それは――――その異変は、静かに、それでいて着実に進行しつつあった。
それに気付く者は未だ誰もいなかった。――――そう、当の本人ですらも。
そもそも、彼は無口な性質なのだ。その表情も、時に何処かぎこちない所がある。
無論彼が「感情を持たぬ生物だから」という訳では決してない。只、表現する事が苦手なのだ。
そんな彼だからこそ、発せられる信号を正確に素早く読み取る事は、非常に難しいのである。だから、誰にもこの時の事を責める事は出来ない。
暑い……………。
もう幾度となく呟いたその台詞を、先頭を行くデュランは苦々しげにもう一度口にする。
「町はもうすぐの筈だ。皆、頑張って行こうぜ!!」
砂漠育ちの故か、六人の中でもホークアイは比較的元気が良い。持ち前の明るさで、皆を勇気付けて回っている。
逆に一番へたばっているのは、小さな身体で最も抵抗力のないシャルロットだ。虚ろな瞳で、何事かぶつぶつと呟きながら、ケヴィンの背に負われている。
実はここ数日、雨は全く降らず、次の町も一向に見えて来ず――――というわけで、一行は炎天下の中をひたすら歩かされていたのであった。
アンジェラなどは先程までデュランに当り散らしていたが、流石に最早言葉を発する気力も失せたらしい。その雪のように白い両足を痛々しく引き摺るようにして、黙々と歩いている。
そんな彼女を一瞥すると、デュランは振り返ってホークアイに尋ねた。
「ホークアイ……水、あと残りどの位だ………?」
「はあ……もう虚しい音しかして来ねえよ………。」
水筒をからからと振って、彼は肩を竦めてみせた。
仕方ねえな、と呟いて、デュランはまんまるドロップを取り出し、アンジェラの手に握らせた。
「ほら……これでも舐めてろ。少しはマシだ。」
「さ、アンジェラ………。」
隣を歩くリースが、包みを開けて中身をアンジェラの口に押し込んでやる。
次にデュランは更に後方を歩くケヴィンに向かって叫ぶ。
「ケヴィ――――ン!シャルロットにも、食わせてやってくれ――――!」
「お?おう………。」
デュランがまんまるドロップを放り投げる。ケヴィンがシャルロットを支えつつ、ゆっくりと右手を伸ばす。
それは空にゆっくりと弧を描き、待ち構えるケヴィンの大きな掌の中に落ち――――ることはなかった。
それは僅かに彼の掌の右横をすり抜け、地面に落ちてかさりと乾いた音をたてた。
――――あ、れ?
それを拾おうとした時、突然ケヴィンの足元がぐにゃりと歪んだ。視界が百八十度回転する。
「――――ケヴィン!?」
誰かが叫ぶのが聞こえた。デュランが何か怒鳴りながらこちらに駆けて来るのが見えた。
――――デュラン、ホーク………まだ、走れる……?オイラなんか、とっくに……アレ?――――オイラ、何時から走れなくなったんだろう……………。
「オイラ………どうしたのかな?」
そう言った瞬間、世界が黒くなった。
――――責める事は出来ないのである。誰にも。
ひやりとした感触を額に感じて、ケヴィンは目を覚ました。すぐに、心配そうな表情の蒼い眼の少女が視界に飛び込んできた。ケヴィンを見て、心底ほっとしたように笑みを浮かべる。
「良かった……気が付いたんですね。」
「――――ここ…何処?オイラは………。」
「あ、まだ起きちゃ駄目です。熱もあるみたいだから。」
リースは体を起こしかけたケヴィンを慌てて押し止めた。布団に落ちた濡れタオルを再びケヴィンの額にのせてやる。
「ここは、宿屋です。あの後、すぐに町を見つける事が出来て……一寸待ってて下さいね。皆を呼んで来ますから。」
そう言ってリースは部屋を出て行くと、すぐに仲間達を連れて戻って来た。
「よう、お目覚めかい。」
ホークアイが片手を上げて、にっと笑った。
「ホーク…オイラ、何で寝かされてんだ?」
「!?――――あんた、覚えてないの!?いきなりぶっ倒れたのよ!?ホント、びっくりしたんだから――――。」
もうすっかり回復したらしいアンジェラが呆れたように言った。
「で、どうだ?具合の方は。」
デュランが尋ねる。ケヴィンは右腕を上げようとして、力なくぱた、と下ろした。
「…ダルい。」
「――――だろうな。」
ホークアイの妙に確信を持ったその声に、皆が彼に注目した。
「ケヴィン、一寸足見せてみろ。」
ケヴィンはリースに支えられて身体を起こすと、布団から足を出して見せた。
するとホークアイはおもむろにケヴィンの左足を掴み、ズボンを太股までたくし上げた。
「これは……。」
見ると、太股の裏側から脹脛にかけて、薄紫色に痣のようなものが広がっている。
「毒――――か?」
デュランの問い掛けに、ホークアイは頷いてみせた。
「この症状は――――おそらく、この間のラスターバグだな。」
ラスターバグとは、虫系の魔物で、アサシンバグの上位種である。強さ自体は大した事がなく、これまで多くの魔物たちを相手にしてきた彼等にとって敵ではないが、一つだけ厄介な事があった。それは、ラスターバグの持つ――――アサシンバグの持つそれとは比較にならない程強い、「毒液」である。魔法やリーチの長い武器など、遠距離攻撃の手段を持たぬケヴィンにとっては、苦手なタイプの敵ではあった。
「ま、猛毒抱えて炎天下歩き続けてりゃあ、熱も出るし、倒れもするわな。」
ホークアイはふと真顔になってケヴィンに問う。
「お前……こんなになるまで、何で黙ってた?」
普段は温厚なだけに、真顔になったホークアイの顔はそれなりに凄味があるのだが、ケヴィンはそんな彼を目の前にして、きょとんとしていた。そして、全く予想もつかないような答えを口にしたのである。
「だって……イタくなかったから。」
「…………………………へ?」
「オイラも、今見てびっくりした。こんなになってるなんて、思わなかったから。」
「おい…そういや、ラスターバグと戦闘したのって…一週間ぐらい前じゃなかったか?」
おそるおそる、デュランが誰にともなしに同意を求める。
「…………………………………………………。」
四人の目が、点になっていた。
「……アレだな、ほら。ずっと健康優良の太鼓判押されてたような奴が、なかなか身体の異状に気付かなくて、やっと医者に行った頃にはとんでもねえ事になってたってパターン………。」
「体力ありありなのが、今回裏目に出たって事かよ………。」
「アンタの神経、恐竜並ね…………。」
「………無茶です………。」
それぞれに感想を述べて呆れかえる四人。
ここに来て漸くケヴィンは、仲間が一人足りない事に気付いた。何時も足元でちょこまかしている筈の、無邪気なハーフエルフの少女――――。
「…あれ?そういえば、シャルロットは?」
「ああ、隣の部屋で寝てるぜ。…後で礼言っとけよ?さっきまで、真っ青んなってお前にティンクルレイン、かけまくってたんだからな。」
「……………。」
ホークアイの言葉に、流石に面目なくケヴィンは頭を垂れた。シャルロット、あんなにへたばってたのに。
「そうそ、お陰であたしの分の魔法のクルミまで使われちゃったわよ。――――あ、そうだ。買って来ないとね。…デュラン、ホークアイ、どっちでもいいからお金頂戴。」
「………待て。俺も一緒に行く。」
すかさず同行を申し出るホークアイ。アンジェラは面白くなさそうに唇を尖らせる。
金銭感覚のない王女サマに一人で買い物させる程、パーティは裕福ではない。財布の紐は、デュランとホークアイが握っているのだ。
「何よお。そんっっなに信用ないわけ?」
「べっつにぃ。…只、俺もついでがあるんだよ。つ・い・で。」
「んじゃ、俺は粥でも作ってもらえねえかどうか聞いてくるわ。リース、後頼むな。」
「あ、はい。」
三人が出て行き、リースは再びケヴィンを寝かしつけた。
「さ、少し眠りましょうね。」
「リース………シャルロットは……………。」
リースは小さく微笑んだ。聖母のような笑みだった。
「シャルロットなら大丈夫。――――ケヴィンは、ホントに優しいんですね。」
このリースの笑顔には、ケヴィンはからきし弱い。もじもじと布団を引き上げて、大人しく瞼を閉じた。お休みなさい。リースがそう言ったのが分かった。――――実際、眠くて仕方がなかった。そういえば、さっきよりは身体が楽になってきたような気がする。シャルロットのティンクルレインが、効いてきたのかもしれない――――そんな事を考えながら、再び彼は眠りに落ちていった。
優しい気配に、意識が手招きされる。そよ風のように柔らかく、心地好く、それは少年の髪をふわりと撫でている。何度も、何度も。
うっすらと瞼を持ち上げると、白く、なよやかな指先が目に入った。
そのまま視線を上へと移動させる。指の持ち主が――――小首を傾げる。微笑む。
あなたは、誰……………?
あら、と少し驚いて、くすりと笑う。その拍子に、艶やかな金髪がさらりと肩からこぼれる。
――――どうしたの?悪い夢でも見たの?
その指が少年の頬をそっと撫でる。
夢。
そうだ、これは夢だ。
――――どうしたの?私の……………。
夢、でしょう?だって、あなたは。
少年は震える手をゆっくりと差し出す。夢と分かっていても尚。
何故なら、それは彼がずっと待ち望んでいたものだったから。
それは、彼がずっと追い求めていたものだったから。
それは、彼がずっと見ていた夢だったから。
少年の手が、その白い指先に触れる。
叶う筈のない夢だったから――――少年は、それを強く、強く握り締めた。
かあ………………
「ひょえええぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!?」
?「ひょえ」?
「い、いきなりなにするでちか!!ビックリするじゃないでちかぁ!!!」
「……?シャル、ロット………?」
ケヴィンの目の前で、ハーフエルフの少女が引き攣った顔をして彼を睨み付けていた。
見ると、彼の左手には、シャルロットの小さな右手がすっぽりと収まっている。
夢。叶う筈のない………、夢。
不意に黙り込んでしまったケヴィンを、シャルロットは訝しげに見詰めた。
「ど、どーしたんでちか………わるいゆめでもみたんでちか?」
――――どうしたの?悪い夢でも見たの?
「――――!」
その瞬間。
ぼろぼろっ。そんな音が聞こえてきそうな程大粒の――――涙が、ケヴィンの眼から零れ落ちた。
「ケッ、ケヴィンしゃんっ!?」
「――――あれ?」
「あれ?じゃないでちっ!!シャルロットは、なんかわるいことゆったんでちか!?」
「い、いや、そんなんじゃない。いいんだ、もう。」
何がいいのかよく分からないまま、ケヴィンはごしごしと目を擦り、寝返りをうって少女に背を向けた。――――みっともないと思った。そのまま布団を引き被ってしまう。
「なっ、なんなんでちか!!ひとりでかってにナットクしないでほしいでち!!!」
途端にむっとするシャルロット。
「いいでちか、シャルロットがねるまもおしんでここにきたのは、あんたしゃんにひとこともんくいっちゃるためでち!!わかってるとおもいまちが、あんたしゃんがシャルロットのっけたままいきなりブッたおれたもんで、シャルロットはおもいっきしじめんにアタマぶつけちまったでち!!もうたんこぶがどーんでかれんでぷりちーなびしょうじょがだいなしでち!!こんなかよわいおんなのこをキズモノにして、どうせきにんとってくれるでちかッッ!!!!!」
お前、意味分かって言ってんのか?と、ホークアイがその場にいようものなら突っ込まれそうな台詞を一気にまくし立て、シャルロットはびしぃっ!とケヴィンの背中に指を突きつける。
――――暫しの沈黙の後……布団がもそもそと動き、布団から、ケヴィンが上目遣いに顔を出した。
「う………………ゴメン。」
「――――やっとこさこっちむいたでちね?」
シャルロットはふう、と息をつく。そのまま自分の額をぴと、とケヴィンの額に押し当てた。
ケヴィンはどきりとして一瞬身を固くする。
「シャ、シャル……………?」
「………おじーちゃんがよくこーしてくれたでち。ふむ…ねつは、まだすこぅしあるようでち。ちょっとあんせーにしただけでここまでかいふくするなんて、あんたしゃんはかよわいシャルロットとはちがってやっぱばけもんでちね。」
くすくすと笑ったその表情が何故か少し哀しげに見えて、ケヴィンは僅かに眉を顰めた。
「………ホントは、もひとつあるでち。ケヴィンしゃんに、あやまるためでちよ。」
俯いて、ぽそぽそと口を動かす。
「ケヴィンしゃん、ずうっとつらいおもいしてたのに、シャルロットはぜんぜんきづかなかったでち。ケヴィンしゃんにおんぶしてもらって、いちばんちかくにいたのに、シャルロットはにぶちんだったでち。でちから――――」
少女は、きゅっと下唇を噛み締めた。涙が落ちそうになるのを、必死に堪えていた。
「――――ゴメンなさいでち……………。」
「………………。」
「ホント、しんじゃうかとおもったんでちよ?」
「……………うん。」
ケヴィンは、叱られた子供のようにこっくりと頷いていた。
「シャルロットだけじゃないでち。デュランしゃんも、ホークしゃんも、アンジェラしゃんも、リースしゃんも、みんな、みんなまっさおになってたでちよ?」
「……………うん。」
「こんどからバトったあとは、ずえっっっっったいシャルロットにからだ、みせるでちよ?」
「……………うん。」
ここで漸く、シャルロットは何時もの笑顔を見せた。本当にこの少女は、くるくると表情が変わるのである。
「………よし!すなおでいいでち!シャルロットも、がんばったかいがあったでち!」
「………うん、そだな。」
二人は顔を見合わせて微笑んだ。その時だった。
「……………そろそろいいか?」
「――――っっ!?」
突如ドアの方から聞き慣れた声がして、二人の心臓がびくん、と跳ね上がったのだった。
その声の主は言わずと知れたホークアイ。気配を微塵も感じさせずに部屋に忍び込むなどという芸当、六人の中でこの男以外にそう易々と出来るものではない。
「あ、あ、あんたしゃん……………!いっ、いつからそこに……………っ。」
「知りたいか〜〜〜〜〜?」
にや〜〜〜と不気味な笑みを浮かべるホークアイに、シャルロットは思わずじりじりと後退った。
「う、やめとくでち………。」
「そっか、そいつは残念。」
にこっと人懐こい笑顔を浮かべると、ホークアイはすたすたとベッドの方へ歩いて来た。
「いやー、なかなか世界に入り辛くてさ。御免御免♪もしかしてお邪魔、だったかな?」
きょとんとするケヴィンとは対照的に、シャルロットは顔を真っ赤にして反論した。
「なっ、ヘンなごかいするんじゃないでち!!ケヴィンしゃんはシャルロットがいないとなーんもできないおこちゃまでちから、でちから……、でちから……、ほっとけないってゆーか……、ううううぅも――――!!!とにかくこのシャルロットがいてやんないとダメなんでちっ!!だいいち、シャルロットにはヒースとゆー、こころにきめたまいはにーがいるんでちからねっ!!!」
――――そおゆうのを「ベタボレ」ってんだよ。………とは、流石に口に出さずに、ホークアイは手にしていた魔法瓶から、赤紫色の液体をコップに注いだ。口に出そうものなら、「はりせんちょっぷ」を後頭部にくらいかねない。それは彼としても避けたい事態であった。
「プイプイ草煎じたモンだ。効くぜ?」
普段は、傷口に直接宛がう事が多いプイプイ草だが、本来は煎じて飲むのが最もよく効く処方とされているのである。昼間、彼はアンジェラとこのプイプイ草を大量に買い込んで来たのであった。
一気にいけよ、と言われてケヴィンはぐい、とそれを飲み干した。
「……………うぇ…………………マズイ。」
顔を歪めるケヴィン。これには、シャルロットも思わずぷっと吹き出してしまった。
「あら、ケヴィンにも不味い物があったのねえ。」
「知ってっか?『良薬は口に苦し』っていうんだぜ。」
「ケヴィン、お口直し持って来ましたよ。」
そこへ、アンジェラ、デュラン、リースもやって来た。軽口を叩いてはいるが、皆一様に安堵の表情を浮かべている。
「ほらケヴィン、粥だ。ここの女将さんがいい人でさ。タダで作ってくれたんだぜ?」
デュランが差し出したお粥を、シャルロットが受け取り、さも面白そうににやりと笑った。
「さぁーてケヴィンしゃん、あーんするでち♪」
「オ、オイラ、子供じゃない……………。」
亀のように首を縮めてささやかな抵抗を試みるケヴィンに、四人は悪いと思いつつも表情が綻んでしまう。
「ところで………これからどうします?」
まだ唇の端に笑みを滲ませながら、リースが皆を見渡す。
「そうだな……ケヴィンまだ熱あるようだし、交代で様子見てやんねえと。」
腕組みをして答えるデュラン。すると、シャルロットがきっぱりと言った。
「いいでち!このシャルロットにどーんとまかせるでち!!」
「え?でも………シャルロットも疲れてるでしょう?」
シャルロットはぶんぶんと首を横に振った。
「みなしゃんがいっしょけんめーあるいてたとき、シャルロットはずーっとやすんでたでち。でちから、いいんでちよ。それに、シャルロットはかいふくまほーのえきすぱーと、でちからね!!!」
「分かった分かった!んじゃ、ここはシャルロットに任せようぜ!!」
ふう、と溜息を吐いてホークアイが言った。
「ホークアイ!!――――でも……………。」
「いいんだよリース。あいつも――――」
――――あいつも、あいつなりに責任感じてるのさ。
小声でリースにそう囁くと、ホークアイはシャルロットの頭をわしゃわしゃっと撫でてやった。
「ま、些か頼りないけどね。」
「むっきゃー!!んなことゆってると、ホークしゃんのときはシャルロットはかんびょーしてあげないでちよっっ!?」
「いいのさ〜。そんときゃ俺はリースに優し〜〜く看病してもらうからな♪」
「えええええっ!?な、なな、何で私がっ――――」
ぷんすかするシャルロットと頬を染めて狼狽するリースを尻目に、ホークアイはひらひらと手を振りながら部屋を出て行ってしまった。アンジェラがその後姿を見送りながら、はあ、と吐息を吐いた。
「――――全く、あの男は何でああいう言い方しか出来ないのかしらねえ。……それじゃ、お言葉に甘えて、あたしも寝るわ。行きましょ、リース。」
「え、あ、はい。」
お休み、と二人が出て行き、残るは三人だけとなった。
「……ホントに大丈夫なのか?」
「もぉ、デュランしゃんはいがいとしんぱいしょーでちねぇ。だいじょぶでちよ。」
「そっか。でも、眠くなったら無理しないで、言うんだぞ?何時でも代わってやっから。」
「はいでち。デュランしゃん。ありがとしゃんでち。」
微笑むシャルロットにつられて、デュランも思わずにこりと笑い返す。
「ケヴィン、今日は思う存分甘えんだな。」
デュランもそう言って部屋を後にし、再びケヴィンとシャルロットだけが残された。
沈黙。先程からいたたまれなくなっていたケヴィンがそれを破った。
「あ、の……………シャルロット、オイラ、一人でも大丈夫――――」
「すとーっぷ!!もうそのさきはいいかげんいいっこなしでち!!」
シャルロットは両手でそっとケヴィンの左手を包んだ。
「シャルロットは、いつも、いっつもケヴィンしゃんにあまえてきたでち。…でちから、シャルロットにもたまにはおかえしさせてほしいでちよ………。」
――――ね?
ふわりと微笑んだシャルロットがやけに神々しく見えて、思わずケヴィンはうん、と頷いてしまう。だが次の瞬間、その「神々しい」少女は、小悪魔へと変貌するのであった。
「と、ゆーわけでぇ♪」
粥を匙にすくって、ケヴィンの目の前にぐいと突きつけ、にや〜〜りと笑うシャルロット。
「さあっ!!かんねんしてクチあけるでち!!」
「シャル……………………………………。」
本当は自分で遊びたいだけじゃないのかっ!?――――と、ケヴィンにそんな疑いを抱かせてしまう程、この時のシャルロットの表情は喜々としていたという………。
ケヴィンは目を覚ました。熱はもう引いているようだった。
身体が不思議と軽いような気がして、自分のものである事を確かめるように、ケヴィンは指を一本一本動かしてみた。昨日のようなだるさは、もうなかった。――――もう、大丈夫。彼は本能的にそれを悟ると、ベッドから身を起こした。
ふと傍らを見る。其処には、ベッドに突っ伏すような格好で、ハーフエルフの少女がすうすうと寝息を立てていた。思わず笑みがこぼれる。そのまま優しくそっと抱き上げると、ベッドに寝かせてやった。
もうすぐ、朝日が昇る。ケヴィンは大きく伸びをすると、外へと飛び出した。
ひんやりとした大気が、程よく身体に刺激を与えてくれた。少しずつ、身体が目を覚ましてゆく。
ケヴィンは大きく深呼吸すると、遥かに地平線を見遣った。
――――もうすぐ、朝日が昇る。
それは、漆黒の闇と月の光しか知らなかったケヴィンにとって、新しい世界の象徴でもあった。
旅に出てから、これは何度目の朝日だろう。だが、何度見ても飽きる事はなかった。その神々しさと力強さは、何時も彼を惹きつけた。
目を細めて、地平線を凝視していると、後方からぱたぱたと足音が近づいて来た。
「ケヴィンしゃ――――ん!!!!!」
「――――シャル……………?」
シャルロットははあはあと息をつくと、頬をぷっと膨らませた。
「んもー、いきなりいなくなって、ビックリしたじゃないでちか!!どーせなら、ちゃんとひとことことわってくでち!!」
「ゴメン。でもシャルロット、よく寝てたから。」
「う、うう……このシャルロットとしたことが、ふかくでちた。………ところでケヴィンしゃん、ここ、ここ。」
シャルロットが額をこんこんと指差したので、その意を解したケヴィンは彼女をひょいと抱き上げ、昨日彼女がやったようにこつん、と額を合わせた。
「熱、もうない。………だろ?」
「…そのようでちね。あんしんしたでち。」
ケヴィンはそのままシャルロットを自分の肩に載せてやった。
「――――ところでなにしてるでちか?こんなとこにつったって。」
「うん、朝日、見ようと思って。」
「……ふうん。ものずきでちねえ。そんなもんみて、たのしいでちか?」
「オイラ、月も好きだけど、朝日も大好き。もうすぐ昇るぞ!わくわくしないか?」
「……やれやれ。まったくおこちゃまでちねぇ。」
苦笑したシャルロット。それははしゃぐ子供を温かく見守る、母親の表情に似ていた。
やがて空が朱色に染まる。オレンジ色の光にゆっくりと、溶けてゆく。それは、優しく二人を包み込んでいた。
二人は言葉もなくそれを見詰めていた。やがてシャルロットが独り言のように言った。
「……キレイでちね、あさやけ。あんなにキレイなもんだとは、しらなかったでち。」
「……うん。」
「ケヴィンしゃん。」
シャルロットは悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「こーゆーときは、『キミのほうがずっとキレイ』とかなんとか、きのきいたセリフをゆうもんなんでちよ。おんなのこと『デェト』するときまでに、おぼえとくでち。」
ケヴィンはそれを聞いてむ?と顔を顰める。
「キミのほーが…………、うー、何?」
「……………もお、いいでち。シャルロットがおばかしゃんだったでち………。」
がっくりと肩を落とすシャルロットであった。が、ふっと思い出したように真顔になる。
おずおずとケヴィンの横顔を見ながら、シャルロットは遠慮がちに尋ねた。
「………ケヴィンしゃん、ひとつだけきいていいでちか?」
「ん?何?」
肩の上のシャルロットを見上げる。
「………きのう、なんでないたでちか?」
「……………!」
とくんと心臓が鳴ったのを、シャルロットに気付かれはしなかったか。ケヴィンはつい視線を逸らして押し黙った。
シャルロットはそれを見て更に心配げに覗き込む。
「………やっぱし、わるいゆめでもみたんでちか………?」
「………違う。違うよ、シャルロット。」
目を伏せて、ゆっくりと首を横に振る。
――――どうしたの?悪い夢でも見たの?
差し伸べられたなよやかな指先。優しく頬を撫でてくれた温もり。顔は見えなかったけど、あれはきっと――――。
「逆だ。いい夢だったから、余りにもいい夢だったから、ホントに夢だったって分かったら、何となく哀しくなった。ただ、それだけだ。」
「………それって……なんだか、さみしいでち………。」
「………うん。オイラが、馬鹿だったんだ。勝手に、淋しくなってた。」
あの時、シャルロットはずっと側にいてくれていたのに。その優しさも、温もりも、間違いなくシャルロットのものであったというのに。そう、現に自分が握り締めていたのは、今目の前にいるこの少女の小さな小さな掌であったのだから。
「シャルロット、オイラ、まだシャルロットに言い忘れてたコトあった。」
「ふぇ?……………。」
「ありがと………、シャルロット。」
ふわりと少し恥ずかしそうに微笑んだその笑顔が何時もの大人びたそれではなくて。
そんな笑顔を初めて見たような気がして、何故かきゅっと胸が締め付けられて。
暁のオレンジ色の光に包まれて、その少女の顔は何時しか真っ赤に染まっていたのだった。
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