間達。
ケヴィンは今日も執務室で政務を執っていた。
「ケヴィン様!!」
慌てて駆け込む獣人兵の口から紡ぎ出される言葉に予想がつくのかケヴィンはため息を吐いた。
「東棟の訓練所の壁に穴が空きました!!!」
新興国とは言え、ビーストキングダムの城も出来て大分経つ。
ここ最近、城の老朽化による被害が相次いだ。この前にも訓練中の獣人兵が勢い余って壁を壊した。台所の水が濁るようになり、雨水が漏れるようになった。カールを殺してしまった原因が獣人王にあるとわかった時に、激情に身を任せたケヴィンが破壊した壁もそのままである。壊れた壁の破片で怪我をした子供も出てきた。
小規模ではあるが少しずつ被害が広がっていった。獣人王の許に様々な苦情が舞い込んできた。獣人王は住めれば良いと言って退けた。
獣人王への被害報告は自然とケヴィンに来るようになった。父親が受け付けない所為で溜まりに溜まった苦情に見かねて、皇太子であるケヴィンも獣人王に諫言した。息子にまで言われて流石に黙っている事は出来なくなったのか、漸く獣人王の重い腰が上がり本格的に城の改修工事を行う事になった。
そのビーストキングダム改修工事の現場指導にケヴィンの姿があった。
足場を組み立てた門前に立ち、一人一人に労いの言葉をかける。下々の者としては、英雄であり次期王としての貫禄を備えたケヴィンに声をかけられる名誉は誇らしい事であった。声をかけられた者は一段と仕事に力が入る。もう一度声をかけてもらう為に。
どうすれば人を有効に動かせるか計算された動き。皇太子としての自覚を持ったケヴィンは誰に言われるでもなく意図的にやっていた。
旅から帰って来た時、ケヴィンは今まで父親に守られていたのだとハッキリわかった。獣人達が迫害されていたのを外に出て初めて知った。自ら体験する事によって。現実を知り父親の思いを知ってしまった少年は純粋なままではいられなかった。いつまでも父親の庇護の下で暮らす少年には戻れなかった。
あの旅が全てを変えた。聖剣の勇者の一行になった瞬間から。
月夜の森で小さな狼と遊んでいた少年は英雄になった。どこにでもいる少年から、一気に人の好奇の視線に曝される存在に変わっていった。
知らない人からもケヴィン様、英雄様として崇められ、手紙やプレゼントや、独身の頃には見合い話がわんさか送られてきた。シャルロットと結婚した今でも内密に見合い話が来るのはどういった事なのだろか、恥知らずな男になれとでも言いたいのだろうか、わからない。
送られてくる物は全て好意の物ばかりとは限らなかった。時々各国から送られる手紙の中には『死ね』の二文字と共にカミソリが入っていたのもあった。そんな手紙は馬鹿らしくてすぐに捨てた。呪いの言葉が書いているのもあった。そんなものは署名ナシでまとめてウェンデルに送った。
殺された獣の臓器が送られた事もある。シャルロットがそれを見て卒倒した時には流石にソイツを殺しに行こうかと思った。ビーストキングダムの情報網を使えばそれ位は出来るから。獣人の能力を侮ってもらっては困る。人族よりも有能な身体機能を備えておいて劣るはずがない。
多かったのは『獣の分際でいい気になるなよ』。
どちらが“獣”だろうか。人を貶めるしかできない者よりは自分は知性ある人間だと言える。彼らこそ獣ではないのか。そう言えば例えられた獣に失礼だろうか。彼らは無駄な事をしない。優秀な彼らはそんな奴らと同類にしないでくれと言いたいところだろう。
そんな奴らに負けたくない。彼らの前で泣いたりしない。
だから、父の、ケヴィンの失脚を願う人の、次期王としてケヴィンを見る人の、良い意味でも悪い意味でもそんな人々の様々な期待に一々潰れている訳にもいかない。迫害されてきた獣人達の希望の光となったケヴィンにかかる期待は並大抵な物ではない。しかし、父はそれを乗り越えてきた。父の息子である自分が出来ないはずがない。
だから今日もケヴィンは笑う。
連日の工事で作業員達にも疲れが見えてきた。しかし、工事を遅らせる訳にはいかない。ケヴィンはいつも以上に激励し、ケヴィン自身も工事に参加した。
国の中枢とも言える城は防御の拠点でもあった。いつ外国が攻めてくるかもわからない。外国に付け入る隙を与える訳にはいかなかった。しかしケヴィンは焦りを見せないように努めた。国民に不安感を植え付けるないように。
今日も持ち前の笑顔を振りまき、権威を崩さない程度に人々と交わる。皇太子自ら出向き指揮を執る事で志気を高めようという魂胆。それは見事に成功を収めていた。予定よりも早く工事が終了しそうだった。
そんなある日の朝、いつも通りに外で現場監督と打ち合わせをしていた頃だった。
「ケヴィンのバカーーーーーっ!ケヴィンなんて嫌いーーーーーっ!!」
背中をポコポコ叩く存在に視線を移すとシャルロットが涙目でケヴィンを睨んでいた。
「え?何??」
ケヴィンはシャルロットの方に向き直り、屈んでシャルロットの顔を覗き込んだ。むーと唸るシャルロットの頭を撫でて手の甲にキスをする。大人の余裕の態度で接してくるケヴィンに馬鹿にさせているような気をしつつも、ケヴィンの眼前に手に握ってきた物をつき出した。
「これは何!!!!!」
シャルロットが差し出したのは薄汚れた小さな一枚の絵。彼女の手に収まる位の女性の肖像画だった。シャルロットに押し付けられ目を凝らす。暫くして思い出したように声をあげた。
「ああ、これ」
ケヴィンは破顔して、真っ赤にしているシャルロットの頬に軽く口を寄せた。
現場監督は苦笑している。幾人かの人達は頬を赤らめて顔を背けていた。公衆の面前にも関わらず大胆な事をしてくる夫にシャルロットの時間が止まった。耳元で囁かれる声に全身が熱くなるのを感じた。
「嫉妬してくれたんだ」
猫のようにすり寄ってくる夫のされるがままにされているシャルロットには周りの視線が痛かった。そしてケヴィンが全くと言っていい程気にしていないのがスゴイと思った。額に首筋に唇を落とし、そして焦らすようにシャルロットから離れた。
「その絵、懐かしいな。何処にあったの?」
夫が絵の方へ目をやった時、シャルロットはハッとした。このまま忘れてしまうところだった。
「…机の引き出しにあった宝石箱の中にあったわ。何処の女よ?」
怒ってぷうと頬を膨らますシャルロットの様子が可愛らしくて、ケヴィンは口元を手で押さえた。笑いに耐えながら話すのは難しい。
「シャルロット、これ見て気づかないか?」
シャルロットは絵を凝視した。金色の髪を綺麗にまとめ微笑む女性。それがどうしたというのか。
「これはオイラの母さんの絵。
父さんがあの旅から帰って来た時にくれたんだ。オイラがもう一人でも強くなれるからって」
シャルロットはケヴィンと絵を見比べた。柔らかな笑顔、目元、口元。どことなくケヴィンと重なった。シャルロットは暫くその絵に魅入っていた。
絵の中の女性は輝いていた。絵の向こうにいる愛しい者に向けての特別な表情。女の直感として、この絵の持ち主に向けての表情だとわかった。この顔が、絵の持ち主であるケヴィンの浮気相手かと思わせていた。それは違ったのだ。これは前の持ち主の獣人王に向けての顔だったのだ。
自分の早とちりに気づき、顔が真っ赤になったシャルロットは言葉にならない声を上げた。いつも以上にニコニコと、シャルロットにしてみればムカツク程にさわやかなケヴィンがそこにいた。
「シャルロット、可愛いな!」
シャルロットは一瞬呆けていたが、すぐに現実に戻ると周りにいた人間に一礼して早足で駈けて行った。途中で振り返ってケヴィンに舌を出すと逃げるようにパタパタと遠離っていく。シャルロットが転けないかどうか心配しながら背中を見送り、現場監督達に振り返ったその顔は、既に皇太子としての顔に戻っていた。
「それでは、さっきの話の続きをしましょうか?」
漸く休憩時間に入ったケヴィンはさっきのシャルロットの様子を思い出して顔が綻んでいた。そして今気づいたかのように胸元に手をやった。
「良かった、今日はこれを持って来ていて正解だった」
胸をなで下ろしたケヴィンは胸元のポケットに入れていた物を取り出した。それは有名な画家に描かせた一枚の小さな肖像画。机の引き出しの宝石箱の側にいつも置いていた物だが、今日に限って持っていこうと思った。大切な宝物。
その肖像画に描かれている少女は太陽のように輝いていた。金の巻き毛を揺らして、空色の瞳をまっすぐケヴィンに向けて。
「きっと、見られたらシャルロットにからかわれてた。危なかった」
この絵を発見したシャルロットは意地悪な顔でケヴィンに突っ掛かってくるだろう。いつもの仕返しとばかりに。散々突っつき回してケヴィンの反応を楽しんで笑うに違いない。そして彼女はこう言うだろう。宝石のように綺麗な瞳で。
『この頃からシャルロットちゃんに夢中だったんでちねぇ?』
その通りだよ、と呟いて、ケヴィンは現場に戻っていった。
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