空からシャワーが降ってくる。
草木の緑が美しく映える時。
人も獣も空を見上げ、仮の宿で体を癒す。
雨音のコーラスが疲れた心に染み込んでいく。
太陽が顔を覗かせたら、また歩き出せるように。
水のカーテンが大地を覆う。女神の気紛れが森全体を包んでいた。
その森の中でも一際大きい大樹の下。少年は小さな少女を胸に抱き、大樹の根本に腰を下ろしていた。空を見上げると雨の匂いが彼の鼻を擽る。辺りには生き生きとした緑の香りが充満していた。空は相変わらず灰色だったが、久しぶりの森の息吹に少年の頬が緩む。少女の体を抱え直して、少年は静かな時間に身を委ねた。
それからどの位経っただろうか。可愛らしい寝息を立てていた少女は少年の懐で目を覚ました。
「起きた?」
見上げた先にあった少年の目が細められる。少女は少年から視線を外すと辺りを見渡した。少年も少女と同じように目を移す。
「雨、止まないでちね」
「うん」
金色に輝く二つの瞳。そこには金色の巻き毛を揺らす少女の姿。親鳥の暖める卵のように、少女の体は少年の腕の中。彼の体と服の間には少女の存在。少女は少し頬をかいた。
「ケヴィンしゃんがあたためてくれてたんでちね。ありがとさんでちた」
お礼を言われるような事はしていない、とケヴィンが頭を振る。
「オイラもシャルロットのお陰で寒くなかった。ありがとう」
シャルロットの顔が華のように綻んだ。
「えへへ、お互い様でちたか」
「うん。お互い様」
言葉が途切れる。優しい沈黙。シャルロットの頭を撫で、ケヴィンは暫く前方を見つめていた。
周囲から殺気を感じない事に安心し、警戒を解いた頃、すぐ側から視線を感じた。ケヴィンがそこに顔を向けると、シャルロットが紅く火照った頬を抑え、下から少年を窺っていた。
「もう少しここにいてもいい…?」
ケヴィンは目を瞬かせると嬉しそうに頷いた。顔を輝かせた少女が恥ずかしそうに身を捩らせ、もう一度少年の懐の中に潜り込んだ。
「あたたかいね」
「ああ、そうだな。オイラもあたたかい」
身をすり寄せて暖を取る。相手のぬくもりが流れ込む。
もう言葉はいらなかった。お互いの体温だけが確かなもの。
「もう少し先に町がある。みんな急ぐぞ!」
森の中で見舞われた突然の雨風にデュラン達は走り出した。リーダーの彼に付き従い、仲間の誰もがスピードを上げる。しかし、デュラン達の急な対応にシャルロットは追いつけず、はぐれてしまった。みんなの名前を呼ぶけれど、何の答えも返っては来ない。町の方向はわからない。完全に迷子になってしまった彼女は当てもなく森の中を彷徨い歩いた。歩いて、歩いて、虚ろなシャルロットの目の前には大きな木が枝を広げていた。惹かれるようにその大樹に身を寄せて、脱け殻のように立ち尽くした。
独りなんだ。
そう実感した時には彼女の頬に涙が伝った。留処もなく流れる雫に身を任せて座り込む。仲間との楽しい思い出が一杯詰まっているだけ、置いて行かれた事が痛い。
ヒースを攫われた時以外、一人きりになった事はない。しかも独りの時間は短かった。その後、崖下へ落ちそうになったシャルロットを助けたデュランが傍にいてくれた。
いつも誰かが側にいた。独りがこんなにも辛いものだとは知らなかった。今までが楽しかった分だけ一層深く。初めて感じた孤独感に体を震わせる。冷風がシャルロットの体をなぶっても、シャルロットにはどうしようもない。雨がシャルロットの心に同調したのだろうか、少し強まった。
不意に風が止まった。
風の音は聞こえるのに、風が彼女の体を襲う事はなかった。彼女に覆い被さるように立つ影。おそるおそる見上げた先には、ケヴィンがいた。少し呼吸を乱した彼は、シャルロットの体に冷たい風が当たらないよう、壁となっていた。心配そうに眉を寄せて、少女の目線に合わせ体を曲げた。
「大丈夫?」
髪から雫を垂らし困ったように微笑む少年。
「うん」
雨の中を探しに来てくれた事が嬉しくて、急いで涙の跡を拭い、少女はとびっきりの笑顔を見せた。
「よかった」
ケヴィンが安堵する姿に、シャルロットの孤独感が吹き飛んでいく。
「みんな町で待ってる。雨が止んだら早く行こう!」
「うん!」
何度も少女は頷いた。
元気が良さそうに見える少女にほっとした様子でケヴィンは隣に腰掛ける。それから二人は他愛のない事を話し、雨の止むのを待った。
デュランがこの前どうしただの、ホークアイがアンジェラに叩かれていただの、何でもない話に花を咲かせる。シャルロットはコロコロと表情を変えて鈴を転がすように笑い、ケヴィンも相好を崩した。シャルロットの長舌ぶりに刺激され、ケヴィンも獣人王やカールついてポツリポツリと話し出す。話す事に夢中で、気づいたら少年は肩に重みを感じていた。
「シャルロット?」
ケヴィンが驚いてシャルロットの方を見ると、少年の肩に頭を預け、そのまま眠りに堕ちていた。彼は苦笑して体の位置をずらす。少女の体が冷えないように風除けとなった少年は小さく息を吐いた。
草が揺れる。葉から雫が零れ落ちる。雨音だけが響き渡る。
口数の少ない少年は空を仰いだ。
ケヴィンとシャルロットが目を覚ました時、雨はもう止んでいた。玲瓏として煌めく空の星。辺りには夜の帳が下りていた。
「どうしよう…」
なかなか天候がよくならない為に少し休むつもりが、気がつけば二人一緒に夢の世界に旅立っていた。
「こりはもう、デュランしゃん激怒してまちね」
「仕方ない。謝ろう」
そしてお互いに顔を見合わせて笑い出した。
「じゃあ、行こうか」
差し出されたケヴィンの手に引かれて、シャルロットが歩き出す。歩調を合わせるケヴィンに微笑を浮かべ、シャルロットは嬉しそうに繋いだ手を揺らした。
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