「winter fall(2)」





 その日、亜夜が再び涼月の家へ二人を訪れたのは夕方の事であった。
 「お待たせ。やっと完成したわ。」
 お疲れ様。そう言って涼月が労うと彼女は、貴方もね、と言って苦笑した。
 ――――実の所、魔法楽器は五日間程で既に完成していた。だが、真珠姫の方がそれに間に合わなかった。しかし目的は果たしたのだから、とりあえず完成品を持たせて真珠姫の許へ瑠璃を戻してやる事も、涼月としては一向に構わなかったのだ。が、それを申し出た時、瑠璃は赤面しつつも必死の形相で答えたものである。
 ――――俺の為にアイツが編んでると分かっていて、どの面下げてそれを見ていろと言うんだ!!
 今戻るのは拷問だ。友人の瞳が切々とそれを訴えており、流石にそれを無下にするには忍びなかった。何時も通りにしていれば良いんじゃないの?――――そう言ってやった所でそんな器用な事がこの余りに不器用な青年に出来る訳がないのは良く分かっている。……仕方がないので真珠姫の方の完成を引き続き涼月の家で待つ事となったのである。
 「……じゃ、早く行ってあげなよ。」
 机の上に置いてあった細長い箱をすっと瑠璃の方へ押し遣り、涼月は言った。箱の中には此処数日の努力の結晶が入っている。瑠璃は黙ってそれを受け取った。箱に視線を落とし、じっと考えた。――――何を言えば良いだろう。何を答えてやれば良いだろう。そして、どうしたら、真珠姫を喜ばせてやれるだろう………。
 「――――あのさ。」
 「――――!」
 はっとして顔を上げる。刹那、またからかわれるのかと思ったが、涼月はほのぼのと眼を細めてこちらを見ていた。ゆっくりと語りかけて来る。――――ねえ、瑠璃。
 「言葉は、オーダーメイドである必要なんてないんだよ。」
 「………。」
 「大事なのは心だから。想いだから。……君の心をそのまま言葉にしてあげれば良い。究極を言えば、心が伝われば言葉なんて要らないんだ。飽くまで言葉は媒体だからね。――――でも。」
 一旦言葉を切ってにこりと微笑む。真摯な光がその瞳に宿っていた。
 「言葉にしなきゃ、伝わらない事もあるけど。」
 瑠璃はそれを聞き、眉を顰めて再び俯いてしまう。
 「……俺には難しすぎる。」
 「あはは。僕は君のそういうとこが大好きだよ。真珠の事も。……だから。」
 言い掛けてふと口を噤む。喉の奥から危うく飛び出し掛けたその言葉をぐっと呑み込む。
 これは、言ってはならない事だ。口に出した所で誰も咎める者はいないだろう。それでも、涼月は言うまいと思っていた。――――必要なのだ。彼等珠魅と「対等に」付き合って行く為には。瑠璃や真珠と「親友」でいる為には。気取られてはならない仄かな「怖れ」が、確かにあるのだ。
 亜夜は問い掛けるように只静かに涼月を見詰めている。
 ――――涼月、貴方……。
 ――――良いんだ、亜夜。
 亜夜の視線を眼で制し、些かの葛藤もなく小さく笑みを浮かべたその表情に、彼女はふと畏れにも似た思いを抱く。一方瑠璃は怪訝な顔をして友人を見ていた。
 「……『だから』?」
 「ん?ええと、だからさ、要は――――。」
 バシッ!!――――涼月は思い切り瑠璃の背を叩いてどんと押し出した。全く無防備だった瑠璃は危うく出掛かった悲鳴を噛み殺してのめった。
 「!!!??」
 「要は、お幸せに、って事で!!ハイ、行っといで!!」
 「お、お前なあ……。」
 恨めしい表情で背を摩る瑠璃へ、にこにこと笑って涼月は手を振る。亜夜はそれを見て苦笑しつつ、瑠璃へと声を投げた。
 「瑠璃君。余計な御世話かもしれないけど、早く行かないと暗くなっちゃうわよ?――――あのコならマナの祝福亭の前で待たせてあるわ。ユカちゃんに付いててもらってるから心配ないけど。」
 「――――わ、分かった。二人共、その……。」
 世話に、なったな。
 そっぽを向いてぼそりと呟く。二人は顔を見合わせて苦笑した。
 「うん、御世話したんだから頑張ってくれよ。」
 「真珠姫に宜しくね、瑠璃君。」
 「――――最後の最後まで口の減らんヤツらだな……。」
 むすっとして呟くと、瑠璃はくるりと背を向けて漸く歩き出した。流砂のマントがさらりと音を立てて風に舞った。



 何とはなしに二人は外まで出て瑠璃を見送っていた。涼月は、友人の姿が消えた後もその場を動こうとはしなかった。……只、真っ直ぐに前を見詰めていた。その顔は、最早笑ってはいなかった。「だから」――――あの時己が危うく言い掛けた言葉を思い出していた。



 祝福させてくれるよね?「僕自身」に――――



 ……何時かその日が来るのだろうか。言ってやる事が出来るのだろうか。「おめでとう」と。僕自身の言葉で。抱き締めてやる事が出来るだろうか。この両腕で。
 ――――子供や孫にも、絶対に渡したくない役だな。
 ふと青年は自嘲的に嗤う。珠魅という種族の新しい時代を担う二人の行末を、友人として見届けてやりたいと願うのは、我儘だろうか。
 珠魅。――――それは胸の核さえ傷付く事なければ、悠久の時すら持ち得る種族。彼等は実質不老である。一見年の頃は涼月や亜夜と同じに見える瑠璃も、既に八十年は生きているのだ。同じ時を過ごしてはいても、時間の体感速度は違うと言わざるを得ない。
 「――――涼月。」
 不意に名前を呼ばれ、彼ははっと我に返る。亜夜がじっとこちらを見ている。自分と同じ淡い翠。その眼に見詰められると、ふと鏡に見詰められているような、そんな錯覚を覚えてしまう時がある。
 「何を、考えているの……?」
 その問いに口許が綻ぶ。本当は分かっているんだろう?亜夜。
 「別に。何でもない事さ。」
 「……貴方らしいわね。」
 そう。種族が違えば自ずと寿命も異なる。それは何でもない事。言わば自然の摂理なのだから。だから、受け入れるまでだ。大切なのは、出会った事。同じ時を共有する事が出来たという事。大切にしたい。その、想いを。彼等と共に過ごす時間を。
 だから、出会った事を後悔しているかと問われたならば、迷わず否と答えるだろう。
 「なければ良かった出会いなんて、哀しすぎるだろう……?」
 涼月はほのぼのと微笑む。次第に闇色に染まりつつある空を仰いで。……それでも、とても眩しいものを見るかのように。
 「たとえ彼等との事が、マナの女神によって仕組まれた出会いだったとしても――――僕は、恨んだりしない。寧ろ感謝しなければならないね。出会いをくれた事に。」
 愛すべき人達の喜びも。哀しみも。怒りも。痛みも。嘆きも。妬みも。そして、優しさも――――知らないままに生きるよりは、知って生きた方が良い。ずっと……良い。
 「――――御免。何だかしんみりしちゃったね。」
 漸く視線を亜夜に戻し、涼月は苦笑した。いいえ、と亜夜が微笑む。その時、ふと涼月が何かを思い出したように懐から何かを取り出した。
 「あ、そうそう。これ――――。」
 「――――?」
 きょとんとしている亜夜の手を取り、それを手に握らせる。
 「ハイ、プレゼント。受け取って。」
 「えっ………。」
 思わぬ台詞に些か面食らい、亜夜は掌を慌てて開いた。――――其処には素朴な装飾を施した、木彫りのペンダントが収まっていた。
 「これ………?」
 「うん。折角だから僕も作ってみた。ディオールだから、良いお守りになるよ。」
 「ディオールって……ディオールの木!?――――そんな、貴重なモノを……。」
 どうして?――――涼月は目を丸くした。まるでそれが当然だとでも言いたげに。
 「貴重だから、君にあげたいと思ったんじゃないか。それって変かな。」
 「――――!」
 とくん。自分の胸に温かいものが溶け出すのが分かる。敵わないな。そういう台詞を、臆面もなく言えるのだから、貴方は。
 「プレゼントなんて、あげたい時に、あげたいモノをあげれば良いんじゃない?――――僕は、そう思うけど。」
 屈託のない表情で、ほのぼのと微笑む。風のようだ、と亜夜は思った。
 この世の如何なるものも、彼を縛る事など出来ないのだろう。――――否、縛るものはあっても、その枷を枷とは思わずに、それをもすんなりと受け入れ、彼は歩いて行くのだろう。この先も、ずっと。……全て、あるがままに。
 「――――有り難う。」
 「………うん。」
 ペンダントを握り締めてそう言った亜夜に、涼月は満足そうに頷いた。
 「……でも、私今、お返し出来る物何も持ってないんだけど……。」
 「良いよそんなの。僕があげたいからあげるんだし。……でもそれが気になるのなら……。」
 宙を睨んで腕を組み、懸命に考えているその姿は先程とは打って変わり子供のようで、亜夜は知らず笑みを誘われる。やがて彼はぽん、と手を打った。
 「じゃ、今夜はウチに泊まっていく事。どうせもう遅いし。一緒に夕飯を食べて、その後沢山話を聞かせてくれる事。この前はゴタゴタしてあんまり話す時間なかったからね。――――それでチャラ、って事でどう?」
 亜夜は瞬間唖然としたが、やがてくすくすと笑った。
 「強引なんだから。」
 「どう致しまして。」
 ――――憎らしいったら。
 しれっとしたその表情。ふと悪戯心がむくむくと頭を擡げる。少しはこちらも一矢報いてやりたい。――――少しの間考えてから、亜夜は言ってやった。
 「何なら、一緒に寝る?今夜。」
 「――――?」
 涼月はきょとんとして目の前の娘を見た。さあ、どう出る?――――亜夜は両手を後ろに組み、涼月の顔を覗き込むようにして上体を心持ち傾ける。
 「――――そうだね。」
 にこ、と彼は笑った。こちらを覗き込んでいる亜夜に自分の方からも顔を寄せ、その耳元で歌うようにそっと囁いた。
 ――――亜夜が良いんだったら、良いけど?
 「――――!」
 思わずばっと身を起こす。暫くは言葉も出ない。見詰め合った、暫時の沈黙。彼はにこにこ笑ってこちらを見ていたが、やがて弾かれたように声を上げて笑った。
 「あはは。冗談だよ、冗談!」
 後頭部で手を組み、くるりとまわれ右をして家へと歩き出す。その背中に、呆れたように亜夜は言った。
 「――――貴方が言うと、冗談に聞こえない。」
 その言葉を聞いて、涼月はぴたりと立ち止まった。振り返り、亜夜を見た。その顔は、悪戯を見付けられてさも得意そうに笑う、無邪気な少年のようだった。



 自分でも気付かぬ内に、歩く足が、次第に速まっていった。「ユカちゃん」が付いていてくれるとはいえ、暗くなると、真珠姫を不安にさせてしまうかもしれない。その思いが彼を急がせた。
 マナの祝福亭に近付く頃には、殆ど駆け足だった。このくらいの距離で息が切れたりはしない。彼は順調に距離を詰めていく。――――やがて、目指すものが視界に入った。
 宿屋・マナの祝福亭。その前に、ちょこんと座って話をしている二つの影。言うまでもなく、それは真珠姫と「ユカちゃん」のものであった。少女は、身振り手振りで何事か話している「ユカちゃん」に、うんうんと頷き、時折小さく声を立ててころころと笑っている。青年は速度を緩めて立ち止まった。そして、姫が笑顔を見せていた事に安堵を覚えてふっと息を吐き、再び歩き出す。やがて「あ」と言って少女が立ち上がった。
 「お帰りなさい、瑠璃君。」
 ふんわりと微笑んだ、見慣れている筈のその笑顔は、随分懐かしいものに見えた。あれから一週間しか経っていないというのに。
 「――――ああ。少し遅くなった。済まん。」
 「ううん。大丈夫。……ユカちゃんさんが、ずぅっとお話してくれてたから……。」
 「ユカちゃん」はぱたぱたと手を振った。
 「このくらい、大した事ないっスよ。……じゃ、瑠璃さん。真珠ちゃんをお返しするっス!」
 「毎度世話を掛けるな、チョコボ。」
 「カナリヤっス!!!」
 そう言いつつ何時もの如く「ユカちゃん突っ込み」を返そうとして――――何故か、彼女は途中で止めた。訝しげに微かに首を傾げる瑠璃の耳元へ、「ユカちゃん」はこっそりと言った。
 「――――今回は、真珠ちゃんのマフラーに免じて突っ込みは勘弁してあげるっス。」
 「――――なっ……。」
 狼狽する瑠璃を見て満足したのか、その肩をぽんと叩き、頑張るっスよ、と捨て台詞を残して、「ユカちゃん」は真珠姫に手を振りつつうきうきと宿屋へ戻って行った。
 「……何を頑張るんだ、何を。」
 今は閉じられた宿屋の扉に向かってぼそっと呟き、瑠璃は、少し歩くか、と真珠姫を促した。



 どちらからともなく立ち止まったのは、ドミナを出て少し歩いた時の事だった。
 「――――あのな、真珠。」
 「――――あのね、瑠璃君。」
 同時に言葉を発した事に気付き、はっとして二人はもじもじと互いに顔を逸らした。
 「……な、何だ。」
 「る、瑠璃君こそ……。」
 「お前が先で良い。早く言え。」
 「え、で、でも………。」
 「俺が良いと言っているんだ。」
 「……わ、分かったわ……。」
 少女は一度すぅっと深呼吸をした。そして、赤い顔を俯かせたまま、後ろ手に持っていた紙袋をゆっくりと瑠璃の前に差し出した。
 「あ、あのね。もしかして、もう亜夜お姉様から聞いてるかもしれないけど、この間言ってた、瑠璃君のマフラー、出来たの。わ、私……その、ぶきっちょだから、遅くなっちゃって……それでね、あの。」
 漸く少女は面を上げる。青年の顔を、じっと見詰めて。
 「いつも、守ってくれて、ありがとう……。」
 「………!」
 紙袋を受け取り、真珠姫の眼差しから逃れるように、瑠璃は横を向いた。頬が火照るのが分かった。核がざわざわと波立っている。莫迦、と呟く。
 「そ…、そんな事は、当たり前だろう。俺は、お前の騎士なんだから。」
 「う、うん……それは、そうなんだけど……でも、『当たり前』って、ドコまでが当たり前なのかなって思っちゃうことがあって。」
 「――――?」
 瑠璃は訝しげに首を傾げた。真珠姫が何を言わんとしているのか、さっぱり分からない。真珠姫の方はと言えば、思うように言葉を伝えられぬ事に焦れてか、俯いて落ち着きなく指を擦ったり組み替えたりしている。やがて言葉が見付かったのか、さっと面を上げて言った。彼女にしては、大きな声で。



 「も、もし私が瑠璃君の姫じゃなかったら、瑠璃君は私のこと、守ってくれないのかなって――――」



 「――――。」
 瑠璃はその言葉に唖然とした。思ってもみなかった言葉だった。ふと涼月の言っていた台詞が脳裏を過る。言葉にしなければ伝わらない事もある、と。
 ひたすら純粋で無垢な、子供のような少女だと思っていた。その少女が、何時の間にそのような事を考えるようになったのだろう。何時の間にそんな想いを抱くようになったのだろう。彼女自身、気付いてはいないだろう。それが既に、「姫」としての思考を逸脱するものであるという事に。寧ろ、それは――――ごくごく普通の、「少女」としての。
 「……ごっ、ごめんなさい!!わ、私、何かヘンだよね。ヘンなこと言っちゃったよね?い、今の、忘れて――――。」
 黙り込んでしまった瑠璃に気付き、真珠姫は真っ赤になって両手をばたばたと上下させた。
 少女の内面に、ゆっくりではあるが、明らかな変化が訪れている。恰も、漸く色付き始めた花の蕾のように。――――それが開き、鮮やかな花弁と共に匂やかに香るのは何時の事だろうか。……それは、判然とはしない。が、確かな事は、花は、自らの意志で、懸命に開こうとしているという事だ。それを無理に抉じ開け、踏み拉くような事はあってはならない。――――ゆっくり、理解していけば良い。瑠璃はそう思う。俺は、ずっと見守っているから。
 「――――真珠。」
 「えっ、な、何……?」
 びくりと身構えたようにこちらを見る真珠姫に、瑠璃は囁くように静かに告げた。
 「俺の姫は、お前だけだ。」
 「………!!」
 真珠姫が己の姫であるから騎士として守るのではない。真珠姫という少女を守る為に、己は騎士為り得る。「姫である事」が前提なのではない。「真珠」である事が彼の姫である前提なのだ。――――それが、この時彼の導き出していた結論であった。
 「つまり――――。」
 瑠璃は柔らかく微笑んだ。優しく真珠姫の髪を撫でる。
 「――――さっきのお前の質問は、愚問だという事だ。」
 真珠姫はきょとんとして瑠璃を見た。が、次の瞬間、拗ねたように唇を尖らせる。
 「……え?ええと……ど、どういうこと……?」
 「自分で考えてくれると、俺は嬉しいんだが?」
 「うー……わ、分かった……。」
 納得しかねる風ではあったがそれでも素直に頷く真珠姫が可笑しくて、瑠璃はくつくつと笑った。それが真珠姫以外――――亜夜や涼月にすらも滅多に見せない表情である事に、この無邪気な少女は最近漸く気付き始めている。だから、「そんなに笑うことないじゃない」と抗議しつつも彼女は何処か嬉しそうに、微笑んでいた。無愛想だの三白眼だのと周囲には言われているらしいが、このひとは私の前ではこんなに無防備な笑顔を見せてくれるのだと。
 ――――やがて、ふと手の中にある紙袋が目に入った。そういえば、まだ開けてもいなかった。
 「……これ、開けても良いか?」
 口に出すと今更ながらにくすぐったい感じがした。
 「え……う、うん……いいよ……。」
 右手をガサゴソと入れると、ふわりと柔らかな毛糸の触感が指先を包む。掴んで瑠璃は外へと引き出した。それは――――彼が身に着けている流砂のマントと同じ、草色をしたマフラーだった。
 「………。」
 じっと眺めた。所々編目は不揃いで、解れ掛けた部分もあった。それでも、自分の為に一生懸命編んでくれたのかと思うと胸が熱くなった。――――お前は只、俺に守られていれば良い。そんな言葉でしか想いを伝えられない、こんなにも不器用な男の為に。
 「あ、あのね、それでも何度も編み直したのよ?そ…、そうしたら毛糸がよれよれってなってきちゃって、えっと、だから――――。」
 「真珠。」
 「は、はいっ!?」
 不意に呼び掛けられて少女は思わず背筋をぴんと正した。
 「――――有り難う、な。」
 「………!う、うん……。」
 君の心をそのまま言葉にしてあげれば良い。友人は、そう言っていた。――――「有り難う」。……それは、包み隠さぬ想いであり、今一番彼女に伝えてやりたい言葉であった。
 心底ほっとしたように、真珠姫は長い息を吐き出した。が、ふと気付いて、不思議そうに、そろそろと瑠璃を見上げる。
 「……る、瑠璃君……カオ、真っ赤だよ……?大丈夫……??」
 「き、気の所為だろう。」
 「え……そ、そうかな……。」
 「……そ……、そんな事より、だ。」
 真偽を確かめようと心配そうに覗き込んで来る真珠姫から顔を背け、瑠璃は話題を変えようとした。
 「……真珠。一つだけ言っても良いか。」
 「う、うん?」
 「……長すぎないか、これ。」
 「……………………………。」
 ……そう。多少の乱雑な編目は大目に見るとしても、如何せん、そのマフラーは長かったのだ。上から垂らすと、瑠璃の身長よりもまだ余る。
 「……………ご、ごめ……んなさ……い……………。」
 少女は消え入りそうな声で呟き、小さく身を縮こまらせる。瑠璃はそれを見て苦笑する。しゅんとしている少女を尻目に、マフラーの長さを半分に折り、わざとぶっきらぼうにばさりと自らの首に巻いた。
 「あ、る、瑠璃君……む、無理に着けなくってもいいよ……!!」
 真っ赤になった真珠姫が慌てて言った。良い、と瑠璃は手で制し、きっぱりと言ってやる。
 「大は小を兼ねる。短すぎるよりは良い。」
 「そ……、そういうもの……なの??」
 大きすぎるのも問題なんじゃないの、と涼月の突っ込みが聞こえて来るような気がした。
 「真珠。俺もお前にやるモノがある。」
 「――――え?」
 目を丸くしている真珠姫に、例の箱を取り出して持たせる。
 「こ、これ……?」
 「貰ったまま、という訳にはいかんだろうが。」
 そっぽを向いてぶっきらぼうに告げ、がしがしと頭を掻く。そんな瑠璃と箱を見比べつつ、真珠姫は躊躇いがちに言った。
 「あの……開けて、いい?」
 「――――ああ。」
 もぞもぞと言った瑠璃の返事を確認し、少女は蓋を開けた。瞬間、その眼が更に大きく見開かれる。
 「――――こ、これ……。」
 「……欲しがってただろ、それ。」
 中に入っていたのは、フルートであった。瑠璃が持っている魔法楽器もフルートなので、最初は違うものが良いかとも考えたが、やはり真珠姫の体力を考え、持ち運びに最も負担が掛からぬフルートが最適だろうという事になった。それに、同じ楽器ならば、直ぐにでも教えてやる事が出来る。
 真珠姫は興奮したように頬を上気させて瑠璃を見上げた。
 「瑠璃君……覚えてて、くれたんだ……。」
 「………ま、まあ、な。」
 忘れる筈がない。滅多に物をねだったりしない彼女が、口に出して望んだ事。
 「……ありがとう、瑠璃君。」
 頬を染めて、ふわりと嬉しそうに笑った。その笑顔は眩しすぎて――――瑠璃は、只ぎこちなく、ああ、と答えただけだった。少女は楽しそうにフルートを取り出す。
 「ね、吹いてみても、いい……?」
 瑠璃はこっくりと頷く。真珠姫はそろそろとフルートを唇に当てた。大きく息を吸い込み、ふぅっと思い切り吹き込んだ。
 ――――スゥッ。
 虚しい音が響く。真珠姫はアレ?と首を傾げつつ、何度も試してみた。が、結果は変わらなかった。おどおどと瑠璃を見る。
 「る、瑠璃君……。音、鳴らないよ……?」
 見守っていた瑠璃は思わず吹き出してしまう。
 「……真珠。只息を吹き込めば良いという訳じゃない。それを吹く時にはな、そういう唇の形というものがあるんだ。」
 「そ……、そうなんだ……。」
 少女はしゅんと肩を落とした。
 「瑠璃君のお手伝い、すぐにできるかなって思ったのに……。」
 残念そうに呟くその姿に、ふと切なさすら感じてしまう。――――真珠。呼び掛け、ぽんと左手を少女の頭に乗せ、撫でてやった。
 「焦る必要はない。……ゆっくり、ゆっくり理解していけば良い。実際俺も、魔法楽器を使いこなすのは剣よりも骨が折れた。……教えてやるから、……な?」
 「……私、瑠璃君に甘えてばっかりだね……。」
 「お前に頼られなくなったら、俺はどうすれば良い。騎士は廃業だな。」
 瑠璃はニヤリと笑った。それを聞いて真珠姫は、えっ、と慌てて面を上げる。
 「そ……、それも困る……!!」
 「――――なら、頼って良い。」
 「……う、うん……分かった……。じゃあ、瑠璃君も。」
 少女は大真面目な顔をして、真っ直ぐに青年を見上げた。吸い込まれそうな瞳の中に、些か驚いた顔をした自分が映っているのが見える。
 「瑠璃君も、いっぱい、いっぱい頼ってね。」
 「………ああ、そうする。」
 その言葉を聞いて、漸く少女の口許が綻ぶ。……そう、その笑顔だ、真珠。それを守る為に、俺は強くなれる。生きていける。本当は、俺の方が、ずっと、ずっとお前に頼っているのかもしれない。――――青年は、少女の笑顔を優しく見詰め返していた。
 「――――あ。」
 その時、真珠姫が何かに気付いて小さく声を上げた。無邪気な笑みが次第にほのぼのと広がっていく。
 「瑠璃君、見て……。」
 「――――?」
 空を見上げた真珠姫につられて、瑠璃も見上げる。遥か頭上から、小さな綿毛のようなものがちらり、ちらりと降りて来るのが見えた。――――雪……?瑠璃は呟いた。真珠姫は空に向かって精一杯腕を伸ばした。
 「瑠璃君、雪だよ!キレイね。白くてキレイね。」
 子供のようにはしゃぎ、駆け出す。



 ――――未だ何物にも染まらぬ、無垢な白い雪が静かに、只静かに深深と舞い落ちる。その中を、純白のドレスをふわふわと翻し、跳ね回っている少女は、まるで雪の精のように見えた。ふとその雪が、そのまま彼女の姿を覆い隠してしまうような、そんな錯覚を覚えて。……とくん。――――核が、淡く煌めく。待て、行くな。



 「――――真珠。」



 焦ったように何時しか思わず腕を伸ばし、背後からそっと引き寄せた。さらり。流砂のマントがふわりとその小さな肢体を包み込む。青年の鼻先を少女の柔らかな髪が掠める。甘い香りがした。もう少し、このまま。――――男はその中に頬を埋めた。
 「――――瑠璃、君………?」
 やがて、不思議そうな真珠姫の声に、瑠璃ははっと我に返る。
 「――――あ、ああ。冷えるから――――な。」
 願いは、只一つ。傍に居たい。ずっと一緒に居たい。共に生きていきたい。只、それだけ。――――先の事は分からない。だが、次の年も、そのまた次の年も。ずっと……こうして共に、舞い落ちる雪を眺めていたいと思う。それは身に過ぎた願いだろうか。離れる事など、ある筈がない。思いつつも、そんな事を考えてしまうのは何故だろう。来年も、こうしていられる事を、許されるのだろうか。真珠、お前に――――。
 「……何を、言っているの?瑠璃君……。」
 もぞもぞと声がした。どくん、とラピスラズリが疼く。何時の間にか声となって呟きが洩れたか。それとも彼の核の煌めきに何かを感じ取ったのか。何を、言っているの?――――その言葉が胸にちくりと刺さる。……真珠、お前は何を思っている?俺を、嗤っているのか?
 微かな怯えを宿した瞳で、瑠璃は真珠姫を見詰めた。すると、彼女は言った。



 ――――ずぅっと、一緒でしょう……?私たち………。



 それは、雪のようだった。
 ずぅっと、一緒でしょう?――――彼女はそう言った。さも当然の事のように。
 今更そんな事を考えるのは可笑しいではないか、そう諭すように。
 痛い程に白い、淡雪のような言葉だった。無邪気に舞い落ちる雪。無垢で、いじらしくて。
 そして、それは瑠璃の心にじわりと触れ、溶けて広がってゆく。愛しい程に優しい、雪だった。
 嬉しかった。
 ずぅっと、一緒でしょう?――――何でもない事のように、言ってくれた事が。



 ――――そうだったな、と瑠璃は答えた。
 「一緒だ。……ずっと。」
 「……うん。ずっとだよ。」
 少女はマントの中でもぞもぞと身を捩り、その身を摺り寄せて来る。
 「ふふ、瑠璃君のマント、あったかいね……。」
 「――――いや、そうじゃない。」
 瑠璃は、真珠姫の背中に回した腕に、僅かに力を込めた。
 ――――温かいのはお前だ、真珠。
 瞳を閉じて、囁いた。
 その時。この世で最も優しく、温かい雪の精は――――騎士の腕の中で、くすぐったそうに、しかし、幸せそうに――――クスクスと、笑った。





FIN.


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