───おひさま、って…ナニ?
───眩しくって、暖かいものだよ。
そう教えてくれたひとは、いつか取り戻したいんだ、と遠い目をして笑った。
おいらは、草原に寝転がって空を見ていた。おいらのいるところはなだらかな丘の斜面だったし、大きな木もないから、遠くの町までよく見渡せた。草の緑に空の青が映えて、とても綺麗に見える。
雲ひとつない、抜けるような(というのだとデュランが教えてくれた)青空。月夜の森にはない、青い、空。
ずっと昔、獣人は人に追われて、昼の世界には居られなくなった。その時、「おひさま」も失ったんだと、誰かが言ってた。…眩しくって、暖かい、昼の世界を照らし出す「おひさま」。ずっとずっと、夜に閉じ込められてから、獣人たちが求めていた、光。
…でも。
おいらは、手を空に差し伸べた。
───暖かくて、眩しくても…こんなにも、遠い───
「こら、こんなとこで寝るなよ」
上から声が降ってきて、伸ばした手の先にひょい、と見慣れた顔が逆さに現れた。表情は逆光で良く分からなかったけど、笑ってるのか白い歯がちょっと見えた。
「…デュラン」
「シャルがブーたれてたぞ。ケヴィンしゃんが遊んでくれないって」
「…」
おいらが答えないでいると、デュランはちょっとため息をついて、おいらの横に腰を下ろした。どうして、って言うかな。怒るかな。ちょっとどきどきしながら、でもおいらは黙ってた。
だけどデュランは、それきり何にも言わない。怒ってもいないけど、笑ってもいない。ただじーっと、おいらの顔を見てる。
なんでかな。なんで何も言わないのかな。なんだかとても息苦しくなってきて、おいらは段々不安になってきた。それでも、おいらは何も言えなくて、でも目を逸らすこともできなくて、黙ってデュランの顔を見てた。
「…お前、今、すっごく気まずいと思ってるだろ」
「え?!」
不意にデュランが笑ってそう言ったから、おいらは、すっかり慌ててしまった。なんで? なんで分かったのかな。
なんて答えていいか分からなくて、やっぱりおいらは黙ってた。それなのに、デュランは「当たりだろ?」って笑った。
デュランは、どうして笑うんだろう。俺は気が短いって、自分でも言ってたけど、おいらも知ってる。それなのに。ビーストキングダムにいた時だって、返事をしないって怒られたことはあっても、笑われたことなんかなかった。それに、…笑われてるのに腹が立たないのも、初めてだった。
思わず身体を起こして、しげしげとデュランの顔を見つめる。それで、腹が立たない理由が分かった気がした。
デュランの瞳が優しいから。暖かい匂いが、するから。そのせいだと思う。
「…デュラン」
「うん?」
「シャルロット、おいらと遊ぶ…楽しい、のかな…」
「楽しいんだろ。あいつが、嫌いな奴にわざわざ近づくタイプに見えるか?」
デュランが軽く親指で指す先には、シャルロットの赤い帽子が小さく見えていた。花を摘んでいるんだろうか、しゃがみこんだ姿はすっかり草に埋まってしまっているのに、シャルロットが動くたびに赤い帽子からこぼれた金色の巻き毛がきらきらと眩しく光を弾く。
「そういうことを気にしてたのか、お前」
「…だって」
呆れたようなデュランの声に、おいらは思わず俯いてしまった。
だって、おひさま、だから。
光って眩しくて、暖かくて、遠い。
「…おいら、しゃべるの、苦手…だし」
「それは知ってる」
間髪入れずに頷かれて、おいらは少し困ってしまった。やっぱりおいら、話すの苦手だ。なんて説明したらいいのか、言葉が続かない。
…でも。でも、おいらは…。
「今更カールのことなんか持ち出すなよ。そりゃもうとっくに了承済みなんだから」
言おうとしてたことを先回りで止められて、唇だけがぱくぱくと無様に動いた。デュランって、どうしてこうおいらの思ってること、すぱすぱ当てちゃうんだろう。
だったら、もっとたくさん分かって欲しい。おいら…上手く言えない。
「…」
黙ってしまったおいらにデュランはまたため息をつくと、空を見上げた。
「…なあ」
デュランが、ゆっくりとおいらを見る。その顔は怒ってなかったけど、笑ってもいなかった。さっきおいらを黙って見つめてた、あの表情。その中で静かに唇が動いた。
「お前さ、そんなに自分のこと、嫌いなのか?」
「…」
おいらは答えなかった。でも、胸の中で誰かが呟いたんだ。
───嫌い。大嫌い。
だからおひさまは眩しすぎて、暖かいのに、遠くて。見つめてはいられないから、おいらはただ俯いてしまう。
だって、おひさまはおいらの姿を照らし出してしまう。大嫌いなおいらの姿を。見たくないのに。見られたくないのに。届かないその距離に、気付きたくないのに。
───暖かいのに独りなんだって、思い知らされたくないのに。
「…俺は、そうでもないけどな」
「え…?」
ぽん、と落ちてきた言葉に、俯いてしまっていたおいらは思わずデュランの顔を見上げた。おいらの視線に気付いたのか、デュランがはにかむように笑う。そうして、身体を捻ると、おいらの顔を下から見上げるように覗き込んだ。
「俺は、好きだぞ。お前のこと」
「…」
「お前がいくらお前を嫌いだって言っても、…俺たちは、お前が好きなんだよ。ケヴィン」
それだけ言うと、すい、と離れる。その時、一筋の赤が風に流れるのが見えた。赤い金色、…違う。炎の色。風に流れるデュランの髪が一筋、陽に透けて輝いてた。
いったん暴れだすと手がつけられなくて、何もかも焼き尽くす恐ろしいもの。なのに、凍えた身体を温めてくれる、優しいもの。いつのまにか皆が集まって笑いあう、不思議なもの───炎。
昔おいらに「おひさま」のことを教えてくれたひとは、おひさまは空の炎なんだと言っていた。
…おひさま。おひさまが、ふたり。
どうして?
おいらは。
皆に嫌われてて。
トモダチを殺して。
おいらもおいらが嫌いで。
何もできなくて。
なのに。どうして。
おひさまは。
「…なあ、知ってるか?」
頭がぐるぐるして、また俯いてしまったおいらに、デュランはちょっと笑みを含んだ声で言った。
「一生でさ、一番長く付き合うことになるのって、誰だと思う?」
「…?」
なんで急にそんなこと言うんだろう。分からなかったけど、おいらは恐る恐る言ってみた。
「…家族の、ヒト?」
「ブーッ。ハズレ」
予想してたんだろう。デュランは楽しそうに笑うと、ごろりと草に寝そべってしまった。
「じゃあ、誰だよ」
こういうなぞなぞ、おいらはあんまり好きじゃない。ちょっとむっとして、デュランを睨む。デュランは軽く前髪を掻き上げると、親指で自分の胸を指した。
「てめえ自身だよ。生まれてから死ぬまで、『自分』とは別れられないだろ?」
「…」
「親兄弟、友達、誰でもない。俺は『俺』を、お前は『お前』を生きていくんだ。誰も代わってはやれないし、───誰の代わりにもなれない。好きだろうと、嫌いだろうと…な」
デュランはそこまで言うと、おいらを見上げた。藍色の瞳が穏やかに笑っている。
「だから、『いつか』でいい。いつか───お前も好きになってやれよ、『お前』のこと。『お前』であることを、誇らしく思えるようなお前になれ」
「…そんなの」
分からないよ。おいらは、デュランじゃない。デュランみたいに、自信なんかないし、シャルロットみたいに、輝いてもいない。
そう思った途端に、デュランの右手がおいらの耳を引っ張った。
「痛!」
「こぉら。まーた考えこんでんな?! どうせ『おいらはデュランじゃない』とか思ってたんだろうが」
「う…な、なんで…」
なんでこう、お見通しなんだろう。それともおいら、声に出てた?
「お前の表情は読みやすいんだよ」
デュランはけらけらと笑った後、ちょっと真面目な顔で続けた。
「俺になんて、なる必要はないんだよ。お前はお前のままでいい。…なあ? 世界にゃ数え切れないほど人間や獣人がいるけど、『俺』や『お前』、『シャル』は一人しかいないんだぜ?」
分かるか? そう訊かれて、おいらはやっと頷いた。それを見て、デュランがにっこり笑う。
「だからさ───…そうだな。とりあえず今は、…お前が嫌いだって思ってる『お前』のことを好きな奴が、少なくとも二人はいるってことを、心の隅っこにでも置いといてくれりゃ、それでいい」
「…うん」
もう一度、頷く。本当はデュランの言ってることは、ちょっと難しくてよく分からなかった。でもほんの少し、気持が軽くなっていて。隣に寝そべったデュランの温みが心地よくて。
だから…おいらも何か言いたくて口を開いた。
「デュラン」
「ん?」
藍色の瞳が、金の光を弾いてる。おいらの髪の色が映りこんでるんだって気が付くのに、少しかかった。
「なんだ?」
訝しげな声に、はっと気を取り直して、もう一度口を開く。おいらの、一番、今言いたいこと。
「…その、…ありがと」
くすり。そんな音がしそうな笑みを浮かべて。デュランの唇が動いた、その時。
「こおらーー! あんたしゃんたちは何サボってるでちかーーーッ!! はたらけぇー!!!」
ばさばさ、と音を立てて降って来た花だの草だの泥だのに、おいらたちは大慌てで逃げ出したんだ。
「まったく、ひでぇことするよなあ」
「うるさいでちね。かよわいオトメをはたらかせて、何おしゃべりしてたでちか。あやしいでち!」
まだこびりついている泥を叩きながら文句を言うデュランに、シャルロットがあっかんべぇをしてそっぽを向く。おいらはただ、ごめんねとくり返すしかなかった。旅に必要な香草を摘んでたのに、おいらがぼんやり考え事してたから。シャルロットは、じぃっとおいらを見上げた後、もういいでち、と言ってくれた。
「そのかわり、何のお話してたか、きっちりハクジョーするでち! ネタは上がってるでちよ!!」
「う…」
ネタってなんだろう。シャルロットは、時々デュランとは違った難しい言葉を使う。でも、何の話をしてたかって訊かれると、おいらも困る。だって、デュランの話も難しかったから。
数歩前を歩くデュランは助けてくれる気はないらしくて、振り返りもしない。困ったおいらは、デュランがおいらにした質問を、シャルロットにぶつけてみた。
「シャルロット、自分のこと、好き?」
「当たり前でち」
迷いもなく、あっさりとシャルロットは胸を張った。おいらが呆気に取られてるのを見て、ちょっと決まり悪そうに続ける。
「そりゃ、このジュンシンカレンなびしょーじょのシャルロットちゃんだって、自分にムカツクこともあるでちよ? でも、シャルはこの世にシャルしかいないでち。嫌いなところは、直せばいいでちよ。そうすれば、もっと好きになれるでち。…違いまちか?」
おいらは、きっととても間抜けな顔をしてるんだと思う。なんで、分からなかったんだろう。
嫌いなところは、直せばいい。
そんな風に、考えたことなんか、なかった。直るとか直らないとか、そんなことすら。
「…直せる、かな」
「まあ、そうカンタンにはいかないでちね」
シャルロットが、そっとおいらの指先を掴んだ。
「…いっぱい、シッパイしちったけど、でも、直そうと思ってがんばってれば、いつかは直るって、おじーちゃん言ってたでち。だから、シャルもがんばるんでち」
えへへ。そう笑うシャルロットはとても眩しくて。掴まれた指先が温かくて。
おいらはやっと、デュランの言葉の意味が少し解った気がした。
───いつか…お前も好きになってやれよ、『お前』のこと。『お前』であることを、誇らしく思えるようなお前になれ。
「…うん」
おいらも、がんばってみるよ。おいらのこと、好きになれるように。
急に黙ってしまったおいらの手を、シャルロットが軽く引っ張った。視線を落とすと、シャルロットの水色の瞳がおいらの顔をじっと見つめていた。
「お話って、そのことだったでちか?」
「うん。…おいら、おいらのこと、好きじゃない、から」
「…」
シャルロットが、視線をデュランの背中へ向ける。そうして、再びおいらの顔を見た。
「デュランしゃん、何て?」
「いつかでいいから、好きになれって」
聞こえているだろうに、やっぱりデュランは振り向かない。怒ってるのかな。ちょっと不安になったところで、またシャルロットが手を引っ張った。なんだかとても真面目な、ちょっと怒ったような顔をして、おいでおいでをする。どうしたのかな。立ち止まって身をかがめると、少し背伸びをしたシャルロットがおいらの耳にそっと耳打ちした。
───シャルもね、ケヴィンしゃんが大好きでち。
シャルロットの息が、ほんのり温かくて、くすぐったい。風よりも小さな囁きの声が胸に染み込んでくる。
───だからね。
そっと体が離れて、シャルロットの小さな手がおいらの手を強く握り締めた。
「だから…ケヴィンしゃんも、ケヴィンしゃんのこと、好きになってあげてくだしゃい!」
最後の言葉を叫ぶように言うと、シャルロットはぱっと手を離して走り出してしまった。シャルロットは結構足が速くて、前を行くデュランを追い抜かしそうになっている。おいらの手には、まだシャルロットの手の温みが残っていた。
おひさま。眩しくて、暖かくて、何もかも明るく照らし出すおひさま。
怒り出すとちょっと怖くて、でも温めてくれる、おひさま。
「…っ」
おいらは、息を吐くと走り出した。そして、大きな声で呼びかけた。
「シャルロットー!」
シャルロットがちょっと立ち止まって、おいらを振り返る。その小さな姿に、おいらは思いっきり大きな声で叫んだ。
「ありがとー! おいらも、シャルロットのこと、大好きだーー!!」
「な」
ぼんっ。
そんな音のしそうな勢いで、シャルロットの顔が真っ赤になった。一瞬固まった小さな体が、ばたばたとすごい勢いで地団太を踏む。
「なななななんば言いよっとでちかあんたしゃんはー!? そそ、そんな大声ではずかしーセリフ言うなでち!! …って、笑うなそこーーーッ!!」
びしっと指差された瞬間、向こうを向いたまま肩を震わせていたデュランが、弾けるように笑い出した。な、なんかおいらヘンなこと、言った?
「ど、どうして? おいら、二人のこと、大好きだぞ。シャルロットも、デュランも、おいら好き、言った。なんか、変か?」
「いや、お前はおかしくない。大丈夫だ」
苦しそうに涙まで流して笑いながら、デュランがおいらの肩を叩いた。
「うん、ありがとうな。嬉しいよ」
まだちょっと苦しそうに、それでもデュランはにっこり笑ってくれた。それを見て、シャルロットが不機嫌そうに頬を膨らませる。本当に何が悪かったんだろう。まだちょっと顔が赤い。
「なんでデュランしゃんは照れないでちか…」
「そりゃーお前」
もうすっかりいつもの調子に戻ったデュランが、おいらの隣でにやりと笑う。
「こーれがオトナのヨユーってやつかなあぁ?」
「きいぃぃくやしーでちぃぃッ!!」
再び地団太を踏み出したシャルロットと、明るく声を立てて笑うデュランと。
ふたつのおひさまが、おいらのそばにいるんだって…おいらのこと、好きなんだって思ったら。
ちょっぴり…ほんの、ちょっぴり、だけど。
…おいらは、「おいら」のこと───誇らしく、思った。
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