彼女は憧れの人だった。
自分の望み、選んだ道を押し通し、突き進む決意は強靱だ。生まれながらに強制された足枷を、拒絶したり逃げ出そうとしたりしない責任感も秘めている。それでいて宿命に流されない自己の確かさを持ち、示された理不尽な義務に既成事実として服従するのではなく、納得の出来る形での全うを果たそうとする。直接的に責を負わされるのではない苦境や事態をも、確固たる意志を以て突破しようとしているのだろう。
何よりも、仲間と呼べる人たちがいる。共に旅し、魔族を倒す同じ目的の為に力を合わせられる相手がすぐ傍らにいる。ガーディアンの巫女であり、クレストグラフを操ることができる能力も関係してはいるだろう、しかし彼女自身の持つ魂の力にやはり導かれ、繋ぎ手となっているように思える。想い人を追い、手を取り合い戦える強さは決してマリエルには持ち得ないものだ。
どちらかと言えば華奢な、少女という似た外見を備えているからこそ、羨望も憧憬も大きくなる。姿を見せに来てくれる度、思い知らされる。何故この人はこんなに強くいられるのだろう、そして自分はどうして何もできないのだろう。土の上に膝を落とし花を眺め、ザックやハンペンと言葉を交わしては公人らしからぬ楽しげな笑顔を開かせるセシリアへと、マリエルは真っ直ぐではない眼差しを向けている。半ば意識は薄れ、その為怪訝そうな表情で見てきているもう一人の人物に気付くのが遅れた。
静かに足音は近寄り、影は右隣に付く。真横に並んだ形で、マリエルと同じ方向へと視線を投げた。
「セシリアを見てたんだ」
小さく、しかし明瞭に尋ねてきた。マリエルは俯き、僅かな動作で頷いてみせる。
「好きなんだね」
短く発せられた言葉にロディを見遣ったが、隣から眼差しが返ることはない。穏やかな顔に笑みを浮かべ、それは誰に対するものなのか。マリエルの深層が捻られたかの感覚に包まれる。痛みを生じさせたのは、憧れの彼女に敵う術のない諦め、慕う人の心が他へと指し示されていることを思い知らされた切なさ。
どちらが本当なのだろう。どちらも本当だというなら、より強いのはいずれなのだろう。
「強いですよね」
声を絞り、呟いた。ロディから外した視線を、斜め下方へと落とす。
「自分で考えて旅をして、自分の手で、戦えて」
途切れつつの言葉は、隣にしか届かないものだ。それでも醜い羨みの心は、自分の知るどのエルゥよりも柔らかく、ファルガイアに住むどの人間よりも繊細な心を持つ彼に悟られてしまうだろう。消え入るように声を飲み、口を噤んでしまったマリエルに、ロディは初めて顔を動かす。
「強いから、戦うんじゃないよ」
諭す言葉は厳しさを漂わせている。しかし口調はそぐわない程の穏やかさを未だ保っており、マリエルは再び顔を上げる。自分へと向けられた視線が羞恥が胸を襲うものの、包み込まれたような感覚は俯くことすら許さないかに思わせる。弱々しく、しかしながら真っ直ぐに見つめる中で、再びロディが口を開く。
「戦うから、強くなれるのでもないし」
「それじゃあ」
どうして一緒に戦っているの、口腔内に溢れた思いを飲み込む。彼女の持つ力を認めたからこそ、共に戦っているのではないのか。口にすれば、おそらくは卑屈さしか持ち得ないであろうその疑問を発するのは憚られ、マリエルは再度視線を落とす。土を見下ろし、組み合わせた指の繋ぎに心持ち力を込める。また自分は逃げている、向き合ってくれる人と距離を置こうとしている。弱くいることしかできない、怯えることしかできない。慣れた筈の落胆を、妨げるかにロディが言った。
「みんな、強いんだ」
短く作られた科白は、抵抗なく脳裏を通り過ぎる。しかしその抽象的な響きは、消し去るには何処か重みを秘めている。顔は伏せたまま、マリエルの瞼が僅かに熱を帯びたのを感じた。
「強くなりたいって思えばそれだけでいいんだ」
「強く、なりたい?」
「今までの自分に負けない為に、何かを変える為に強くなりたいって思えば」
一旦ロディは言葉を切る。そこでようやく自分の方に投げられた眼差しに、嬉しそうに微笑んだ。
「誰だって、強くなれるよ」
マリエルは表情を心持ち固めた。疑いや怯えなどはない。つい先程まであれだけ心を占めていた筈の劣等感すら気付くことができない位に薄れてしまっている。今確かに自分へと向けられている、自分だけの為に開かれた笑顔の存在は、言葉を表されたまま受け入れるには充分すぎるものだ。願うことから心の強さに繋がる、ならばエルゥとしての宿命、贖罪に囚われたからだけではなく、ファルガイアの地に成せることを果たそうと望みたい。どれだけ大変なことかは知っている、しかし抵抗なく思えた。
声にしてはいないとは言え身の程知らずとも言える感情に、恥ずかしげな笑みを浮かべたマリエルに、ロディは安堵の交じった顔へと変える。視線をゆっくりと外すと正面へ向け、ふと吹き流れてきたそよ風にくすぐったそうに瞳を細める。眉を顰める不愉快そうなものではなく、穏やかさに溢れた面差しでバンダナを僅かに揺らしつつ、白い花の傍に跪いたセシリアを見守った。
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