「winter fall」





 彼にとってそれはまさに青天の霹靂であったと言わねばならないだろう。
 驚きの余りしばしばと目を瞬かせ、彼にしては珍しい事だが、だらしなく口をあんぐりと開けて――――暫く、彼は目の前にいる少女を呆気に取られたように見詰めていた。
 「それは――――ひょっとして、俺の、か………?」
 やっとの事で紡ぎ出した言葉は、後になって考えてみれば二度と思い出したくないと思わせる程に滑稽で間抜けなものであった。それを聞いた少女は訝しげに首を傾げる。何を当たり前の事を言っているの?恰もそう問い掛けるように。
 「………瑠璃君………。」
 上目遣いに見詰めるその瞳にふっと不安げな翳りが落ちる。ぎょっとして青年は思わず一歩後退った。
 「………ひょっとして………イヤ………?」
 ………少し話を遡ってみる事としよう。



 「そうそう、真珠ちゃん、なかなか上手っスね!」
 自称カナリヤ――――どう見てもチョコボなのだが――――の、「ユカちゃん」は真珠姫の手許を覗き込むようにしてうきうきと言った。
 「え……そ、そうかな……?」
 頬を染めつつ「ユカちゃん」を見てふんわりと微笑み、再び視線を落とした先――――彼女の手許にあるものは編棒と毛糸である。手付きは多少危うげではあるが、それでも一つ一つ丁寧に、ゆっくりと編目を作っていく姿を、「ユカちゃん」と、偶さか井戸端会議に押し掛けていたティーポは、半ば感心しつつ見守っていた。
 此処はドミナの宿屋・マナの祝福亭。「ユカちゃん」はその看板娘であり、同じくドミナの道具屋に住んでいるティーポット型魔法生物のティーポは、彼女の茶飲み友達である。
 さて、真珠姫が此処で何をしているかと言えば、彼女の騎士である瑠璃を待っているのである。――――レディパールとして己が存在していたという記憶が完全に戻った今、迷子癖が以前程ではなくなったとはいえ、どうも彼女の方向音痴と妄想癖は生来のものでもあったらしく、完全に迷子癖が抜けたとも言えぬ状態であった。そこで瑠璃は時々、真珠姫を宿屋に一時預ける、という手段を採るようになっていた。それは主に彼が武器防具屋へ品定めに行く時に為された。武器防具は言わば己の命を預けるもの、そして何よりも彼にとっては「姫」を守る為のものである。それ故、その時だけは流石に集中してそれらを吟味したいという思いがあった。……そして、そういった血腥いものをなるべくなら心優しい真珠姫の目に触れさせたくはない、という彼なりの気遣いもあった。真珠姫がそれに気付いているかどうかは定かではないが――――それはともかく。
 瑠璃がそうして出掛けている間、真珠姫はマナの祝福亭にて、「ユカちゃん」の世話になりつつ大人しく留守番をする事が何時しか習慣になっていたのである。マナの祝福亭よりもずっと信頼出来る場所がない訳ではないが、瑠璃は其処に甘える事を努めて避けた。其処に住む彼の友人に、これ以上世話を掛ける事は憚られたからである。尤も、当の本人にそれを言おうものならば、「水臭いね」と苦笑させてしまう事になるであろう。それも瑠璃には良く分かっていた。だが、だからこそ――――頼り切ってはいけないような気がしていたのだ。言わばこれは彼なりの「けじめ」であったのだ。
 ともあれ、今や彼女等――――真珠姫、「ユカちゃん」、ティーポはすっかり仲良しになり、真珠姫は今日、「ユカちゃん」に暇潰しの一環で編物を教えてもらっている、という訳なのである。
 「しっかし、健気なコやねぇアンタ。」
 ティーポが細い目を更に細くしてほうっと溜息を吐いた。
 「ウチやったら到底我慢でけへんやろなぁ。……ホンマにドコがええのん?あないな三白眼ストーカー男の。」
 「――――その疑惑はもう晴れたと思っていたが?」
 その時、ティーポの台詞から間を置かず、その場の空気を瞬時に冷却させるような冷え切った声が部屋中に這うように響いた。ぎょっとして蒼白になった――――尤も彼女の顔は元々白いのだが――――ティーポとは対照的に、真珠姫の表情がぱぁっと輝く。
 「あ、瑠璃君。お帰りなさい!」
 何時の間にか部屋の壁に背を預けて腕組みをしつつ事の次第を見ていたらしい瑠璃は、満面の笑顔で仔兎のように駆け寄って来る少女にふっと表情を和らげたが、直ぐに顔を上げてジロリとティーポを睨んだ。それを見たティーポは、その扱いの差は何やねん、と口の中でもごもごと独りごちる。何か言いたそうなティーポには気付かぬ振りをして、瑠璃は「ユカちゃん」へと視線を移した。
 「世話を掛けたな、チョコボ。礼を言う。」
 「カナリヤっス!!!」
 途端に炸裂したドミナ名物「ユカちゃん突っ込み」をするりとかわし、瑠璃はじゃあな、と無愛想に言い置いてすたすたと扉へ向かう。あ、待って――――と、真珠姫が何かを思い付いたように「ユカちゃん」を振り返った。
 「ねえ、ユカちゃんさん、これ……借りていっても、いい?練習、したいから……。」
 もじもじと編物セット一式を指し示した真珠姫に、「ユカちゃん」は微笑み、頷いてみせた。
 「勿論っス!今用意してあげるから一寸だけ待つっスよ!」
 「ユカちゃん」は手際良く編棒やら毛糸やらをひょいひょいと紙袋に入れ、真珠姫に手渡した。ありがとう、また教えてね。紙袋を大事そうに抱えてぴょこんと御辞儀をすると、真珠姫はひらりと身を翻し、騎士の背中を追って駆けて行った。それを見送りつつ、エエ子やなあ……と、ティーポは感嘆するように再び溜息を吐いた。
 「涼月はんは瑠璃はんのコト、『丸くなった』言うてはったけど、ブアイソなトコだけは変わらんな、全く。」
 「まあまあ、多少ブアイソなトコロは性格だから許してあげるっスよ。確かに涼月さんの言う通り、あれで大分丸くなった事には変わりないっスからね。」
 「涼月さん」とは、ドミナの近くで、身寄りのない森人の双子と共に居を構える、些か変わり者で有名な青年の事である。
 珠魅の一族を滅亡から救った事を始めとして、彼の為した事はとっくに「英雄」と言わしめても可笑しくない程の出来事なのだが、その如何にも呑気そうな風体と彼自身のほのぼのとした人柄から、ドミナの住人達の間では「英雄」というよりは「お人好しの涼月さん」で通っていた。
 加えて彼は今ではすっかり瑠璃の親友でもあった。同族以外には滅多に心を開かぬ瑠璃が、その過程を考えれば当然の事ながら、涼月には心を開いた。そして彼の人柄に触れる内、瑠璃自身にも変化が起こったのである。それが「丸くなった」という事なのだろう。涼月にならともかく、彼以外の人物にこの上なく大切にしている「姫」を預けるなどという行為は、以前ならば考えられなかった事なのだ。――――だからこそ、幾ら無愛想な憎まれ口を叩かれても、「ユカちゃん」は嬉しかったのだ。「真珠姫を預ける」という行為が、瑠璃が「ユカちゃん」を信頼しているという何よりの証明であったのだから。
 「ユカちゃん」はくすりと笑う。
 「それに、瑠璃さんは冷たいおヒトでもないっスよ。結構カワイイトコあるっス。」
 ティーポはふふん、と皮肉な笑みを浮かべた。
 「……どうせ真珠はん限定やろ、それ。」
 「おや、分かってるじゃないっスか。」
 二人は顔を見合わせてくすくすと笑った。真珠姫が立ち去った後、このような遣り取りが繰り広げられていたなどという事は、本人達は知る由もないだろう。――――ドミナは、今日も平和である。



 「……それ、重いなら持つぞ?」
 紙袋を両腕に抱えてとことことやって来た少女を見て、青年は訝しげにそう言った。
 「あ、い、いいの!見た目ほど重くないし……それに、……これは、私が持ちたいから……。」
 そうか、と短く答え、瑠璃は歩き出した。慌てて半歩遅れに真珠姫が後に続く。
 「あの……、お、怒った……?」
 「――――莫迦。何で怒るんだ。」
 思わず憮然として立ち止まり、訊き返す。
 「だ、だって……瑠璃君がせっかく……。」
 ぽん、と少女の頭に掌が置かれた。どきりとして視線を上げると、呆れつつも目を細める騎士の顔が目に入った。
 「……真珠。お前は気を回しすぎる。」
 「……ご、ごめんなさい……。」
 謝る事じゃないんだが。そう思いつつも再び青年は歩き始めた。促されて少女も再び歩を進める。ドミナの小道を仲良く並んで歩く珠魅の騎士と姫。……何時もの、のどやかな風景である。
 やがて真珠姫がぽつぽつと話し始めた。
 「あ、あのね……今日は、ユカちゃんさんに編物教えてもらったの……。」
 「……そうか。良かったな。」
 「う、うん。……それでね……。」
 何故か少女は紙袋に顎を埋めつつ、もじもじと頬を赤らめる。
 「あの、あのね……せっかくだから、マフラーでも編んでみようかなって思うの……。」
 「ああ、そろそろ寒くなって来たからな。風邪を引くといけない。」
 デュマ砂漠やフィーグ雪原等の特殊な地域を除けば、ファ・ディールにも四季はある。暦の上ではそろそろ舞い散る落ち葉が雪に変わっても可笑しくない頃だ。瑠璃は日除けも兼ねたマントを着用しているのである程度は凌げるが、真珠姫はといえば胸元の核も露な純白のドレス。防寒具の一つもそろそろ必要だと思っていた矢先であった。
 「うん、寒くなって来たし……でも、いきなりセーターなんて無理だし……。」
 「……俺は良く分からんが、そうなのか?」
 「そ、そうなの……他にもいろいろ考えたんだけど、帽子はもうかぶってるし……。」
 「……何?」
 そのまま相槌を打ちかけて動きが止まる。真珠姫は帽子など被ってはいない。
 「手袋は両手で大きさがちょっと違うから難しそうだし……。」
 「――――???」
 真珠姫の両手の大きさがそれぞれ違うかというと………その答えは言うまでもない。と、いう事は。
 「おい……自分のを編むんじゃないのか??」
 え?――――訊ねた瑠璃に、真珠姫はきょとんとして向き直った。想像もしていない台詞を言われた、そんな顔だった。
 「……え?だ、だって、その方が編んでても楽しいじゃない……。それに……。」
 更に赤くなって、少女は上目遣いにちらりと騎士を見た。
 「か……、風邪、ひいて欲しくないもの……。」
 「…………………。」
 全くそう思わないでもなかった。実を言うとその可能性も少しは考えた。だが、それは体の良い自惚れのようで、努めて思考の外に押し出そうとしていた。――――が、彼女の台詞と態度が彼のその予測を決定的に裏付けていた。
 瑠璃は暫く言葉を失った。探していた。焦っているのが自分でも分かった。次第に頬が上気してゆくのを感じる。落ち着け、と自分に言い聞かせつつ、何か言葉を掛けようとした。しかし。
 「それは――――ひょっとして、俺の、か………?」
 ――――そして話は冒頭へ戻るのである。



 「瑠璃君……ひょっとして……イヤ………?」
 それを聞いた時、己の吐き出した台詞の間抜けさ加減に、瑠璃は頭を掻き毟りたくなった。気の利いた台詞一つ言えない我が身が恨めしかった。真珠はどう思っているだろう。嫌な筈などない。寧ろ。
 「ばっ……莫迦っ、嫌なワケあるか!!」
 思わず大声を出してしまい、しまった、と再び瑠璃は頭を抱えた。この場にあの男がいたならば、「もっと違う言い方出来ないの?」くらいの説教は覚悟しなければならない所だ。案の定、突然大声を出された真珠姫はびくりとしてぴょこんと頭を下げた。
 「ごっ……ごご、ごめんなさいっ……。」
 「あ、いや…ち、違う!今のは俺が悪かった。お前が謝る事じゃない。だから、つまり、その………。」
 「……………??」
 「――――その、な。」
 ゴホンと咳払いをし、瑠璃は遠慮がちにこちらを見詰める真珠姫からぷいと顔を背けた。マントを着用していて良かった、とつくづく思った。今の自分は耳まで赤く染まっている事だろう。
 「……あんまり派手でなければ、それで良い。」
 ぼそりと呟く。少女は一瞬ぽかんとしたが、やがてじわりと口許が綻ぶ。心底安堵したかのようにほうっと長い息を吐いて、彼女はきゅっと青年のマントを握り締めた。
 「うん………がんばるね………。」
 頬を染め、にこりと微笑む。その周囲にだけ春が訪れたかのような錯覚を覚えさせる――――一部の人間には「瑠璃殺し」という下世話な異名を取る――――温かい、満面の笑顔。最早瑠璃は、ああ、と頷く事しか出来ないのであった。



 「――――どっ……どうすれば良い!?」
 「――――どうすれば、って。」
 その「一部の人間」である所の青年は、開口一番そう言って必死の形相で詰め寄って来た珠魅の友人をきょとんとして見詰めた。
 「じゃあ、此処は一つ『有り難う』って抱き締めて、キスの一つもプレゼントしてあげるとかさ。」
 「――――邪魔したな!」
 「あ、待って待って。冗談だってば。」
 勢い良くくるりと背を向けて去り掛けた友人へ、涼月は苦笑しつつ声を掛けた。むすっとしてジト目で振り返った瑠璃の顔はクジラトマトと張り合える程に赤く染まっており、涼月は思わずククッと声を出して笑ってしまった。それを見て瑠璃は更に不機嫌になる。
 「――――キサマが言うと冗談に聞こえん。」
 だってホントは真面目に言ったんだもの、と言い掛けて涼月は止めた。口に出そうものなら今度こそ瑠璃の愛剣オブシダンソードが顔面目掛けて飛んで来るに違いない。
 漸く涼月の向かいにどかりと腰を下ろした瑠璃は、それでも目の前にいる友人の顔を見ようとはしない。そんなに恥ずかしいのに相談に来るなんてよっぽど悩んでるんだな、と涼月は肩を竦める。意外だね。ふとそんな台詞が口をついて出て来た。
 「………何がだ。」
 「だって、女の子からプレゼント貰うくらいでそんなに悩むなんてさ。瑠璃ってそういうの慣れてそうだったから。もてそうな顔してるし。」
 言ってしまってから、あ、そうか、と気付く。「女の子からプレゼントを貰うから」悩んでいるのではない。「真珠姫からプレゼントを貰うから」この男はこんなに悩んでいるのだ、と。
 「……からかってるのか、キサマ。」
 瑠璃の眉間に一層深い皺が刻まれる。ジロリと睨まれて、涼月はとんでもない、と顔の前で手を振ってみせた。
 「僕が女だったら、絶対君に惚れてたと思うなあ。」
 「……………!!」
 「例え話だよ。そんな露骨に嫌な顔しなくても良いじゃないか。」
 余裕がないなあ。そう言って涼月は笑った。相変わらず顔を朱に染めて、瑠璃は俯く。ハア、と溜息を吐いて、ぼそぼそと言った。
 「………真面目な話だ。……どうするんだ、普通、こういうのは。」
 「………。」
 考えてみれば、珠魅として生まれてこの方、同族――――つまりは真珠姫以外に心を通わせる相手もなく、ひたすら仲間を求めて流離って来たこの男に、全くそういった経験がないというのも頷ける話である。只でさえ他人から好意を寄せられる事に慣れていない、そういった状態で尚且つ、この上なく大切にしている姫からの突然のプレゼントの申し出である。これは混乱するなと言う方が無理かもしれない。……してみると、先程の「慣れてそうだったから」という発言は失言だったかな、と涼月は内心少々反省した。
 「………普通は御礼言えば済む話じゃない?」
 「………それだけじゃ……アイツの気持ちと釣り合わんような気がする……。」
 確かに。涼月は深く頷いた。
 真珠姫は御世辞にも器用とは言えない。寧ろ不器用な部類である。そんな彼女が編目と格闘しつつ、覚束ない手付きで瑠璃の為に懸命に編棒を動かしている姿が目に浮かび、涼月の口許がほのぼのと綻ぶ。君は幸せな男だよ、瑠璃。そんな台詞を言いたくなる。
 「成る程ね。そういう事なら、オーソドックスな手ではあるけど――――」
 「――――?」
 面を上げた瑠璃へ、涼月は顔をひょいと近付けた。
 「お返しに瑠璃も何かあげるとかさ。」
 「お返し……?」
 「そう。問題は何をあげるかだけど……真珠って欲しい物ないのかなあ。何か心当たり、ある?」
 腕組みをして、瑠璃は黙り込んだ。此処は彼の記憶に頼るしかない。涼月はじっとそれを見守る。やがて、瑠璃がぽつんと呟いた。
 「――――魔法楽器………。」
 「………魔法楽器?」
 ああ、と瑠璃は頷いた。
 「アイツは……俺に守られる一方だという事に、何時でも負い目を持っていた。……莫迦だ。そんな事、感じる必要もない事なのにな。」
 そして、ある時彼女はこう言ったのだという。――――武器とまでは言わない。せめて、魔法楽器だけでも使えたらいいのに、と。そうすれば少しでも瑠璃君のお手伝いが出来るのに、と。
 「………君らってさ、相変わらずだよね………。」
 「――――ウルサイ。」
 そっぽを向いてもごもごと言った瑠璃がこの上なく可愛らしいものに見え、涼月は思わず微笑する。
 守られてばかりいる事に負い目を感じる真珠姫を莫迦だと思う。これは瑠璃が騎士だからこその論理であろう。大切な人が――――己の騎士が、目の前で危険な目に遭っていても、直接力になれない悔しさ、もどかしさ。傷付いた核を癒す事は出来ても、その前に予防の働きが叶わぬ苛立ち。……本当は、騎士の傷付く姿など見たくはないというのに。――――それは、戦う力を持った「騎士」には真に分かり得ぬ思いである。
 そして、真珠姫もまた充分に理解していないであろう事がある。戦う力の有無、そして癒す力の有無すらも――――瑠璃にとっては恐らく問題ではないであろうという事。この剣士にとって、真珠姫という少女が彼の傍に在る、只それだけの事が如何に彼に大きな力を与えるものであるか。……無邪気な白真珠の姫は未だその意味に気付いてはいまい。そして何よりも、瑠璃は真珠姫の手が汚れる事を嫌う。
 どちらの思いも分からぬでもない。だからこそ思えたのだ。相変わらずだ、と。言うなればそれも互いを深く想うが故の事。想うが故の擦れ違いである事は、外ならぬ本人達も互いに百も承知であろう。それを涼月は些か歯痒く思う。
 「――――ま、それはともかく。護身用に一つくらい持たせておくのも良いかもしれないね。迷子癖、まだ治ってないみたいだし……その方が君にとっても安心だろ?」
 「――――まあ、な。」
 「じゃ、決まりだね。」
 にこりと笑って涼月は意気揚揚と立ち上がった。だが。
 「………買いに行くのか?」
 それを聞いてがくりと肩を落とす。この朴念仁!そう言ってやりたいのを堪え、涼月はきょとんとした顔をしている瑠璃へとびしっと人差し指を突き付けた。
 「何考えてんのさ。手作りに決まってるだろ手作り!!手作りには手作りで対抗!!」
 「対抗って、お前なあ……。」
 「あの子の真心に応えるつもりなら、それくらいしなくちゃ。……分かってる?」
 「しかし…楽器作りなんて俺はやった事が――――」
 「だ・か・ら!!!」
 たじろぐ友人へ涼月は更に詰め寄る。戦闘に関しては冴え渡る思考回路を遺憾なく発揮し、即座に適切な判断が出来る癖に、人間関係の事となると途端に彼は心許ない。だから、自分が可能な限り背中を押してやる必要がある。そう涼月は思っている。
 「――――目の前にプロがいるだろ?大丈夫、教えるから。何なら、ついでに君のフルート少し改造してあげても良いけど、どう?」
 瑠璃も一応魔法楽器を所持してはいる。が、飽くまでそれは直接攻撃が敵に通じぬ場合を想定しての保険である。魔法などという回りくどいものは性に合わんが仕方がない。――――以前、彼は涼月にそう言って苦笑していたものだ。
 「………ホントか?」
 「………嘘だったとして、僕に何の得があるのか知りたいもんだね。」
 フルートの改造云々を持ち出したのは、彼なりの思い遣りだった。素直に「頼む」と言えない、どうしようもなく口下手な友人が、少しでもその台詞を言い易いように。
 「ま、君が頑張って真珠にキスの一つもするって言うなら話は別なんだけどさ。」
 ざあっと瑠璃の顔色が変わる。本当にこの男は分かり易い、と涼月はニヤリと笑う。尤も、彼のそういう所が自分は気に入っているのだが。
 「妙な話を蒸し返すな!!」
 「あ、でも彼女の性格じゃキス自体分かってないかもしれないね。それは問題だなあ。」
 「――――オイ!!」
 「――――と、すると、これはやっぱり。」
 くるりと振り向き、やけに大真面目な顔をして。涼月はぽんと瑠璃の肩を叩いて言った。
 「ちゃんと教えてあげなきゃいけないね。実地で。」
 「――――キサマ。死にたいらしいな。」
 真っ赤になってぶるぶると震えつつ瑠璃の右手が剣の柄に触れ、それがちゃきっ、と音を立てた――――。



 一方、そんな事が中で繰り広げられているとはつゆ知らず、書斎の扉の前では、真珠姫が一人所在なく座り込んでいた。
 ――――瑠璃君も、お兄様も、何話してるのかなあ……。
 気にはなるが、その場を動く事は出来ない。瑠璃が彼女に「絶対入って来るなよ」としつこく念を押した為である。仕方がないので手持ち無沙汰に、早速紙袋から編棒と毛糸を取り出す。
 「ええっと……確かこう……。」
 ぶつぶつと言いつつ編棒を動かし始めた彼女の手許にすっと一つの影が落ちた。覗き込んだ拍子にはらりと零れ落ちた、涼月と同じ素朴な黄金色の髪が真珠姫の視界に入る。
 「……ふうん。編物?」
 降って来た涼やかな声に顔を上げると、そこには一人の娘が清楚な微笑を浮かべて立っていた。
 フード付きの外套をばさりと肩から滑らせると、動き易さ重視の、健康的な素肌を惜しみなく晒した着衣が目を引く。腰にまで届くたっぷりとした黄金色の髪は、邪魔にならぬよう、幾つかの、棒のような髪飾りでその毛先を纏めてある。聡明な色を湛えたその眼がふっと細められる。
 「こんにちは。久しぶりね、真珠姫。」
 「――――お姉様!!」
 ぱっと顔を輝かせた真珠姫に、娘は相好を崩す。
 「涼月、いる?」
 「は、はい……中に……。」
 「……どうして貴女は入らないの?」
 「え……る、瑠璃君が入るなって言ったから……。」
 「――――そう。じゃ、私は入っても構わないわよね。」
 言うが早いか、彼女は遠慮なく扉を押し開けた。呆気に取られる真珠姫の前で、扉が再びぱたんと閉められた。



 「入るわよ、二人共。」
 部屋に入った娘は目に飛び込んで来たその光景に一瞬ぽかんとしたが、やれやれ、と肩を竦める。彼女にとって最早それは馴染みの光景に外ならないのだから。
 「待て涼月!!キサマ、コロス!!!」
 「あははははは。冗談だってば。」
 「キサマが言うと冗談に聞こえんと言ってるだろうがっ!!!」
 剣を振り回す瑠璃と、満面の笑みで楽しそうに逃げ回る涼月と。――――ばたばたと大の男二人が犬ころのように部屋中を駆け回る姿は傍から見れば妙としか言い様がない。現時点で夕食の買出しに出掛けている森人の少女がこの状況を目にしようものなら、
 ――――いい加減にして下さい!!誰がお掃除すると思ってるんですかッ!!
 とでも、母親の如く叱り付けるに違いない。そんな事を思い描きつつ、娘はぼそりと呟いた。
 「まーた仲良く喧嘩して……。」
 ぴたりと二人の動きが止まる。娘の姿を見留めた涼月は、ぱしっと眼前でオブシダンソードを白刃取りした状態のままくるりと振り返った。
 「や、こんにちは、亜夜。久しぶり。」
 にっこりと微笑む。瑠璃も、よう、と何もなかったかのように言葉少なに挨拶を返す。
 娘の名は亜夜という。年の頃は涼月と同じだろうか。――――何時の頃からだったか、ドミナの空き家に住み着いていた不思議な娘だが、何故か涼月とは馬が合うらしく、こうして時々ふらりとやって来ては何気ない時間を過ごして去って行く。どちらからともなく示し合わせ、二人で忽然と出掛けてしまう事も多々ある。以前、「あの女は何者だ。アンタの相棒のようなものか」と瑠璃は涼月に尋ねた事があったが、彼は笑いながらこう答えた。
 ――――うーん、彼女の場合、相棒というよりは、共犯者って感じかな。
 それを聞いて瑠璃はますます分からなくなったりしたものだ。だが妙な詮索はするまいと思った。友人が幸せそうならば、彼としてはそれで構わないのだ。何よりも、亜夜は悪い人間ではない。それが分かれば充分であった。そして、「人」を判断する観察眼ならば、己よりも涼月の方が遥かに勝っている。
 「可哀想に。真珠姫を締め出して、男二人で何を企んでいるの?」
 そう言って呆れたようにくすりと笑った亜夜に、涼月は肩を竦めた。
 「人聞きが悪いなあ。大切な友達の恋愛相談に乗ってあげてたんじゃないか。」
 「……勝手に人の話を脚色しないでもらおうか。」
 「――――アレ?違ったの?」
 胸倉を掴まれジロリと睨み付けられても、涼月はにこにこと笑っている。ふうん、と亜夜は少し残念そうに小首を傾げた。
 「男同士の話なら、私の出番はなさそうね。」
 「そんな事ないよ。一つ頼まれてくれるかな、亜夜。」
 そう言いつつぐいと瑠璃の肩を引き寄せる。
 「瑠璃、暫くウチに泊まるからさ。真珠を頼める?」
 ――――そうするよね?
 相変わらずにこにこと微笑んではいるものの、その全て見通したかのような眼の光が最早反論を許してはいない。……お前のそういう所が怖いんだ、とぼそりと呟き、瑠璃は渋々と頷く。
 「亜夜なら強いから、瑠璃も安心だよね。」
 「良く言うわ。貴方こそ手合わせの時は手加減なんて言葉知らない癖に。」
 「だって手加減したら本気で怒るじゃないか。」
 久々の再会で楽しげに軽口を言い合っている二人を横目で見つつ、瑠璃は脱力したようにすとんと腰を下ろし、一つ溜息を吐いた。――――疲れた。とりあえずの方針が決まったのは良いが、現時点で既に頗る疲れてしまった。何だか話が大袈裟になってしまった気がしないでもない。
 ――――俺が、大袈裟に考えすぎるのか……。
 恐らく彼の心中の台詞が聞こえたならばこの場にいる二人は、「そうだってば」と突っ込みを返すであろう。しかしこの真面目すぎる青年がそれに気付く訳もない。その時。
 「………る、瑠璃君………?」
 ドキンと核が跳ねる。聞き間違う筈のないその鈴のような声のした方を見ると、白真珠の姫が扉の影から遠慮がちに顔を半分覗かせてこちらを見ていた。怒られるとでも思っているのか、しゅんとした声でもぞもぞと言う。
 「ご、ごめんなさい……中が何だか騒がしかったから……どうしても、気になっちゃって………。」
 瑠璃はその姿に思わず小さく笑みを浮かべる。
 「――――ああ、済まん。話はもう終わった。入っても良い。」
 「そ、そうなんだ……よかったあ……。」
 安堵したようにほっと息を吐き、少女はぱたぱたと騎士の許へ駆け寄る。微笑を浮かべつつその様子を見ていた涼月が、「ああ、そうだ」と声を掛けた。
 「真珠。暫く君の騎士を借りるからね。」
 「え……?ど、どうして………??」
 真珠姫はおろおろと瑠璃を見た。何かあったの?危ない事なの?瞳がそう言っている。
 「――――野暮用だ。お前は何も心配しなくて良い。暫く亜夜の所にいてくれ。」
 瑠璃はそう答えて、安心させるように少女の髪をくしゃりと撫でた。が、次の瞬間。
 「野暮用だってさ。」
 「素直じゃないわね。」
 ひそひそと顔を突き合わせている二人の声が耳に入り、
 「お前らウルサイぞ!!!」
 ――――と再び怒鳴る羽目に陥ったのであった。一人話を呑み込めぬ真珠姫だけが、顔に幾つも疑問符を浮かべていた。



 その日の夜から、涼月による「魔法楽器の作り方」の講義が始まった。精霊との交渉のコツ、原料とコインの微妙な調合の配分、効果的な魔法の発動――――当初は照れが先立ち渋々聴いていた瑠璃だったが、この男は決して頭は悪くはない。涼月の教え方が上手かったという事もあるが、呑み込みは早く、一晩で理論上の事は全て理解していた。
 只、今回の件には何の関係もないバド――――この少年は魔法に関しては意外と研究熱心なのである――――までもが師匠の講義を聴きたがり、
 ――――邪魔するんじゃないの!!瑠璃さんの気が散るでしょう!?
 と姉のコロナに箒で叩き出されてしまうという滑稽な一幕もあったのだが。……憐れな弟子の為に、涼月は「この件が片付いたらね」と再度の開講を約束してやった。
 翌日からは早速実践である。理論は飽くまで理論として、実際に行動に移してみるとそれを体現するのが如何に難しいものであるかが分かる。瑠璃も例に洩れず暗中模索を繰り返していたようだったが、筋は良い、と涼月は思っていた。武骨とも言えるその性格とは対照的に、手先はとても器用で、繊細な配慮を要する作業も順調にこなしてゆく。そして何より、凄まじいまでの集中力がある。――――些か失敬な言い方ではあるが、不器用な真珠姫を「姫」として過ごして来ただけの事はあった。逆に、そうでなければ彼女の騎士は務まらぬであろう。
 そして、一週間の時があっという間に流れた。





NEXT



INDEX
TOP