「雨の記憶」





ゲラン(やしまさん・画)

 湿ったなまあたたかい風が、さっと目の前をよぎった。
 頬にぽつりとしずくが当たり、ゲランは顔をしかめて空を見上げた。西の空からせりだしてきた黒雲は、今や天の半ば以上を覆いつくし、晴れ渡っていた秋の空を飲みこもうとしている。
 彼は周囲をすばやく見渡した。右手にはさざ波のたつ湖、左手はゆるやかな起伏の続く草原。波のようにうねる大地をしばらく行った先に、ぽつんと楡の木が立っている。緑の葉が茂る暗い木陰が、いかにも雨宿りに最適なように見えた。棍と合財袋をかつぎ直し、ゲランは足早に歩きだした。
 ようやく楡の木の下に入ると、彼は袋を下ろし、棍を幹に立て掛けた。ぱたぱた、と気ぜわしげな音が聞こえ、振り返ると大粒の雨が、ひとつ、ふたつ、まばらに草の葉に当たってはじける。と思うと、いきなり強く降りはじめた。けたたましい雨音が鼓膜を圧し、あっというまに周囲は灰色の雨にかすんだ。
 ほっと、彼は胸をなでおろした。雨宿りの場所が見つからなかったら、今頃はびしょ濡れになっていただろう。雨に濡れれば体が弱る。弱れば身動きがとれなくなり――――。
 もっとも、とりあえず今は、その心配も無い。同盟軍の城に客人として住まうようになってから、衣食住はきちんと確保されているのだ。

 戦争さまさまだな、と、彼は皮肉めいた笑みをうかべた。都市同盟とハイランド王国の間に戦乱が勃発せねば、今でもどこかの街角で、その日の糧を得るためにほとぼそと働きながら、人目を避けて暮らしていただろう。濡れる心配が無ければ、雨を眺めるというのもなかなかに乙なものだった。
 腕を組んで、彼は幹に背をもたれた。ふりしきる雨は、天の小人がうち放つ銀の矢のようだった。風が流れるとそれらの矢は気まぐれに向きを変え、目の前の光景を、淡い緑と茶の綾織りに見せる。
 そういえば――――と、ふと、思った。
 ずっと前にも、こんなふうに雨が降るのを見ていたことがあった。テッドと二人、草いきれの強く匂う草原で、雨音に耳を傾けながら。




 「やばいなあ……」
 空を見上げてテッドが、眉間にしわを寄せた。
 すばしこく草の間を走る茶毛のウサギに矢を向けていたゲランは、弓を下ろして上を見た。先ほどまでよく晴れていた空に、いつのまにか雲が押し寄せてきている。大粒の雨が、ひとつ、またひとつと降ってきて、足元の草に当たってはじけた。
 「降ってきちゃったね」
 言わずもがなのゲランの台詞に、テッドが渋い顔になった。
 「こりゃ、強く降るぜ。さっさと雨宿りの場所を見つけよう、でなきゃ、ずぶ濡れになっちまう」
 「あそこの木は?」
 ゲランが指さしたのは、草原にぽつんと立っているケヤキの大木だった。よし、とうなずくとテッドが駆け出した。うなじや腕や顔にあたる雨つぶは、しだいに数を増していく。あっと言う間に本降りになり、二人がどうにか木の下に転がり込んだときには、服も体もびしょ濡れになっていた。
 「――――ったく!」
 幹に手をつき肩越しに振り返ったテッドは、雨でかすんだ草原をいまいましげににらみつけた。
 「さっきまで晴れてたのに、どうしていきなり降り出すんだよ? こんなに濡れちまったら、家を抜け出したのが一目でばれちまうじゃんか!」
 「乾くまで、ここにいたら?」
 バンダナをはずして顔をぬぐいつつ、ゲランは提案してみた。テッドがじろりと険悪な目でこちらを見る。
 「良く聞けよ、何にも知らないお坊ちゃん。こんなに雨が降ってる中じゃ、そうそう濡れた服が乾くもんじゃないんだ。でなくたって、雨の匂いってのは独特だからな。乾かしたって服の匂いを嗅げば、誰でも一発で気づいちまうさ。……あーあ」
 天を仰いで、テッドは嘆息した。
 「ついてねえよなあ、雨さえふらなきゃどうとでもごまかしがついたのに」
 「ただでさえ、家庭教師をすっぽかしてきちゃったしね」
 くすくすとゲランは笑い出した。今頃家中が、彼のいないことに気づいて大騒ぎになっているだろう。ましてやこの雨の中に出ていると知れば、家令もグレミオもマントをかかえて近辺を走り回っているに違いない。そう思うと、たまらなく愉快だった。ちぇっと舌打ちして、テッドは木の根元に腰を下ろした。
 「のん気に笑ってる場合じゃねえよ。ただでさえあのうるさ型の家令は、俺がお前を堕落させてるって思ってるんだ」
 「事実じゃないか」
 笑いながら、ゲランは言った。
 「少なくとも僕は、君が来るまでは大人の言うことを聞く良い子だったからね」
 「みんな、だまされてるのさ、お前のその坊ちゃん面に。でなきゃ、自分たちのお育てしたお坊ちゃまが実は悪ガキだったなんて、信じたくないんだ。だから、悪いことは全部俺のせいにしちまった方が気が楽なんだろうさ」
 テッドが鼻を鳴らした。
 「心配しないでも、大丈夫だよ、テッド」
 なおも笑いながら、ゲランは言った。
 「この前遠征から帰っていらしたとき、父上が皆に言ってくださったんだ。軍隊に入るまでは、ある程度、僕の思うようにさせるように――――とね。だから家令たちも、表立っては文句を言いづらいと思うよ。それに、今日の分の課題はすべて終えてあるんだもの。叱責を受けるようなことは何もないと思うけど?」
 「……問題はほかにもあるだろうが」
 ため息まじりにテッドが反論した。
 「大切な跡取りが、護衛に黙って市の門外に出ちまったんだ。今頃クレオさんとパーンさんが、大慌てでお前を探してるぜ、きっと」
 「みんな、大袈裟すぎるんだよ。少しばかり城壁外にでたからって、そうそうモンスターに襲われるってわけでもないのに――――」
 くしゃみをひとつして、ゲランはぶるっと体を震わせた。風が少し冷たくなってきたせいか、寒気がする。が、それを口にするとテッドに馬鹿にされるので、しいて平気なふりを装った。
 「――――それに、少しは心配させるくらいでいいのさ。人の言うことを聞いてばかりじゃ、立派な軍人にはなれないしって言うだろう?」
 「誰の台詞だ? 尊敬するお父上か?」
 揶揄するようなテッドの声に、ゲランは目を丸くし、ついで吹き出した。腹をかかえて笑うゲランを、テッドはいぶかしげに見た。
 「なんだよ、何がそんなにおかしいんだ?」
 「だって、他人事みたいに言うんだもの。忘れたのかい? 君が僕に言ったんだよ。大人たちの言いなりになるばかりじゃなくて、少しは自分の頭で考えて行動しろって。その方がずっと将来のためになるってさ」
 まばたきしたテッドが、呆気に取られて目をきょとんとさせる。その顔がおかしくて、ゲランはなおも笑った。しばらくテッドは、困ったような顔で笑いころげるゲランを見ていたが、やがて、しかめっ面で肩をすくめた。
 「――――ほんとに、よけいなお世話だったよな」
 仏頂面で口を歪める。
 「そんなこと、言うだけ損だったぜ。お前みたいな根っからの性悪は、俺がどう言うまでもなく、家を抜け出してクレオさんたちに死ぬほど心配かけるくらいのことは、平気でやってのけるに決まってるのによ」
 「性悪だなんて、ひどいなあ」
 まだ喉元で笑いながら、ゲランは抗議した。
 「たしかにテッドが来る前も、ちょっとしたごまかしくらいはしていたけど。でも、こんな風に大っぴらに家を抜け出すなんてことは、一度もなかったよ」
 雨の降りしきる暗い草原へと目をやり、ゲランは気持ち良さそうに息をついた。体はすっかり冷えてしまい、濡れた服や髪が肌にはりついて気持ち悪いが、それでも、草原のただなかで聞く雨の音は格別だった。草と土の匂いのする湿った空気を、ゲランは胸一杯吸い込んだ。
 「帰ったら、これ以上ないくらい神妙な顔で“もうしません”と謝るよ。そうすれば、許してもらえるもの。それに、たとえ叱られたって、こんなに気持ちのいい場所にこれたんだもの。僕は満足だよ」
 「気持ちがいいだって? お前って、ほんとに変な奴。雨に濡れるののどこが、そんなにいいんだよ? 体は冷えるし、マントから何からびしょ濡れになっちまって乾かすのに苦労するし、良いことなんかひとつもありゃしない」
 そばに生えていた草を、テッドが乱暴に引きちぎった。
 「たとえば路上で稼いでるやつらにとっちゃ、雨が降るってのは一大事なんだぜ。市場はがらんとしちまうし、店屋はみんなしまっちまうし、掏摸をしようにも、カモになる奴がいないんじゃお手上げだしな。良く言うじゃねえか、“貧乏人を殺すにゃ刃物はいらぬ、雨の三日も降ればいい”ってな」
 地べたに腰を下ろし、テッドは草をくわえて頭の後ろで腕を組んだ。ひどく不機嫌そうな友達の横顔に、ゲランは、それ以上言い返すのはやめにした。きっと、旅の間のつらかったことでも思い出しているのだろう。
 ……でも。
 そっと、胸の中で思った。
 ……たしかに、雨は冷たいけれど。テッドが言うような暮らしの苦しさは、僕は一つも知らないけれど。それでも、草原を自由に駆け回ることさえ許されない貴族の生活というのは、他の人達が考えているほどいいものではないと思う。
 ゲランは、枝越しに空へと目をやった。雨は先程よりは弱くなったようだが、止むにはまだ時間がかかりそうだった。枝の間からときおり滴が垂れ、土埃の匂いと湿った雨の匂いが鼻腔を刺激して、外にいるのだという解放感が胸の内からつきあげてくる。
 走りたいな、とゲランは思った。ふりしきる雨の中、誰にも見とがめられず、服がぬれることなど気にしないで。
 草の葉をくわえたまま、むっつりと黙りこくっている親友を、ゲランはこっそりと見下ろした。
 ぼさぼさの茶色の髪、淡い茶色の瞳。
 見慣れたテッドの顔――――出会ったときから少しも変わらない顔。
 機敏に動く、少年らしい体。最初に会ったときは、テッドの方が頭半分ほどもゲランより高かった。でも今は、ゲランの方が背が高い。二年の月日がゲランを、子供から少年へと変化させたのだ。なのにテッドは――――。
 友達から目をそらし、ゲランは、草原の向こう、雨にかすむグレッグミンスターの外壁を見やった。今は、あそこに戻りたくなかった。戻ればまた、不安な日々に逆戻りしてしまう。あんなに陽気で明るいテッドが、ふいに見せる暗い表情。遠くを見る目。ときおり何かを話しかけては、口ごもってしまう。ゲランもまた、口にしそうになる。胸の中につかえる疑問を。
 出会ったその日から、少しも年をとっていないように見える少年。
 テッドは、一体、何ものなのだろう。
 長命で知られた種族というと、エルフ族やドワーフ族がある……。だがテッドは、それらの種族がもつ外見上の特徴を何一つ備えていない。もしかすると、父方か母方にエルフ族でも流れているのかもしれないが、でなければ、ゲランの知らない、人に似た別個の種族であるのかもしれない。
 それでもかまわない、と思う。テッドが、人でも、エルフでも、魔物でもかまわない。そばにいてほしいのだ、このまま、ずっと。
 でも、いつかはテッドはマクドールの家を出て行ってしまうのだろう。そんな気がする。一緒に行きたいけれど、ゲランには嫡子として、マクドール家を存続させなければならないという義務があった。ほんの数時間抜け出すくらいなら笑い話ですませられるけれど、家を出奔するとなると話が違う。たとえいまだ軍役にもついていない身の上と言えど、ゲランの肩には、マクドール家に仕える人々の暮らしの安定と、一族の期待がかかっているのだ。
 ため息が、胸の底からもれた。
 もっと自由な身分に生まれついたらよかった。そうしたら、テッドとともに旅に出ることさえできたかもしれないのに。
 「退屈してんのか?」
 ぺっと草を吐き出して、テッドが目線を上げる。物思いから覚めたゲランは、首を振った。
 「……そうじゃないよ。少し、考えごとをしていただけさ」
 「雨の日の物思いってのは、暗くなりやすいんだそうだ」
 のびをして、テッドは立ち上がった。
 「なかなか止まねえなあ。どうする? 濡れるのを覚悟で、走って帰るか?」
 「――――もう少し、ここにいようよ。今から帰っても叱られるのは同じだもの。小止みになったらまた草原に出ようよ」
 ゲランが言うと、そりゃそうだな、とテッドも笑った。地面をおおう草むらが、ふりしきる雨にかすんで見える。どうやら雨は、午後一杯降り続けるつもりのようだった。恵みの雨、という言葉が頭の中に浮かんだ。少なくとも雨が降っている間は、何を思い煩うこともなくテッドと一緒にいられるのだ。
 「……雨って、結構好きだな」
 ぽつりと、ゲランは言った。は、と、嘲弄するような声をテッドが上げた。
 「俺は、雨なんか嫌いだね。あったかい布団の中にいるときだけ降ってくれればいいものを、たいてい、雨宿りする場所もないような草っぱらとかで降りやがる」
 「でも――――もしも雨が降らなかったら、作物が枯れて皆が飢えることになるだろう? 雨は、慈雨とも言うじゃないか」
 テッドが、じろりとこちらを睨んだ。
 「そういうのを“聞いたふうな口”って言うんだぜ、お坊ちゃん。飢えも知らなきゃ雨に凍えたこともないお前が、知ったかぶりしてぺらぺらしゃべるんじゃねえよ」
 「……ごめん」
 顔を赤くして、ゲランはうなだれた。たしかに、畑仕事はおろか、雨で難儀したことなど一度も無い自分が言うべき台詞ではなかった。
 「――――ま、ともかく」
 言い過ぎた、と思ったのだろう。気を取り直したように明るくテッドが言った。
 「雲が動いてるから、あと半刻もあれば止むんじゃないかな。そしたら、市場に行ってみないか? お前、物の売り買いを見るのが好きだったろう?」
 「――――そうだね……」
 あいまいに、ゲランは口ごもった。
 「僕はこのまま草原にいるんでもかまわないけど……」
 「でもよ、今日あたり広場に行ったら、運が良ければ演し物のひとつも見られるかもしれないぜ」
 気を引くようにテッドが言った。
 「先週の市のときには、旅芸人が軽業を見せてたんだ。ほんの三つくらいの子供が、踊るみたいに跳びはねながら籠で投げ銭を受け止めるとこなんか、なかなか見ものだったぜ」
 「三つくらい?」
 ゲランは目を丸くした。まだほんの赤ん坊のような年ではないか。
 「そんな小さいうちから働いているんだね」
 「そりゃ、そうさ。働かなけりゃ干上がっちまう」
 こともなげに、テッドが肩をすくめた。
 「稼いだ日銭で食い物を買ったら、また働きに出る。誰だってその繰り返しをしてるのさ。だから、今日みたいな雨の日にはみんながっかりするんだ。市場はがらんとしちまって、芸を見ていこうなんて客は一人も来ねえし、こんな雨が何日か続いたら、宿代も払えなくなって道端に放り出されちまうしさ」
 「……大変なんだね」
 「そうさ、お坊ちゃん。生きるってのは、なまなかなことじゃないのさ」
 さらりと言ってのけたテッドが、ふいに、にやりとした。
 「ははあ、わかったぞ。さっきお前が何を考えていたんだか」
 「――――え?」
 ぎくりとしたゲランをからかうように、テッドが鼻先に指をつきつけてきた。
 「民政がどうとか、国民の福祉がどうとか、そんなことを考えていたんだろ? 宿無したちには雨風をしのぐ宿を、飢えた者には腹を満たすに十分なパンを――――ってな」
 「ああ――――うん」
 ほっとしてゲランは、とりあえずうなずいた。テッドが面白がるように、笑い出す。
 「お前ってほんと、あきらめの悪い理想家だよな。たった一人でがんばったって、世の中そうそう変わりゃっこないんだぜ? 第一、政治向きのことは軍人の考えるべきことじゃないって、テオさまがいつも言ってるじゃないか」
 「……それはそうだけれど」
 ゲランは穏やかに言い返した。
 「でも、何もやらないうちからあきらめることもないだろう? 僕は少なくとも、大人になれば国政に参加できる地位に生まれついた。だからこそ、社会を良い方向に導く義務があると思うんだ」
 「へいへい、ほんと、お前ときたら、変なところでまじめな奴」
 肩をすくめ、テッドは目を草原に転じた。雨はまだ、降り続いている。しとしと、しとしとと、止むことなく。
 「――――なあ、ゲラン」
 ぽつりとひとりごとのように、テッドが言った。
 「お前は、さっき俺が何を考えていたか、わかるか?」
 「……ううん」
 いつになく静かな友達の声に、ゲランの胸が騒いだ。何を言おうとしているのだろう――――もしかすると?
 「……雨が降るのを見てたらさ、お前とはじめて会ったときのことを思い出しちまって」
 「――――僕と?」
 意外な話の成り行きに、ゲランは思わず目を丸くした。ちらりと横目でゲランを見やったテッドは、大人のように苦笑した。
 「お前は覚えちゃいないだろうけど、俺がはじめてマクドールの家に行ったときも、雨が降ってたんだ。なんとなく、それを思い出してさ」
 「――――もちろん、覚えているよ」
 思わず、言葉に力がこもった。
 「……いきなり降り出した雨で、玄関ホールはひどく暗かった。君はフードをすっぽりかぶって、ずぶぬれのマントから、ホールの床にぽたぽたとしずくが垂れていた。薄桃色の花びらが肩のあたりについていて、君がそれを無造作に払ったものだから、家令が叱りつけたんだ。きれいな床を汚すんじゃないって。君は口先だけ謝っていたけれど、でも、僕と目があったとたん、にやりとしたんだ」
 「へえ――――」
 目をぱちぱちとさせて、テッドは面はゆいような顔をした。
 「細かいことまで、よく覚えてたもんだなあ」
 「だって、忘れられっこないじゃないか」
 ゲランは、かすかに笑みをうかべた。
 「あの日は僕にとって、生まれて初めて友達ができた日なんだもの。いや、ちょっと違うかな。出会ったころの僕たちって、あんまり仲が良くなかったものね」
 「当たりまえだろうが、いきなり知らない屋敷に連れてこられたかと思うと、苦労知らずのお坊ちゃんの遊び相手にされたんだ。俺の意向なんかまったく無視してさ」
 からかうようにそう言うと、にやりとする。
 「おかげで、飯の苦労はしないで済んでるけどさ」
 「ひどいな」
 ゲランは笑い出した。
 「友情よりも食事を優先するのかい?」
 「当たり前だ。おまえみたいな煮ても焼いても食えない坊ちゃんなんか、飯の種になるんでなければ誰が遊んでやるもんか」
 憎まれ口をたたくと、テッドが笑い出した。ゲランも、一緒になって笑った。
 「で、どうする?」
 ひとしきり笑うと、テッドが聞いてきた。
 「市場に行くか?」
 そうだな、とゲランはいっとき考えたが、すぐに心を決めた。
 「――――やっぱり、今度にしようよ。街で遊ぶのはいつでもできるけど、門の外に護衛無しで出るなんてことは、なかなかできそうもないもの」
 友達の横顔から、ゲランは草原に目を移した。雨雲がゆっくりと流れ、少しずつ世界は明るくなりつつある。雨はまだ降っていたが、かまわず彼は木陰から出た。
 雲の切れ間から差す金色の日差しが、緑の野原をまだらに染めている。露玉をちりばめたような草の葉が、一足ごとにしずくを飛ばして揺れる。どこからか聞こえる、鳥の声。むっと鼻先にたちこめる緑の息吹。
 深呼吸するとゲランは、まだ木陰にいるテッドを振り返った。
 「行こう、テッド。これくらいの雨、たいしたことはないよ。さっき、小さな窪地にウサギ穴を見つけたんだ。雨が止んだら出て来るだろうから、つかまえようよ」
 言うなり、ゲランは駆け出した。ぬれそぼった草原は走りづらく、飛び散る泥でたちまちズボンが汚れたが、気にもとめなかった。後ろから、小さく舌打ちする音と、次いで、跳ねるような足音が聞こえてくる。まばらに降る雨垂れを顔に受けながら、天を仰いでゲランは日の光が雲間から漏れるのを見た。





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