「ココロとコトノハ」





 ――――溜息を吐くとね、幸せが逃げて行くんだよ。
 以前そう教えてくれた人の事を思い出し、少女は慌てて開きかけた唇を閉じた。今は使われていないらしい小屋を発見し、所在なく扉に寄り掛かって腰を下ろす。そうして、流れる雲をぼうっと眺めた。迷った時は下手に動くな。彼女の「騎士」に、常日頃から口酸っぱく言われているからである。
 全く、これで何度目の事だろう。同じ事を何度繰り返したか知れない。断じて飽き足らぬ故、という訳ではない。それどころか、本来あってはならない事だと思っている。二度と繰り返してはならない、と。
 ――――が、どんなにそれを祈念しようと、生まれながらの性情というものは容易には御し難いものであるらしく、懲りずに繰り返しては、自己嫌悪に襲われるのだ。自分がこうしている間にも、「彼」が彼女の捜索に狂奔しているさまは容易に想像出来る。
 ああ。
 やはり溜息を吐きたくもなって来る。折角教えてくれたあのひとには悪いけど――――と、その時。
 とくん。
 核に、軽い疼きを感じた。否、疼きと言えば大袈裟かもしれない。それは胸の中央にぽうっと小さな明かりが灯るような、心地好い感覚である。
 ――――もうすぐ、会える。
 想いに応えるかのように胸元で淡く光る核を愛しげに撫でて、少女は前方を見遣った。目を凝らし、耳を済ませた。
 さらり。
 間違えようのないその音。あの草色の外套が擦れる音だ。少女は立ち上がった。ここだよ。私は、ここにいるよ。
 やがてその音は、荒々しく地を蹴る音と共に、はっきりと聞き取る事が出来る程に近付いて来た。今や走ってこちらへ向かって来る、その姿が見える。
 ――――あっ……
 互いを視認出来る距離まで来た時、少女はほっと顔を綻ばせようとした。が、そうはならなかった。
 「真珠、無事で――――」
 青褪め、汗だくになって、息を切らせながら駆け込んで来た騎士の表情を見た瞬間、彼女は再会の喜びよりも押し寄せる自己嫌悪の波に襲われて、気付くと何時もの――――代わり映えのない、その言葉を発していたのである。
 「ご、ごめんな、さい………。」



 「姫」の許へ辿り着いた時、彼は安堵したのだ。心底嬉しかったのだ。彼女が無事であった事が。無事に再会出来た事が。自分の言付を守って、待っていてくれた事が。
 すぐにでも手を取って、その身を引き寄せて、抱き締めたい衝動に駆られた。が、その言葉を聞いた時――――その刹那、彼は身を凍らせてしまっていた。そう、何時ものように。
 「ご、ごめんな、さい………。」





 「御免なさい…また、心配かけちゃって……。」
 「もう、いい。言うな。」
 「でも――――」
 まただ。
 何故お前はそんな顔をする。何故そんな哀しげな顔をする。俺が――――お前に、そんな顔をさせてしまっている。
 御免なさい。言われる度に自己嫌悪に襲われる。こんな要らぬ思いをさせてはいけないと、何時も思っているのに。彼女の迷子癖は、今に始まった事ではない。俺が、見失わなければいい事だ。それなのに、俺はまた――――

 ――――それともお前は、俺を責めているのか?

 「…瑠璃君、怒ってる……?」
 「怒ってない。」
 歩を進めながら、答える。怒っているというなら、それは己自身にだ。
 「……うそ……怒ってるよ……。」
 「もう、言うなと言ってるだろう!!」
 「……!!」
 怒鳴るように言い返した瞬間、しまったと思った。少女がびくりと肩を震わせた事が分かった。怯えた小動物のような眼でこちらを見詰めている。
 八つ当たりしてどうなる。全部、俺が悪いのに。
 また、怒らせてしまった。私の所為だ。
 まただ。まただわ。二人は気まずく黙り込む。どうして何時もこうなるのだろう。本当は。本当は――――

 本当は、嬉しかったのに。





 玉石の間、寝所でぼんやりと書物に目を落としていた蛍姫は、ふとした気配に面を上げた。尤も、「見下ろす」と表現した方が正確だろうか。寝所が高い位置にあるので、部屋の窓は自ずと見下ろしてしまう格好になるのだ。蛍姫は書物をぱたりと閉じて、軽く首を傾げた。誰かがいる事は確実なのだが、その人物は一向にこの部屋へ入って来る様子を見せない。
 良く見ると、窓の隅に柔らかな、淡い栗色の髪がぴょこぴょこと上下しているのが見える。まるで部屋に入るのを逡巡しているかのようだ。――――蛍姫は、悪戯っぽく微笑んだ。
 「貴女でしたか、白真珠。」
 「えっ…!」
 途端にその人物――――真珠姫は、文字通り飛び上がって驚いた。やがて、恰も悪戯をしている最中、母親に見付かった子供のように気まずい表情が…入口に、おそるおそる、覗く。
 「な、何で分かったんですか………?」
 「貴女の髪が、窓から見えておりましたもの。」
 くすくすと笑われて、真珠姫はかぁっと顔を赤くした。お入りなさい、と言われてもじもじしながら蛍姫のいる寝所へと歩いて来る。
 「こ、こんにちは……。」
 「ええ、こんにちは。」
 ぎこちない挨拶が可愛らしくて、蛍姫は穏やかに顔を綻ばせる。
 「此方へはなかなか姿を見せないけれど……貴女の騎士は元気でいて?」
 「はっ、はい!それはもう……!」
 「……『それはもう』?」
 「えっ、いえ、その、えっと………。」
 「………。」
 あたふたとますます顔を赤くして縮こまってしまった真珠姫をまじまじと見詰め、蛍姫は小首を傾げた。
 「……何か、あったのですか?」
 「……………。」
 「真珠姫。」
 「……………。」
 口を開けたり閉じたりしながらも結局何も言わず、その内「うう」と言いながら俯いてしまった真珠姫に、蛍姫は苦笑を誘われた。…相変わらずだこと。考えるより早く、蛍姫はその少女を差し招いていた。
 「此方へいらっしゃいな。」





 「…そのう、私、瑠璃君のこと困らせてばっかりで……。」
 訥々とした危なげな語りではあったが、全てを聞き終えた蛍姫は小さく苦笑した。正直な感想を述べたとすれば、どっちもどっちというものだろう。白真珠の核の内に、肩を竦めた黒真珠の影が過ったように見えたのは目の錯覚だろうか。――――今度は私が、貴女の力に。そう思うと少し自分が誇らしく思えて来る。
 「……全く、騎士という生き物は。」
 ふと、今は姿を消して久しい「あの顔」が脳裏に過る。つんと澄ました表情を作り、わざと素っ気なく言った。
 「騎士という生き物は、戦う力があるからといって、己が姫よりも断然偉いと思っているのです。矜持だけは人一倍なのです。――――ですから、時にはうんと困らせてやれば良いのです。」
 「えっ!…あ、あのう、そ、そんな事したら、瑠璃君が可哀想………。」
 ほうら、思った通り。本気で慌てて。
 嫌いになった訳ではない。只、戸惑っているだけ。それを確認して、蛍姫は安堵する。
 「――――戯れです。貴女を少しからかってみただけ。御免なさいね。」
 「――――な、なあんだ……びっくりしたあ……。」
 本気でほっと胸を撫で下ろした真珠姫を見て蛍姫はくすくす笑う。普段は凛として玉石の座に相応しい落ち着きと風格を漂わせている彼女だが、外見年齢は真珠姫と余り変わらないという事もあり、こんな時は真珠姫以上に幼く、無邪気にも見える。そんな蛍姫の姿は同性の真珠姫から見てもこの上なく可憐で、魅力的で――――思わず、ぽっと頬に朱が差す。
 「蛍様は……キレイで、いいな。」
 ぽつりと、それでいてしみじみと呟くのが耳に入り、思わず「えっ?」と訊き返す。
 「ああああの、ヘンな意味じゃなくて、そのう、…蛍様みたいに、キレイで、しっかりした姫だったら、瑠璃君も、困ったり、怒ったりしないで済むのかな、って……。」
 やれやれ。蛍姫は口許に苦笑いを残しつつも本気で溜息を吐きたくなった。この調子では喧嘩にもならず、彼女の騎士も苦労している事だろう。数回顔を合わせた事がある程度だが、あの瑠璃という騎士がどんなに彼女を愛しんでいるかは誰が見ても明らかな程だ。彼の不器用な労りに、全く気付いていない訳でもあるまいに。あの涼月が言うように、この二人はお互い気を遣いすぎるのだ。だが、そんな彼等が羨ましいとも思えて来る。…騎士がいて、姫がいる。珠魅の社会では至極当たり前のシステムであるが、今の私には、騎士は、「いない」。――――そこまで考えて、思い至った。そうか、「喧嘩も出来ない」という点では彼等と同じか。蛍姫は自嘲気味に微笑む。独り言のように言った。
 「……謝られてばかりいる方も、辛いものなのですよ。」
 「――――え?」
 そう――――「彼」もそうだった。済まない。済まない、蛍。貴女が悪いのではない。全ては、この俺の責任なのだから。
 一体何に対して「済まない」なのか、何度も言われる内に、まるで思考が麻痺したかのように、分からなくなった。種族存亡の危機に陥るのも承知の上で身勝手にも玉石姫を拉致し、宝石箱に閉じ込めた事に対して。多くの同胞を手にかけ、その両手を血に染めた事に対して。友人である宝石王までも、巻き込んだ事に対して。或いは種族に絶望した事そのものに対して。謝罪――――それは一体、「何」への?一体、「誰」への?
 全部を背負って、貴方は私に苦悶の表情を見せるだけ。背負ったものを、姫である私に分け与えてもくれずに。
 ――――優しい、ひとだった。優しすぎた。それでいて、惨いひとだった。いっそ貴女の所為だと詰ってくれたら良かったのに、それもしなかった。共犯者となる事すら、彼は許してくれなかったのだ。その業は、本来種族全員が背負わなければならぬものだ。蛍姫は、そう思っている。それなのに――――本当に、狡い。今頃何処でどうしているのか。



 ……意地っ張り。



 「――――蛍、様?………」
 ふいに押し黙ってしまった蛍姫に、真珠姫はおずおずと声を掛けた。ほんの少しの間だったが、蛍姫はまるで遠くを見ていた――――真珠姫には、そう見えた。
 「!ああ――――ええと、何のお話でしたっけ。そうそう――――」
 慌てて明るく微笑んだ。真珠姫の怪訝な表情を吹き飛ばすように。
 気付かれてはならない。この少女もまた、優しすぎるのだから――――きっと、自分の所為にして、心を痛める。
 蛍姫はさっと気持ちを切り替える事にした。……さて現実問題、このもどかしい二人を、どうしてやるべきだろう。考えて――――ふと、思い当たった。辿り着いた答えを胸の内で反芻し、これなら大丈夫、と満足げにゆったりと頷いた。
 「ああ――――そう、そうだわ。」
 「――――?」
 何やら思い付いて一人楽しげにしている蛍姫を見て、真珠姫は首を傾げた。蛍姫は悪戯を思い付いたかのような表情でにっこりと微笑む。
 「今度同じ状況に陥った時は、瑠璃にこう言って御覧なさい――――」
 そう言って蛍姫はうきうきと身を寄せ、真珠姫の耳元に何やら囁いたのだった。





 今度同じ状況に陥った時は。
 蛍姫がそう言った時、彼女は正直冗談じゃないと思った。二度と同じ状況に陥らない為にも、気を付けなければ。そう思った。
 真珠姫は、嘆息した。「心掛け次第」という言葉があるが、心掛けだけではどうにもならない事もあるのだな、と思った。今こそそれが身に染みた。
 ――――早い話が、彼女はまたしても、騎士と逸れてしまったのだ。
 分かり易いように、今度は他と比べても見事な大きさの大樹の根元に腰を下ろし、何時もそうするように空を見上げた。真珠姫の暗い心境などまさしく何処吹く風、綿のような雲が、のんびりと流れている。
 ――――私って、ホントに駄目だなあ……。
 しかし、幸いな事に、今回は前回とは徹底的に違う点がある。それは言うまでもなく、蛍姫から有り難くも頂戴した「助言」だ。
 今度同じ状況に陥った時は、瑠璃にこう言って御覧なさい。
 今こそ試すべき時だろう。忘れてはいない。少女はもごもごと、口の中で「予行演習」をしてみる。上手く言えるかな。蛍様、私、ちゃんと言えるかな……。
 とくん。
 「――――ひゃっ!?」
 核が疼いた。真珠姫は思わず胸を押さえて飛び上がってしまった。ああ、瑠璃君が来ちゃうよ。もうちょっと待って。まだ心の準備が出来ていない。緊張で核がバクバク言っている。
 木々の間に瑠璃の姿が見えた。此方に気付いた。声までは聞こえないが、振り返って誰かを呼んでいる。瑠璃が再び此方へ走り出した時、真珠姫は彼の後方に別の人影を認めた。それもまた見慣れた姿。赤い羽根帽子に、柔らかな黄金色の髪――――
 ――――涼月お兄様だ……。
 どうやら、今回の真珠姫捜索には彼も加わっていたらしい。
 「真珠――――!」
 息を弾ませた瑠璃が彼女の許へ到着した時、彼女の緊張は頂点へと達していた。様子のおかしい――――今にも頭から湯気を噴き出しそうな少女を前に、青年はぎょっとする。
 「お前…、熱でもあるのか!?顔が――――」
 「――――る、瑠璃君!!!」
 「――――!?」
 私、頑張るよ。蛍様。
 少女は祈るように両手を組み、深呼吸をして、些か驚いたような青年の顔を正面から真っ直ぐに見据えた。
 「あ、あのね――――あの――――」



 私を、見付けてくれて、有り難う――――



 「……………。」
 「……………。」
 真珠姫の予期せぬリアクションに二人の青年はぽかんと口を開けて少女を見詰めた。当の真珠姫は、必死の形相で、瑠璃を食い入るように見詰めている。――――というよりは、「睨み付けている」と表現した方が妥当であろうか。
 不覚にも思わず呆気に取られてしまったが、先にはっと我に返ったのは、瑠璃の隣にいた涼月だった。改めて二人を交互に見遣る。言い馴れない事を言って固まっている真珠姫と、言われ慣れない事を言われて固まっている瑠璃。――――見ている分には非常に面白いのだが、ずっと見ている訳にもいかないので肘で瑠璃を軽く小突いてみた。
 「……もしもし?」
 「……………ッ!?」
 びくりと瑠璃が振り向く。それが恰も鬼に肩を叩かれたかのような表情で、涼月は「失敬な」、と少し唇を尖らせた。
 「……何か、言ってあげたら?」
 答えを待ってるじゃないか、君のお姫様が。肩を竦めてみせた。
 「何か、って。」
 困惑顔で瑠璃は真珠姫に向き直る。困ったような顔で、しかし目を逸らさずにこちらの反応を待っている。何か、言ってやらなければ。
 「どっ………」
 「…………!」
 少女はじっと青年の口の動きを見守った。
 「どっ………どう、致し、まして………。」
 その瞬間、もう耐えられないとばかりに涼月の朗らかな笑い声が、張り詰めていた空気を破り、どっと溢れ出していた――――





 「あ、ゴメン。駄目だ、もう、我慢、出来ない…ッ。」
 腹を抱え、目尻に涙を滲ませ、手近にあった樹木の幹をばんばん叩きながら――――涼月は、大いに「ウケて」いた。真珠姫はぽかんとし、瑠璃はたちまち真っ赤になった。
 「いやあ、もう、全く、言うに、事、欠いて、どう致しましてって、何だかさ、ああ、くっ、可笑し――――」
 「……笑うか喋るか、どっちかにしろッ!!!」
 「あはははははははははは!!!!!!!」
 「誰が指を差して笑えと言ったァァァァァッ!!!!!」
 まーた仲良く喧嘩して。亜夜ならばきっと呆れ顔でそう言った事だろう。だが、真珠姫は対処法を知らない。私、何かヘンな事言ったの?疑問符を顔中に浮かべて、少女は只それを眺めているしかなかった。
 「君が悪いんじゃないかあ、あんな楽しすぎる事を言うからさあ。」
 「だっ、だったらお前なら何て言うんだ!?」
 「『莫迦だなあ。僕は君の騎士なんだから、当たり前じゃないか』と言っておもむろに彼女をぎゅっと抱き締めてだね――――」
 「そんな歯の浮くような台詞が言えるか――――ッ!!!!!」
 「イヤだなあ、君に出来るなんてさらッさら思ってないさ〜〜。」
 もう苦しくて腸が捩れそうだ。そう独りごちつつ、涼月は真珠姫を手招きした。
 「――――ああ、真珠、ちょーっとこっちにおいで?」
 だったらどう言えば良かったんだ、と相変わらず真っ赤な顔でぶつぶつ言いながら、今にも地面に「の」の字を書き出しそうな勢いで拗ねている瑠璃を気にしつつ、真珠姫は涼月へと近付いて行った。
 「な、何ですか?お兄様……。」
 「うん、別に大した事じゃないんだけどね。」
 言いつつ、こそっと真珠姫の耳に囁いた。
 「――――で、誰の入れ知恵?」
 「――――えっ……。」
 まんまと見破られている。真珠姫はそれこそ耳まで赤くなった。
 そう、初心な彼女が独りでこんなに気の利いた台詞を言える訳がない。言われた本人は頭に血が上りすぎて気付いていないが、冷静に考えれば誰にでも分かる事だ。――――ばれちゃった。真珠姫はばつが悪そうに俯いて、素直に白状した。
 「そ、そのう……蛍様が………。」
 「蛍姫が?――――へえ……。」
 意外そうに目を丸くして――――だがすぐに、彼女らしい、と思い至った。遠く煌めきの都市へと思いを馳せ……やがて、ほんのりと笑みが口許に浮かぶ。
 見付けてくれて、有り難う――――か。
 「強いね、彼女。」
 「えっ?」
 きょとんとした真珠姫に、涼月は言った。
 「君も、強くならなきゃね?」
 「……は、はい。」
 戸惑いつつもしっかりと素直に頷いた少女を見て、「いい子だ」と頭を撫でる。撫でながら、
 「……蛍姫に、会いたくなったなあ。」
 自然にそう口にしていた。
 「――――蛍姫に?……何だ、いきなり。」
 話の流れを理解していない、というよりは何も聞こえていなかった瑠璃が怪訝な顔をする。
 「いや、たまには君等二人の話を肴に彼女と飲み明かすのも悪くないかな、と……。」
 如何にも楽しい事を発見したかのようにニヤニヤと笑う。瑠璃はさっと赤くなり、逆に真珠姫は青くなった。
 「………キサマ……、いい加減にしないと本っっ当にコロスぞ……!!!」
 「だ、駄目だよお兄様……!そんな事したら、きっとサフォー様に叱られちゃうよ………!!!」
 「……本当に飽きないなあ…君達といると……。」
 笑みを噛み殺しながらも、瑠璃の左手と、真珠姫の右手を取って引き寄せた。
 「――――?」
 いきなりの事に、二人はぽかんと涼月を見る。涼月はにこりと笑った。
 「――――ハイ、これで今日はもう逸れないように。」
 二人の手をしっかりと繋がせてやる。最初からこうしてりゃいいのに。…その台詞は奥手な友人の為に敢えて口に出さないでおいてやる。繋がれた手とお互いの顔を、戸惑いながら交互に見ている二人の姿を見て、涼月は一人満足そうにうんうんと頷いた。
 「…んじゃ、僕は一旦帰るから、君等は都市に戻ったら蛍姫に伝えておいてくれないかな。後で僕が行くって。」
 「おい、どうせなら一緒に――――」
 「やだよ。僕はそんなに野暮じゃないもの。」
 瑠璃が訝しげに言い掛けたが、涼月は瓢然とそれを流した。
 「それに、あれ以来コロナがすっかり心配性になっちゃってね。外出の際は行先を言わないと、彼女に怒られちゃうんだよ。困ったね全く。」
 そう言いながら、全く困っている風には見えない。寧ろそれが楽しいようでもある。……相変わらず分からん男だな。瑠璃はそう思う。
 「大体、都市へ行く前に是非お酒を調達して行かないと――――あ、そうそう、亜夜も誘ってみようかなあ。」
 「……とっとと消えろ、このど阿呆!!!」
 瑠璃の投げた剛速「石」をひょいとかわし、涼月は何事も無かったかのように陽気に手を振った。
 「じゃ、お二人さん、また後で。」
 言って、素早く身を翻し、駆けて行った。……全く、一体何だったんだ。瑠璃は疲れたように深く溜息を――――
 「る――――り――――!」
 ……吐こうとして、友人の呼び声にピタリと動きを止めた。頬をぴくぴくと引き攣らせながら、言った。
 「…何、なんだ、お前は………ッ!!」
 「瑠璃――――溜息を、吐くとね――――」
 ああ、煩い。瑠璃は覆い被せるように怒鳴り返した。
 「……幸せが逃げると言うんだろう!?いい加減、聞き飽きているぞ!!!」
 その時、遠目からでも、涼月が嬉しそうに微笑んでいるのが分かった。





 赤い羽根帽子が見えなくなるまで見送り、結局二人だけが残された。暫く二人は黙ったまま、涼月が去った方向を見ていた。やがて遠慮がちに口を開いたのは、真珠姫の方だった。恐る恐る、訊いてみる。
 「――――あのう……瑠璃君。『ヤボ』って、」
 「――――訊くな。」
 「――――ハイ……。」
 気勢を削がれて少女はしゅんと俯き、青年は敢えてそれを見ないフリをした。彼女には悪いが、面倒臭い質問に答えてやる気分ではない。――――そんな事よりも。
 「………真珠。」
 繋がれた手に、躊躇いがちに目を落とす。
 「……その…嫌なら、離してもいいんだぞ。」
 「る、瑠璃君こそ………!」
 「…ば、莫迦ッ!俺が、嫌な訳あるか!!」
 「…わ、私だって、嫌じゃないよ………!!!」
 涼月には悪いのだが、二人は同時に長く、長く……溜息を吐いた。何て不毛な会話をしているんだ。第三者が見ていたならば、きっとそう思うに違いない。
 「……行くか……。」
 疲れたように肩を落とし、ぽつりと瑠璃が言い、一歩を踏み出す。
 「…そ、そうだね……。」
 引っ張られるように、真珠姫も歩き出した。――――が、ふと思い出して、足を止める。
 「――――ねえ、瑠璃君。」
 訊いておかねばならない事が、あったのだ。結局、あれは。
 「……何だ?」
 「あ、あの……。」
 暫しの逡巡の後、真珠姫は思い切って訊いてみた。
 「あの……私、またヘンな事、言っちゃったのかなあ……?」
 「………!」
 見付けてくれて、有り難う。
 訊かれて、瑠璃は赤くなってそっぽを向いた。傍から見ればそれはまるで怒ったような顔であったが、……いいや、と小さく呟いた。
 「ほ、本当に……?ヘンじゃない……?」
 「ああ。」
 ただ短くぼそりと言って、再び歩き出す。
 「………謝られるよりは………、ずっといい。」
 「………!!」
 少女はぱっと顔を輝かせた。
 本当だね、蛍様。有り難うって言葉は、こんなに嬉しいんだね。
 嬉しくなって、少女は騎士の腕にしがみ付いていた。
 「――――お、おい。」
 驚いた瑠璃を、真珠姫は無邪気に見上げた。ねえ、瑠璃君。
 「――――離さ……ないで、ね。」
 その時、青年が更に赤い顔で――――だが、しっかりと頷いたのを、少女は確かに見たのだった。





 「し、失礼しました……。」
 ぺこりと御辞儀をして、そそくさと玉石の間を退出する真珠姫を、「頑張りなさい」と見送ってから、蛍姫は窓際へ寄り、ほっと息を吐いた。
 ――――上手く行けば良いのだけれど。
 そんな事を考え、しかし柔らかく微笑む。大丈夫、彼等なら、きっと大丈夫。
 待っているからこそ、再会は叶うのだから。……そうでしょう?ねえ――――

 アレク。

 同じ空を見ていると良い。そんな事を祈りつつ、少女は天を仰ぐ。
 ――――全く、騎士という生き物は。
 独りごちて眩しげに目を細める彼女を労るように、爽やかな微風が彼女の額髪を柔らかに……優しく、撫でて通り過ぎた。





FIN.


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