その日がいかにして「特別」な一日となったのか
その理由を知る者はすでになく
それを探求することに、人々は意味を求めない
それでも、「その日」は変らずここに存在する
その日を待つ誰かのために
その日を思う誰かのために
その日に願う誰かのために
その日に祈る誰かのために
時は、ここに生きる全ての者に訪れる
荒れた大地に立つ者へ
乾いた風に向かう者へ
この空の下に生きる、全ての者のもとへ
荒野のメリークリスマス
〜ジェット&花園の少女〜
それが幸せだと、思っていたのです。
誰からも忘れられた小さな小さなこの場所で、私はずっとこの子達とだけ生きてきて、これからも生きていくと思っていました。
風が吹く時、強い日差しが照りつける時、そして雨が降る時。
私が思うのはこの子達のことばかり。
この子達が芽吹き、葉を広げ、花を咲かせ、種を落として枯れてゆく様を、繰り返し繰り返し見守ってきました。そうやって厳しい大地に根を下ろした希望が、少しずつ世界に広がっていくのを…何かが変っていくのを、ここで信じて待つことが、私のすべてでした。
昨日も今日も明日も同じように過ぎて、「特別」に思うものなどありませんでした。
でも、私はそれで幸せだったのです。
それ以上を、それ以外を望むことなどなかったのです。
北風が強さを増していく日々の中、今年も、その日が近づいてきた。
その日が何のためにあるのか、今まで、そんなことジェットにとってはどうでもいいことだった。正直いまだにクリスマスに対する人々の浮かれぶりにはついていけない。
何を祝福するのかすら誰も知らないのに、その日は昔から「特別」な一日だった。
その日は、皆で贈り物を交換したり、町や家を着飾ったり、歌ったり踊ったり騒いだりする。家族でその時を過ごす者もいるし、親しい友人や恋人と楽しく夜を明かす者もいる。
でもその日…クリスマスがどうして「特別」なのか誰も知らない。
それなのにどこの町でも、どこの村でも、その日が近づくと皆弾けんばかりの笑顔で、指折り数えてその日を待っている。
ジェットの半径3メートル内の連中も例外ではない。むしろ進んでその日に踊らされている奴らばかりだ。
そして実際、目の前にも一人いる。
「…あんた、商売替えでもしたのか」
古びたクレーンのすぐ下、ジョリー・ロジャーでのいつもの定位置に陣取っている行商人をまじまじと見つめて、ジェットは呆れたように呟いた。
「どうしてですか?」
一体どこから調達してきたのか、赤い帽子と赤い服、おまけに白い付け髭まで装備して、のほほんと「どうしてですか?」と答えるリュックマンに、ジェットは「てめぇもか」と心の中で呟いた。
「その格好とこの品揃えを突きつけて、何を言いやがる」
いつもは言われたものをそのリュックから取り出して渡す形で商売しているのに、今は目の前に麻布を敷いて、露天売りさながらにアクセサリーや小物などを並べている。
「いやぁ、これは期間限定のサイドビジネスですよ。今年も近づいてきましたからね…何をプレゼントにしようか困っている人からは、けっこう重宝されてるんですよ」
ちなみにこの格好も期間限定です、と照れ笑いするリュックマン。
そんなことは聞いていない、とそこまではジェットも言えなかったが。
本当はアイテムの買い足しに来ただけなのだが、なにもつっこまずに素通りするにはあまりにも奇怪な(とジェットには見えた)リュックマンに引きずり込まれるように、気がついたら、ついつい並べられている品物に目を向けてしまっている。これも戦略の一つなのだろうか…。
置いてあるものはどれも若い娘が好みそうな装飾品だ。聞けば、やはり恋人や想い人のために買っていく男性客がほとんどらしい。
「どうですか一つ、確かリーダーさんも年頃のお嬢さんでしたよね」
「…冗談。確かに形容は間違っちゃいないが、うちのリーダーはいろんな意味で花より団子な奴だからな。万が一にでもあいつのものになんてなったらこいつらが気の毒だ」
ずいぶんな言い草だが間違ってはいない。それでも本人がこの場にいたら「そんなことないっ」と猛然と攻撃されるのは火を見るより明らかだろうが。
「それにしても、どうしてわざわざ贈ったり贈られたりに必死になるんだ」
やっぱり分かんねぇな、とぽつりとこぼす。
「さぁ…私は専ら売る側なので何とも言えませんけど」
少し考えるような素振りをするリュックマンを、ジェットはじっと見る。
「きっと、何かを伝えたいからじゃないですか」
衣装にさえ目をつぶればとてもいい事を言っている行商人に、ジェットは聞き返すような眼差しを向ける。
「だったら直で言えばいいだろ、その方が手っ取り早いし金もかからない」
夢もロマンもめった切りにするようなジェットの発言に、リュックマンは少し困ったように付け髭を撫でる。
「でも、そういう人ばかりじゃないから、きっとこの日は残ってきたんでしょうね…その日がある理由も、その日の意味もとうに失われてしまったのに。それでもその日が「特別」なのは、その日に残った習慣を借りて…贈り物に託して、自分の想いを誰かに届けたいという人が、いつの時代にもいたからだと…私は思うんです」
ちょっと説教臭くなりましたかね、と照れながら言うリュックマンの言葉に、ジェットは表情一つ変えず、それでもこれ以上ないほど真面目に聞き入っていた。
贈り物に託して、自分の想いを誰かに届けたい…。確かに、世の中には自分の周りにいる連中のように自己主張が激しい奴ばかりではない。顔見知りには絶望的にそういうタイプは少ないから、実際どうなのかは分からないが。
いや、一人いたか…。
あいつみたいな奴のためには、たしかにその日は必要かもしれない。
ジェットはふと、一人の少女の顔を思い出した。
誰も立ち入らないような深い森の向こう側の小さな家に、一人でひっそりと住む少女。
ふとしたことで知りあって、今は彼女の善意でその庭の一部でアイテムの栽培をしてもらっているから、彼女の花園に立ち寄ることも多い。
訪ねる度に、とても嬉しそうな顔をする。見たことがないほど優しい笑顔をこぼす。
そしていつも何か言いたそうな仕草をするのに、彼女は多くを語らない。
それでもジェットは、彼女の森の色にも似た緑の目に見上げられるたびに、何ともいえない気持ちになる。
旅の最中、草も生えない荒野のど真ん中で、時々とてもあの笑顔に会いたくなる。
その思いを何と呼ぶのか、ジェットにはまだ分からない。
「そう言われると、少しは納得できるような気がする」
ジェットがそう言ってふっと笑うと、それはよかったとリュックマンも相槌を打った。
「…それで、どうですか? 」
リュックマンはにっこりと笑って商品を指差す。この辺りの柔軟性はさすが商売人といったところか。
「言われても…」
ジェットは苦笑しながらも麻布の上を見回す。その視線は、ふと隅の一点で止まった。
そこには美しく彫刻された装飾品に隠れるように、髪飾りに使うリボンがいくつか置かれていた。ジェットの目に入ったのは、その中でもさらに目立たぬように埋もれていた、何の飾り気もないシンプルなデザインの緑色のリボンだった。
何が気になったというわけではない、ただどことなく少女の瞳に似た色だと思った。
あいつに、似合いそうだな…。
少し考えた後、ジーンズのポケットに手を突っ込んで、自由に使えるギャラの残金を確かめる。贈ったり贈られたりに必死になるなんて分からないと言っていた、その舌の根も乾かないうちに自分は何をしてるのか。
本当に笑うしかない変わり身の早さには、自分でも少し呆れる。
でも、どこかでそれを楽しんでいるような気がしないでもなかった。
今日が「特別」な日なんだと、教えてくれたのは彼女でした。
話を聞いて、なぜだか私はざわざわとした気持ちになったのです。
落ち着かなくて、どきどきする、そんな気持ちでした。
ふと、あの人の顔が浮かんだからかもしれません。
その人は優しい人です。
あまり喋らないし、あまり笑わないけど、とても優しい人なのです。
その人は、仲間の皆さんと一緒にこの土地の壊死を止めてくれました。
立ち寄ってくれた時は、いつも時間がある限りこの子達の世話を手伝ってくれます。
大変だからいいですと止めたのに、この前は屋根の修理まで…。
ううん、目に見える部分のはほんの一部。
あの人には、見えないところで伝わってくる優しさがたくさんありました。
でも、私があの人にしてあげられることはほんの少しです。
でも、そんなほんの少しでも、精一杯頑張れば役に立てると信じています。
私は変りました。
私と、この子達しかいない世界にあの人達がやって来て、まだほんの少ししか経っていないのに、私はあの人達に会えない時間を、以前は当たり前だった一人きりの時間を寂しいと感じるようになりました。
昨日も今日も明日も同じように過ぎて、「特別」に思うものなどない日々、私は幸せでした。悲しいことも、寂しいこともない毎日でしたから。
でも今は、それよりも幸せだと思います。寂しいと思うことも、悲しいと思うこともできました。でも誰かと一緒にいて嬉しいと感じたり、喜んでもらえてよかったと笑うことを覚えたのですから。
それにあの人にも会えました。
今でも覚えています。初めて会ったのに、とても懐かしい人でした。
微かに、この子達と同じ鼓動を持った人でした。
不思議な人だと思いました。そして寂しい人だと思いました。
どうしてかは分かりませんでしたが、でも、あの人は独りなのだと感じました。
仲間の皆さんといても、まだ、あの人は独りのままでした。
とても悲しいと、思いました。
自分のことではないのに、それ以上に悲しいことでした。
同時に、私はそう思うようになった私に戸惑いました。
どうしてこんなにあの人のことを考えるのか、私には分かりません。
知らないことばかりで、分からないことだらけの気持ちです。
でも、一つだけ分かることがあります。
叶うことなら、今日あの人に会いたかった。
「特別」だというこの日に、私はあの人に会いたいと思いました。
それ以上を、それ以外を望むことなどなかったのに。
それでも、やっぱり会いたいのです…。
少女の花園に着いた時には、すでに夜も更けていた。
ジェットの性格を考えると、結局握りつぶしてしまうという展開も十分ありえた。それを遅くはなったがちゃんとここまでやってきたのだ。彼を知る者が見れば、信じられないくらい大胆な行動だと思うだろう。
もっとも、崖から突き落とさんばかりの強烈すぎる後押しがあったことも事実だが。
正直うかつだった、それはもう劇的にうかつすぎた。
衝動的に買ったはいいが、悩み多き年頃の少年らしく、渡す渡さないでギリギリまで悩んでいた。その現場を単純かつ男のデリカシーを理解するには経験の足りないヴァージニアに見られたのが、最大の敗因だったと思う。
『男の子なんだから、覚悟を決めて行ってきなさい!!』
一体どういう理屈だそりゃ、と思ったことを口にする間も与えられなかった。所詮口では敵わないと今まで散々思い知らされてきたが、ここまで圧倒的に翻弄されることは、今まででもちょっとなかったことだ。
早い話が、事情をあらかた吐かされた挙句、否という選択肢を取り上げられて宿から放り出された。しかも「ちゃんと渡すまでは帰ってくるな」というあたたかい応援付きで。
日頃リーダーとは別に、ジェットの姉貴分を気取っている彼女としては、根は優しいのに不器用無愛想極まりない「弟」の気持ちを、ほんのりと後押ししてやりたかったのだ。
実際は随分と荒っぽい展開になったことに、気づいているのかは定かではないが。
それでも結局、ジェットはここにやって来た。
踏ん切りをつけさせたのは、無茶苦茶極まりないヴァージニアの後押しだったが、それでもここに来たのはまぎれもなく自分の意思だった。
まるで魔獣と対峙しているかのような真剣な眼差しで、たっぷり十分は外でうろうろしてから、やっと扉を叩いた。
しかし、返事はない。
もう寝ているのだろうかとも思ったが、窓からは微かに灯りがこぼれている。ジェットは少し迷った後、悪いとは思ったが、主の許可なく扉を開けさせてもらうことにした。
「悪いが、勝手に邪魔するぞ」
一応そう断って覗き込むように中に入る。
ベッド代わりに置かれたハンモック、壁に立てかけられた花壇の手入れのための道具類、自家製のピクルスの入ったツボ、火の消えた暖炉、そして…。
「…いくら何でも、無用心すぎるぞ」
頼りない蝋燭の灯り一つだけが揺れているテーブルに突っ伏して、少女は小さな寝息を立てていた。
「誰かが無断で入ってきたらどうするんだよ…俺みたいに」
結果的に無断侵入以上の悪いことをしたような気分だ。
少女はまだ、ジェットの存在に気づかない。ジェットは、恐る恐る少女に近づく。
蝋燭の仄かな灯りに浮かぶ少女の寝顔は、どこまでも無垢で、優しい表情をしていた。
触れたいという思いが、ふいにジェットの胸をよぎった。
否、思うより先に、そろそろと手を伸ばしていた。荒っぽい仕事であるはずの渡り鳥のものにしては華奢な指が、ためらいがちに少女の頬に向かう。
ほんの指先だけ、触れるか触れないかというほどにわずかな感覚。それでも少女がここに、目の前にいるのだという確かな実感をジェットは感じる。
これはひょっとして、とても幸せなことなのかもしれない。
どうしてだか、そう思えた。
遺跡で値打ち物のお宝を見つけた時や、思わぬ儲け話をモノにした時。そんなジェットが今まで思ってきた幸せとは全く違う。そう思う自分に、戸惑いもするが。でも、自分は今、この少女を前にとても満たされたものを感じている。
少女の肩が、わずかに揺れた。ジェットは驚いて飛びのく。
飛びのく、どころではなく壁際まであとずさる。何もやましいことはしていないのだから、そんなに過剰反応することもないはずだ。しかし落ち着いて理由の一つも語るだけの余裕など、ジェットにあるはずもなかった。
「…あ」
ゆっくりと身体と起して、まだ半分とろんとした目をこすりながら、少女がこちらを見た。
どうしよう、とジェットは身体を強張らせる。無断で入って悪かったと謝るなり、久しぶりだと声をかけるなり、とにかく何か言わなくてはならないとは思った。
思っても、それができるかどうかは別問題な訳で…。
少女の方は、どうしていいかわからずに、顔を真っ赤にしながら視線を泳がせているジェットの姿を見て、驚いたように大きな目を見開いて立ち上がった。
「いや、その…これは…だな、まぁ…いろいろといきさつがあって…つまり…」
突然立ち上がった少女の姿に、ひょっとして、やっぱり気を悪くしてたのではないかとジェットは慌てる。それでも相変わらず口から出るのは支離滅裂な言葉ばかり。仲間には決して見せられないほど、それはそれはうろたえている。
少女は、そんなジェットの様子に何も言わず、一人百面相を続ける彼の顔を見上げて歩み寄ってくる。その様子は暇があればダッシュでヘッドロックをかけてくるギャロウズや、ゲイルクレスト使用で突撃してくるヴァージニアとは少し、いやかなり違っていた。
ためらいがちなおずおずとした足取り、ジェットはどう接していいのか分からない。
ジェットの目の前までやって来て、少女は足を止める。
そして。
包み込むように、両手でジェットの頬に触れる。本当に彼が目の前に、自分の側にいることを確かめるように、何回も、何回も。
「会いたかったのです」
ふわりと笑って、少女は言った。
「とても、会いたかったのです」
例えるなら、花のような笑顔だった。無垢なだけでなく、可憐なだけでなく、包みこむような優しさと、内の強さを滲ませた笑みを向けられて、ジェットは黙ってその眼差しを受けた。もしかして、自惚れてもいいのだろうか。この日に会いたいと願ったのは自分だけではないと、そう思っていいのだろうか。
「今日は特別な日だから、あなたに、会いたかったのです…」
ジェットは少女の笑みに応えるように、口元を緩ませる。
そして、ためらいがちに少女の手を覆うように、自分の手をそっと重ねる。
「特別…か」
目を閉じて、少女の熱を確かめるように小さな手を包む手に力を込める。
何となく分かった気がする。あの行商人の言っていた意味とは少し違うけど。こういう気持ちになれるから、今日は「特別」な日でありつづけたんだろう。昔も、そして今も。
「そんな日に、待っててくれたのか」
ジェットの言葉に、少女はまた、こぼれんばかりの笑顔を浮かべる。
そんな少女の姿に、自分もこの日彼女に会えてよかったと、心から思った。
ひどく使い古された言い回しかもしれないが、ジェットにとっては、特別な日に、自分だけに向けられたその笑顔は、何よりの贈り物に思えた。
「綺麗な色ですね」
収穫したベリーやキャロットを手渡す少女のちょっとした変化に、最初に気づいたのはクライヴだった。
「よくお似合いですよ」
いつも三つ編みを留めていた金属製の髪飾りが、緑色のリボンに変っているのを見て、クライヴは彼らしい穏やかな笑みをたたえて言った。それを横で聞きながら、ジェットは赤面してマフラーに顔をうずめ、ヴァージニアは意味ありげな笑みを浮かべてそんなジェットを楽しげに眺め、ギャロウズはそんな2人を見て何なんだと首をかしげる。
「…ありがとうございます」
少女は微かに頬を赤らめながら、にっこりと笑った。
「大切な人からのプレゼントなのでしょうね…きっと」
嬉しそうな少女の顔を見て、クライヴは何とはなしにそう思った。
「はい」
ちらりとジェットと方に視線を向け、小さな声で、それでもはっきりと言う少女。
そんな少女の姿にどこか照れくさいものを感じながら、仲間達に見られないように、ジェットはそっとポケットに手を忍ばせる。
その中にあるのは、2人しか知らないあの日の想い出。
少女からもらった、特別な日の贈り物。
彼女があの日くれたのは、花のような笑顔とあと一つ。
花の咲くこの里の息吹をいっぱいに詰めた、手作りのポプリだった。
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