「竜殺しの横顔」





 眼前で展開される凄まじい死闘を呆然と見詰めながら、これは罰なのだ、とシエラは思った。私への。弟の思いを真に理解し得なかった我が身への。ラルク…、とシエラは呟き、小さく頭を振った。
 ……狂ってなどは、いなかったのだな。
 主・ティアマットの手先となり、各智慧の竜が護るマナストーンの力を集めている。――――噂に聞いた時は、まさか、と思った。だが、いざ弟が目の前に現れ、その相貌を目にし、そしてその爛々とした眼光と対峙した時、彼女は身を裂かれるような衝撃と共に考えを新たにしたのだ。弟は、狂ってしまったのだ、と。さながら魔物の吐く毒息で草花が敢えなく萎れるように――――ラルクの意思、不変のものと信じていたその気高い正義感までも又、萎れてしまったのだ、と。
 今思うと逃げていたのかもしれない。弟が、「自らの意志」で、世界と――――否、「私」と敵対しようとしている。そんな事を認めたくはなかった、それ故に。だが、それは誤りだった。
 ――――俺は、もう一度、姉さんと……
 最期の台詞を聞いた時、姉は初めて弟の真意を知った。伸ばされた、震えるその手を取って抱き締めてやる事も、まともに言葉を掛けてやる事も叶わず、彼女は只哭いた。……愚かだ、愚かだ弟よ。お前との約束など、あの老獪なティアマットが物の数に入れる筈がない。それが分からなかった訳でもあるまいに、それでもお前は。
 そして、次に湧いて来たのは自身への怒り。――――何を言う、一番愚かなのは私ではないか。弟は、狂った。そう考える事で、ドラグーンたる己の使命に忠実であろうとし、それに埋没する事で、それ以上考える事を放棄したのだ。たった一人の弟の思いを、たった一人の姉が、見抜く事叶わなかった。狂っていたのは、私の方ではないのか。
 これは、罰なのだ。
 弟の「死」、ティアマットの居城・焔城の復活、そして、おそらくこれが最後となるであろう戦いの行方を、最早見守る事しか出来ない自分。何度も踏み出そうとするが、その度に脇腹を押さえて彼女は呻いた。何度も地へ叩き付けられ、遂にアバラが何本かやられてしまったようだ。何てザマだ。ドラグーンの使命を全うする事、それすらも第三者である「彼」に委ねざるを得ないとは。……否、第三者であろうとする事など、最早彼自身が認めぬであろう。そういう男なのだ。――――責任は、取る。奈落へ入る前、彼は何時になく厳しい表情で、そう言った。そして、それ以上の言を拒むように背を向けた。その背が微かに震えているように見えたのは、果たして錯覚であったろうか?
 今、竜の放つ、斃れ伏したくなるような殺気の渦中、只独りで戦っているその男を、彼女は胸も潰れる心地で見詰めている。図らずもティアマットを倒す最後の希望となった彼、しかし、彼女の目には最早潰えそうな、余りに危うい希望と見えた。
 「――――涼月!!!」
 これで何度目だろう。愛剣を杖によろりと立ち上がったその男へと、シエラはあらん限りの声を振り絞った――――





 ――――哭かないで、シエラ。
 涼月にとってそれは彼女の慟哭に等しかった。終わらせる。きっと終わらせてみせる。涼月は額から這い落ちる血を汗と共に煩そうに拭い、前方に立ちはだかる「敵」を睨み付けて、小さく苦笑した。正直な所、竜と戦うのは金輪際御免だ。そんな事を思った。
 ――――紅き堕帝・ティアマット。メガロード、ジャジャラと、二体の竜と戦ったが、流石にマナストーンの力を吸収しただけはあって、彼等とは桁外れの闘気だ。取り巻く大気も、悲鳴を上げるかのようにビリビリと震え、ともすれば涼月を恐怖の谷へ逐い落とそうとする。疲労と無数の裂傷で四肢の感覚が遠くなって来る。帽子と手袋が血を含んで更に紅く染まり、じっとりと重い。だが、疲れているのはきっと自分だけではない。手応えは、ある。その証拠に。
 『矮小なる人間にしては、やりおる。』
 紅い布が裂けるように、その口許が嗤った。――――話し掛けて来た。小休止という訳か。油断なく剣を構えつつ、涼月も僅かに唇の端を上げた。
 「……それは、どうも。」
 『惜しいの……それだけの力を持ちながら……。』
 竜は値踏みするように目を細める。
 『……我に刃向かうのは、賢い選択とは言い難いが……な。』
 「失敬だな。貴方よりは賢いと思うけど。」
 『――――何、だと……………?』
 陰鬱な瞳がぎらりと光る。
 「誰よりも力がある事を支配の理由にするって思考が、短絡的だって言ってるのさ。」
 シエラはハッと息を呑んだ。何を言っている?これ以上奴を刺激してどうなるというのだ?その時竜は皮肉めいた笑みを浮かべた。
 『世界に生きる全ての生物の頂点、それが智慧の竜。……あの青二才や老い耄れがキサマに敗れ、ヴァディスが我の前に屈した今、我こそが最強……』
 分かるか、涼月――――そう言って竜は、ざん、と一歩前へ踏み出した。大きな地響きと共に埃と殺気が舞った。涼月の身体程もある巨大な爪が、不気味に光る。あの爪に接触したが最後、この身は見る影もなく引き裂かれてしまうだろう。竜は咆えた。
 『強者が弱者を支配する、それこそがこの世の理!!力ある者の前に弱き者は只無様に敗れ去るのみ!!――――涼月よ、キサマも覚えがあろう!?これまでに何体の魔物をその手に掛けた!?メガロードやジャジャラは何故キサマに敗れたッ!?……自身より弱き者を虐げる、キサマもやっている事は我と変わらぬであろうがァァ――――ッ!!!』
 「――――!!!」
 かっと口が開かれ、涼月は反射的にシエラを抱えて跳んだ。刹那、ゴォォ、という凄まじい轟音と共に口腔より火炎が走り、瞬く間に周囲を焼いた。まともに受けたなら瞬時にして蒸発――――それを思い、シエラはゴクリと唾を飲み込み、そそけ立った。黒煙がぶすぶすと煙る中、紅い火の粉が彼等を嘲笑うようにちろちろと舞った。竜とは、斯くも恐ろしき生物か。彼女はまさにそれを今更ながらにひしひしと感じていた。
 『――――幾ら綺麗な題目を唱えたとて、キサマが行った事は最早取り返す事叶わぬ。………先の問いに、答えて、貰おうか。ヒトの仔よ。』
 「……ティアマット。貴方は何か勘違いをしているようだね。」
 思いの外静かな口調にシエラは思わず涼月を見上げた。先程の攻撃で浮き足立つどころか、更に落ち着きを取り戻しているかに見える。――――あのティアマットを前にして。時にこの男の動向は、こちらの予想の範疇を越えている。だが、次に彼が発した言葉は、彼女の予想どころか理解をも越えていたのだ。
 「…貴方に利用されてメガロードとジャジャラを斬った事、僕は後悔している訳じゃない。」
 「なッ――――!?」
 シエラの顔色が変わる。
 『ほう……………?』
 「何故なら。」
 ぶん、と剣を回し、涼月は刃先をぴたりとティアマットの鼻先へ突き付けてみせた。
 「何故なら――――そうしなければ僕は奈落から出られなかった、つまり生きる事が出来なかった。そういう意味では、僕に選択権なんてなかった。そうだろう?ティアマット。」
 『つまり……………』
 竜がニヤリと嗤う。
 『自らが生きるが為に屠った、と?その為に、我すらも利用したと言うのか?………ふ、ふ、ふ。』
 揶揄するような光がその瞳の内にゆらゆらと灯った。
 『――――それは、エゴよな。』
 そうだね、と涼月は頷く。
 「僕は聖人君子じゃない。貴方の言う、矮小な人間だからね。多少のエゴくらい持ち合わせている。」
 『そうまでしても、生きたいか。』
 「ああ、生きたいね。」
 間髪入れずに答え、ニヤリと笑ってみせた。その時竜がこめかみをぴくりと震わせたのは、何故かその表情が、彼を憐れむかのように見えたからである。他者が向けて来る憐憫――――それが彼の神経をざらざらと逆撫でしていく。それは彼の最も忌み嫌う感情だった。ちっぽけな人間の分際で、竜を憐れむか。――――だが、苛立ちと同時にこの男は危険だと本能が告げる。刹那、「畏れ」にも似た感情が彼の心に走った。何故だ。我ながら莫迦げている。竜はそれを深淵へと捻じ込んだ。



 危険なら、「取り込んで」しまえば良い。
 そう、あのラルクのように。



 怒気が竜の皮膚からゆらゆらと立ち昇り始める。その中を、涼月は只決然と佇む。
 出会ってしまった人々。出会う筈の人々。まだ会いたいひとがいる。まだ話をしたいひとがいる。助けたいひともいる。――――愛しい、ひと達がいる。それらを、まだ捨てる訳にはいかない。その絆を、捨てる訳には――――!
 「――――知らなかっただろう?僕は、欲張りなんだよ。」
 言って、僅かに微笑んだ。シエラは知った。だから、この男は「責任は取る」と言ったのだ。自身のエゴで他者の命を奪うその行為の責任を。メガロード、ジャジャラ――――偉大な二体の智慧の竜、彼等への精一杯の鎮魂とする為に。それが例え独り善がりのものであろうとも。命を懸けてでも。――――そうせずには、いられなかったのだ。
 シエラは愕然とした。――――この男は、優しすぎる。
 『――――ふ、ふはははははははははッ!!!!!!!』
 「――――!!!」
 大気が揺れた。竜が笑っている。が、その声は轟音とも嗚咽ともつかない。心を乱されているのか、あのティアマットが!――――シエラはハッと眼を見開いた。涼月は、冷然と竜を見た。
 『その生への執念!執着!そしてその鬼神の如き強さ――――見上げたものだな、涼月よ!!!我がラルクに勝るとも劣らぬわ!!!』
 「――――!………呼ぶなッ!!!!!」
 シエラはその時やっとの事で涙混じりに絶叫した。許せなかった。弟を弄んだティアマットも、何一つ出来なかった自分も。
 「呼ぶな……お前如きが……、弟の名を、易く口にするな………!!!」
 只、悔しかった。――――許せ、弟よ。シエラは俯いて涙を一つ落とす。
 「褒めてくれるのは嬉しいよ。――――で、貴方は何を言いたいの。」
 眼差しはティアマットへ向けたまま、シエラを気遣うようにその肩にそっと手を置いて、涼月は問うた。
 『我は、お前が気に入ったのだ……どうだ、涼月。』
 竜は眼を細めて嗤った。
 『――――我の下へ来ぬか?……お前ならば、史上最強のドラグーンとなれるだろう。……我に相応しい、ドラグーンにな………。』
 「――――!……」
 「――――キサマ、性懲りもなくッ!!!!!」
 シエラが叫ぶ。涼月は只無言である。此処まで愚弄されて、貴方は何故黙っている!そう言おうとして彼を振り返った、その時であった。
 けたたましく、何かが甲高く反響する音が大気を切り裂いた。やがて、悲鳴にも似たそれが、彼の笑い声だと知った時、シエラは只愕然とした。
 彼は――――涼月は、弾かれたように笑っていた。
 笑っていたのだ。





 「――――あはははははははは!!!!!!!」
 腹を抱えんばかりに、目許にうっすらと涙すら滲ませて、彼は盛大に、狂ったように激しく笑い転げていた。それは、シエラのみならず、ティアマットさえも呆気に取られる程だった。
 呆然としていたティアマットが、やがて我に返り、ゆっくりと口を開く。
 『………何が、可笑しい………!』
 ぎりぎりと牙を擦り合わせる音をさせながら。ティアマットは、最早苛立ちも隠さずに問う。何故笑う?――――先程押し込めた筈の「畏れ」という感情が、ちらりと顔を覗かせ、竜は僅かに震えた。畏れではない、これは怒りだ。憤怒故の震えだ。竜は、自身にそう言い聞かせた。
 その男は、涙を拭い、それでもまだ可笑しそうに、芝居がかったように無邪気に両手を広げて、彼を振り仰いだ。
 「何がって?……だって、可笑しいじゃないか。貴方はそんなに強いのに。どうして他者の力など必要とするの。どうして求めようとするの。どうして――――」
 ふっと表情を正して、淡い翠が、真っ直ぐに竜の瞳を射抜いた。鋭く、そして、優しく。その双眸は彼を蠱惑するように捉えて、もう放さない。
 「――――どうして、気付かないの。それが、『絆』だという事に。」
 『……………ッ!!!!!!』
 「支配という名の絆だ。貴方も求めているんだ、絆を。皆と同じ――――貴方は、とても弱い。弱くて孤独だ。そして、それを誰より恐れている。――――何故、それを認めようとしない?」



 真に強ければ、独りでも生きられる。絆など、必要ない。そうだろう?



 哀しげに翠が歪む。刹那、竜はびくんと身を強張らせる。その眼差し!穏やかではあるが、見る者を畏怖させる眼差し。見詰められれば図らずも己の弱さを露呈してしまいそうな、危険なその眼差し――――遥か昔、確かにそれは傍に在った。似ている。そう、あれは、この世で最も美しいと彼が認めた、優美で気高い白妙の姫――――
 ――――お前か、ヴァディス!!!!!
 ――――貴方の敗けです、ティアマット。
 静かに告げたその声は幻か。だが確かなのは抉られるような胸の痛み。貴方の敗けだ、貴方の敗けだ――――涼月とヴァディスの顔が重なり合って、彼を責め、苛む。威厳をもかなぐり捨て、吐き出された息と共に竜は遂に怨嗟の声を漏らした。
 『――――おのれ……おのれ………おのれ………』
 「………生きる為、守る為に振う、それは力。貴方のそれは――――」
 地に着けていた剣の切っ先が、すぅっと弧を描いて。彼は、ぽつりと言った。
 「――――只の、狂気だ。」
 『――――おのれェェェェェェェェ!!!!!!!!!!』
 狂ったような咆哮を上げ、竜が地を蹴る。もう許さぬ。業火の中瞬時に焼き尽くすなど生温い。――――生きながらにしてその身、喰ろうてやる。その手足、引き千切ってくれよう。喋りすぎたその口、引き裂いてくれよう。目障りなその瞳、潰してくれよう。内臓を掻き出し、頭蓋を噛み砕き、脳味噌までも啜ってくれよう。お前が存在した証拠の一片の欠片とも、この世に残さず、全て消し去ってくれよう――――
 無様だね。隙だらけだよ。涼月は唇の形だけで微笑んだ。――――知ってるかい?そんなに取り乱すのは、図星をさされた何よりの証拠なんだよ……。
 ――――お休み、ティアマット。
 ゆらりと剣を構えて呟いた刹那、竜の巨躯が宙を舞った。





 知れば知る程、不思議な男だった。
 ある時訊ねた。「貴方は何者なのか」?
 彼はにこりと笑んで答えた。



 「僕」は、「僕」だよ――――





 ………シエラ、シエラ………
 誰かが呼んでいる。この声は聞き覚えがある。シエラは呆然としながらゆるゆると右手を差し出した。その手が、そっと捉えられる。その時彼女は分かった。涼月だ。こちらが気抜けするような、私の大好きな、呑気なあの笑顔を見せて、彼がいるのだ。「何時も通り」の、彼が――――
 「シエラ、どうしたの、シエラ。」
 頬を軽くぺちぺちと叩かれ、シエラははっと我に返る。地にぺたりと座り込んでいる自分を心配そうに覗き込む涼月が眼前にいた。
 「リョウ、ゲツ………?」
 瞳を強張らせたまま、彼女はぎこちなく涼月を見上げた。
 「……終わったよ、シエラ。」
 何が起きたのだ?ティアマットが、涼月を誘惑して、彼が突然笑い出して、それから。
 それから……?
 夢だ。悪い夢だ。「あれ」は、「誰」だ?
 ――――火が点いたように彼がけたたましく笑い出したあの時、思ったのだ。それは、この上なく美しく、妖しく、残酷に響く、悪魔の囀りのようだったと。あの瞬間、間違いなく自分は恐怖した。理屈ではなく、本能が恐怖した。得体の知れぬ、「何か」に。
 「………あ………ああ…………!」
 手を伸ばした。その手ががくがくと震えた。探り当てるように、涼月の右腕を両手でしっかりと掴んだ。
 「貴方が……貴方までが………!」
 俯いて、シエラはぶるぶると身を震わせた。責めるように、腕を掴む指にぎゅっと力を込めた。
 「貴方までが……狂ってしまったのかと……思った………ッ!!!」
 「――――………!」
 娘のように泣きじゃくった。ぽたぽたと涙が落ちる。始めは熱く、やがて冷たく――――それは、涼月の腕を濡らした。ハッとして涼月は、僅かに眼を伏せた。シエラ…泣いているの?シエラ。
 「………御免。」
 小さく言って、空いた左手で、彼女の背を優しく摩った。うん、うん、と、シエラが何度も頷いた。彼の纏う血の紅が、何故か彼女を安心させた。――――そう、ヒトなのだ。紅い血を流す、彼は間違いなくヒトなのだ。天使でもなく、悪魔でもない――――そう、言い聞かせた。その刹那。
 ――――ゴォォォォ…………ン。
 「――――!!!」
 地が揺れた。ぼろぼろと天井が、壁が、床が、崩れ始めた。主を喪った焔城の、崩壊の前奏。
 「――――あ。」
 小さく言ったかと思うと、がくんと涼月が頽れた。咄嗟にシエラは彼を支えた。
 「――――ッ!?お、おいッ!?」
 抱き起こすと、彼は瞼を閉じつつへらりと笑った。
 「――――やあ、流石に竜と戦うのは骨が折れるなあ………血が足りないよ……。」
 「――――なッ、しっかりしろ!涼月ッ!!!」
 駄目だ。借りを作ったまま、此処で死なれては困る。――――生きるのだろう?貴方は!!
 「……ああ……こんなヒドイ格好じゃ、あの娘に叱られるなあ………。」
 名を言わずとも、シエラにはそれが誰の事か分かったような気がした。
 彼が引き取って暮らしている、森人の双子。――――シエラは遠目でしか見た事はないが、その時、その幼い少女は箒を片手に、もの問いたげな、だが責めるような眼差しでこちらを見ていた。
 「………妙な男だな。竜さえ殺した貴方が、あんな小さな少女を恐れるのか?」
 早く此処から逃げ出さなくては。焦燥を抑え、元気付けるようにくつくつと笑うと、涼月は、それがさも心外であるかのように僅かに唇を尖らせた。少年のようだと彼女は思った。
 「……酷いなあ……シエラは、彼女が本気で怒った所、見た事ないから、そんな事が言えるんだ…………。」
 言いながら、眠そうに瞳を閉じかける。シエラは慌てて叫んだ。
 「叱られてやる……幾らでも、一緒に叱られてやる!!だから、しっかりしろ!!!」
 大丈夫。
 涼月は、瞳を閉じたまま、ひらひらと手を振ってみせた。
 「後は――――『彼女』が――――何とか、してくれる………。」
 ――――「彼女」――――……………?
 その時、シエラはふっと身が軽くなるのを感じた。見ると、淡い、白い光がシエラと涼月の身をきらきらと取り巻いている。……優しい、温かい光だった。とろとろと眠りを誘う、遠い、懐かしい感覚、……そう、まるで陽光を浴びて、母の膝に抱かれ、微睡んでいるような――――
 シエラは気付いた。この感覚には覚えがある。遠い昔、不死皇帝の刺客に襲われて瀕死であった自分を救ったあの光。死を覚悟した自分を再び生の縁へと引き戻した、一筋の光明――――あの時と、同じ。
 「――――ヴァディス、様……………?」
 ――――良く頑張りましたね、シエラ。そして涼月……。
 最も敬愛する主の名を呟いたシエラ、それに応えるように、労るように……その慈悲深い声が、直接脳裏に伝わって来る。
 ――――有り難う……私は、貴方達を誇りに思いますよ………。
 じわりと目頭が熱くなった。瞼が膨らんで、涙の一筋が頬を零れる。ああ、我が主。勿体ない御言葉です。たった一人の弟も救えなかった、愚かな私にまで。
 ――――私達は、還るのだ。
 シエラは安堵と切なさに打ち震えつつ、瞳を閉じた。
 ――――還るのだ、涼月。ヒトの世界へ………。





 滅びゆく焔城の中、ヴァディスという名の絆に守られながら、シエラはその青年をしっかりと抱いた。――――なあ涼月、私は、まだ貴方に訊きたい事がある。……何時か、貴方に訊ねても良いだろうか?
 貴方は生きる為に竜を斬った事を後悔しないと言った。愛しい人々との絆を断ち切りたくないと言った。
 ――――だが、所詮相手は貴方にとって面識も何もない――――きっと、普通の暮らしをしていれば一生出会う事はなかったであろう、智慧の竜だ。ドラグーン以外の生物にとっては、余りに遠い、伝説の存在でしかない。――――そうではなく、もし相手が、良く貴方の知る人物だったなら。大切な、ひとであったなら。



 自身の命か、無二の友の命か。
 その二択を迫られた時、貴方は一体どちらを取る……?



 「仕方ないなあ」
 ――――その時、この男はそう言って容易く命を投げ出してみせるような気がして、シエラは思わずその寝顔を掻き抱き、抱き締めていた。虫も殺さぬような無垢な顔をして穏やかに寝息を立てる、後に、「竜殺し」――――ドラゴン・キラーと異名を取る事になるであろう、この青年の、矛盾だらけの――――その、愛しい友の横顔を。





FIN.


あとがき読みます?



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