「うーん、うーん…」
お姫様は、霧のかかった森の中をさ迷っていました。さっきまでお城にいたはずなのに、どうしてこんなところに来てしまったのか分かりません。どこかで見たことのある森の中です。
(ああ、そうだ。私はずっと、待っていたのよ)
お姫様は、自分にかけられた呪いを思い出しました。長い長い眠りの果てに、最初に目が合った人に恋をする、そんな呪いです。その時、きっとそこにいるのは素敵な王子様に違いないのです。
でも、お姫様は知っていました。
自分が目覚めた時、そこにいたのは───箒を抱えて、驚いた目をしたドラゴン。
そしてそれは、呪いではなく、お姫様自身の心から生まれた想いだっていうことも。
(でも、もうそれは済んだことなのに…)
そう、お姫様が眠っていたのは、もうずっと昔のことです。なのに何故また、こんな夢を見るのでしょう。
(そうよ、林檎を食べたんだわ)
同じ呪いをかけた林檎を、お姫様はうっかり食べてしまったのです。
スノウホワイトさん特製のアップルパイという形で。
そこまで思い出して、お姫様は一気に血の気が引くのを感じました。
だって、ここで誰かに起こされてしまったら。その人と目が合ってしまったら。
(まずい…まずいわ)
ここは人間の住むところ。ずっと護ってくれていたドラゴンさんはここにはいません。
何より、誰に起こされるかも分からないこの状況は非常にまずい。既に、遠いところから自分を呼んでいる、誰かの声が聞こえてくるではありませんか。
(ダメよ、起こさないで。起きたくない)
「意地でも…意地でも寝ててやるんだからー…ぁ…」
「うなされてまちねぇ…」
床に倒れたままのお妃さまの前にしゃがみこんで、赤ずきんちゃんは困ったように言いました。その隣では、やはり心配そうに狼さんがしゃがみこんでいます。
「起こした方が、いいかな」
「でも起こすなって言ってまちよ?」
「うーん…」
顔を見合わせて、どうしようと思案している二人。その耳には先ほどから、壁を砕く破壊音が遠く近くと届いています。
「あっちもあっちで追いかけっこでちか…」
ふう、と溜息をつくと、赤ずきんちゃんは立ち上がりました。ともかくも、お妃さまをこんなところに寝かせておく訳にもいきません。
「とりあえず、デュランしゃんのところにでも運んだ方が良くないでちか?なんか、ここ崩れそうでち…」
「そうだね…」
その時足元で、お妃さまが小さく「ラッキー」とか呟いたような気がしましたが、二人は深くツッコまないことにしました。
と、そこへ。
「ああもう、えらいこっちゃー」
言葉の割に緊張感のない表情で、鏡の精さんが現れました。
「ウンディーネしゃん、無事だったでちか。一体、どうしたんでち?」
「あんさんらこそ、なんでこんなとこにおるん?」
逆に問われて、狼さんはもじもじして答えました。
「その、おいらたち、遊んでた…。そしたら、ホークアイ、通りかかって、一緒に来い、言われた…」
「で、来てみたら、アンジェラしゃんとリースしゃんがおねんねしてて」
後を引き取った赤ずきんちゃんが溜息をつきました。
「ホークしゃんがリースしゃんを起こして。…で、あれでち」
どこかで、どどおぉぉん、と何かの崩れる音がしました。一瞬見合わせた顔には、どれも一筋の冷汗が伝っています。もしかしたら、そろそろ避難した方がいいかもしれません。
「…なるほどなぁ。ま、アンジェラはんは放っといても大丈夫や。あん人が来るよって」
「あの人?」
「デュランしゃん、来るんでちか?」
狼さんもそうですが、ドラゴンさんが人の住む所に来るのは、とても危険なことです。幸い、騎士と呼べる人はこの城にはいないようですが、いるだけで挑まれ、退治されてしまうのがドラゴンという存在なのですから。
「でも…どうやって」
赤ずきんちゃんの言葉に応えるように。
まるで呪いの呪文のような、妙に抑揚のない合唱が聞こえてきたのです…。
『はいほー。はいほー。仕事が好きー…』
「なんでちか…あれ」
赤ずきんちゃんと狼さんは、不安そうに戸口へ顔を向けました。どうやら妙な合唱は次第にこちらに近づきつつあるようです。よく聞くと、なんとなく聞き覚えのある声が幾つか混ざっていました。
そしてついに、声の主は開け放された扉から彼らの前に姿を現したのでした。
「デュ、デュランしゃん!」
赤ずきんちゃんは辛うじて名前を呼んだものの、そのままぽかんと口を開いています。隣の狼さんも、目をぱちくりさせながら、歌いながら入って来た一行を見つめています。
お兄さんは、彼らの前まで歩いてくるとぴたりと立ち止まりました。そして、左手を上げると歌の続きのように(でもやっぱり一本調子で)言いました。
「はいほー」
「は…はいほー」
「…ほう」
釣り込まれて返してしまった後、狼さんと赤ずきんちゃんは顔を見合わせました。仕方がなく鏡の精さんが尋ねます。
「デュランはん、それに皆も。よう来はったなあ…けど、よう止められんかったね。門番がおったやろ?」
「開けてくれたぞ?」
ドラゴンのお兄さんはちょっと首を傾げると答えました。
「皆、別に声もかけてこなかったし。俺たちの完璧な変装に、皆、小人だと思ってくれたんじゃないかな?」
『それはない』
三人同時のツッコミに、お兄さんはちょっぴりがっかりした顔をしました。
だって、お兄さんたちの格好ときたら。赤ずきんちゃんは改めて一行を見やりました。
ドラゴンのお兄さんはお出かけ着なのか、まるで煮えたぎる溶岩のような真っ赤でごつごつした、しかもどんな動物のものなのかも分からない骨飾りのついた鎧を着込んでいます。額にも恐ろしげな獣の頭蓋骨をそのまま使った兜をつけているのに、何故かきっちりと例の小人の帽子を被っているのが奇妙で一層不気味です。そして、彼の引きずってる派手な棺には、どう見ても小人には見えない異形のひとたちが、やっぱり小人の帽子を被ってぎゅうぎゅうに詰まっていました。
そのアヤシさ大爆発の一行が、無表情に、しかも抑揚のない声で「小人のテーマ」を合唱しつつ練り歩いてきたわけですから、結果は推して知るべし。
(きっとみんな、関わりたくないと思ったんでち)
触らぬ神に祟りなし。その考えは正しい。
赤ずきんちゃんは小さく溜息をつき、眠っているはずのお妃さまは、猛烈な頭痛にでも襲われたように頭を抱えて唸っていました。
「ところで、さっきから聞こえてくるこの音は何だ?」
お兄さんがお妃さまを無造作に棺に突っ込むと、改めて気が付いたように言いました。なんだかお妃さまがブーイングしたようですが、誰も気にしません。だってお妃さまは眠っているんですから。
「そうでち、シャルたちもヒナンしないと…」
赤ずきんちゃんが事情を説明しようとした、まさにその時。
ごがあぁぁぁぁあああんん!!!
今までで一番激しい音と共に、お城の壁が崩れ落ちてきました!
赤ずきんちゃんは思わずぎゅっと目を閉じて、狼さんにしがみつきました。狼さんも赤ずきんちゃんをしっかりと庇うように抱きしめます。
もう駄目か、そう思う間もなくお兄さんの張りのある声が響きました。
「ジン!」
「ダスー」
呼びかけに答えて、ジンさんが飛び出します。
その彼を中心に、見る見るうちに風が逆巻き始めました。そしてそれはあっというまに小さな竜巻となって、崩れた壁の破片を力強くお城の外へと吹き飛ばしてしまいました。
風の止んだ後には、天井から壁一面にぽっかりと空いた大穴から少し黄色がかった太陽の光が部屋へと差し込むばかり。頬に当たる暖かい光に、赤ずきんちゃんと狼さんは恐る恐る目を開いて、安堵の吐息を洩らしました。
お兄さんは壁の穴から外の様子を窺っています。
「一体、なにやってんだアイツ…」
お兄さんの呟きに、赤ずきんちゃんも穴から顔を出しました。崩れた壁の向こうは部屋があったはずなのですが、跡形もありません。瓦礫の山の上に、太陽の光が降り注いでいます。
そこに、スノウホワイトさんと狩人さんがいました。
「とうとう捕まっちゃったでちか…」
狩人さんはスノウホワイトさんにしっかり抱きついて(と、いうよりあれは噂に聞くコブラツイストというものかもしれません)、にこにこしています。対するスノウホワイトさんもにこにこはしてるのですが、その顔が息でも詰まったように真っ赤になっているのは気のせいではないでしょう。骨の軋む嫌な音がここまで聞こえてくるようです。
ドラゴンのお兄さんは赤ずきんちゃんたちとスノウホワイトさんたちを交互に見ると、大体の事情を察したのか溜息をつきました。
「…まあ、これで死ねるなら奴も本望だろうさ」
そして、棺に寝かせていたお妃さまを引っ張り出すと、空になった棺を引きずってスノウホワイトさんたちの方へと歩いて行ったのでした。他の小人さんたちや鏡の精さんもそれに続きます。
「ホーク」
お兄さんの呼びかけに、スノウホワイトさんは赤を通り越して微妙に黒くなった顔を向けました。狩人さんはまだまだ余力があるのか、汗一つ見せず、実ににこやかに締め技をかけています。
「アイツは連れて行く。代わりにこれをやるから、城の復旧資金にするなり、お前が入るなり好きにしろ」
「あ…ありがとよ…」
「…助けた方がいいか?」
さすがにちょっと心配そうなお兄さんの言葉に、スノウホワイトさんはぷらぷらと力なく手首を振りました。
「いやその…苦しい…けど、嬉しいような…気も」
「そうか。じゃ、またな」
くるりと背を向けると、お兄さんは棺を置いて戻って行ってしまいました。それに続こうとした小人さんたちを、スノウホワイトさんが呼び止めます。
「いや…やっぱり、ちょっと助けて欲しいかなー…なんて…」
「どうする?」
「やっぱ、助けた方がいいっスかね…」
小人さんたちはごそごそと相談した後、段々顔色が黒から青くなってきたスノウホワイトさんに向き直りました。
「よっしゃ、助けたるわ」
鏡の精さんがにっこりと笑います。
「ホントならアンジェラはんがいないと、よう使えんのやけど、今回は人助けっちゅうことで特別大サービスや」
その笑みに何を見たのか、スノウホワイトさんの顔が引きつりました。
「おい、ちょっとまさか───」
その声を遮って、サラマンダーさんが号令をかけました。
「皆行くぜぃ!せーのッ!!」
『レインボー・ダストーーーッ!!!』
ずごごごごおおぉぉぉぉぉぉぉ………んん…!!
「おい、遊んでねぇで、帰るぞ」
戻ってきた小人さんたちにそう言うと、お兄さんはお妃さま───つまり、塔のお姫様を抱き上げました。
「やー、人助けした後は気分がええわぁ」
「全く全く」
ぞろぞろと戻ってくる彼らの表情は、妙に晴れ晴れとしています。お兄さんはその向こう、彼らの後ろにキノコ雲のような不吉な雲が上がっているのを見て、不思議そうに瞬きしました。
「…?」
「どうした、デュラン?」
「…いや」
いつもと変わりないシェイドさんの様子に、お兄さんは何も聞かないことにして歩き出しました。
さくり、さくりと草を踏む、微かな音が薄暗い森の中をゆっくりと移動していきます。光で出来た人魂のような小人さんに辺りを照らしてもらいながら、お姫様を抱えたドラゴンさんとその一行は森の奥の我が家へと向かっていました。
「懐かしいなぁ、何年振りやろか」
鏡の精さんも、懐かしそうに辺りを見回したりしています。お姫様にとっても、懐かしい景色です。その声を聞きながら、お姫様はゆっくりと目を開きました。
目の前に、ドラゴンさんの胸があります。そっと顔を上げると、気配に気がついたドラゴンさんが慌てて顔を背けました。それを両手でぐいと自分の方へ向かせて、お姫様はにっこりと笑って言いました。
「おはよう、久しぶりね?」
「…ああ」
相変わらず無愛想に頷いて、見下ろしてくるドラゴンさんの藍色の瞳。それが相変わらず困ったような表情を浮かべているのを見て、お姫様はじれったいような、ほっとするような気持ちになりました。だって、ずっと会っていなかったのに、ドラゴンさんは全然変わっていなかったからです。
なんと声をかけようかと、寝たふりしながら色々シュミレーションしていたのに、その苦労も水の泡。だけど、不思議とそれがとても嬉しくて、お姫様はまた笑みを浮かべました。
「ねえ、なによこの帽子?」
「ああ、それは」
小人さんの帽子を引っ張られて、ドラゴンさんはちょっと赤くなりました。
「小人変身グッズだ。小人なら、姫君の傍にいても逐われたりはしないから──」
「…バカねぇ」
お姫様はそう言って微笑むと、ドラゴンさんの帽子をそっと脱がせました。そうして、その赤銅色の髪を撫でて首を優しく抱きしめたのです。
「あんたに小人は似合わないわ。あんたはあんたのままが、一番素敵よ」
「アンジェラ…?」
「本当はね、あのお城を手に入れたらやりたいことがあったの」
お姫様は、ドラゴンさんの首を抱きしめたまま言いました。
「あんたがどこにでも行けるように、人と一緒に暮らせるように、誰にも手出しが出来ないように。…そういう国をあたしの手で作って、そしたら会いに行くつもりだった。…もうちょっとだったのになぁ」
失敗しちゃった、そう言って笑うお姫様を、ドラゴンさんはしっかりと抱きしめました。意地を張っていた自分がとても情けなくて、お姫様に申し訳ない気持で一杯でした。
「…すまない、俺は…」
それには答えず、お姫様はもう一度ドラゴンさんの髪を撫でると、ふと胸ポケットに手をやりました。そして、ちょっぴり意地悪な笑みを浮かべて、ドラゴンさんの耳元で囁きます。
「ねぇ、あたしがいなくて寂しかった?」
「そっ…!?」
一瞬の内に、ドラゴンさんは首まで真っ赤になりました。魚のように口をぱくぱくさせて、必死で何か(多分、いつもの悪態でしょうが)言おうとした後、ふと真顔に戻ります。
とても真剣にまっすぐ見つめてくる藍色の瞳に、お姫様もどきどきしながらドラゴンさんの言葉を待ちました。
しかし。
(はよ言わんかいなー、もうじれったいなあ…)
(ウンディーネさん、シー!)
(本当にじれったいでちね、デュランしゃんもアンジェラしゃんも)
「…」
「…」
こそこそと囁く声に我に返って見回せば、二人の周囲には、興味しんしんで見守る人々。
七人の小人&鏡の精だけではありません。何故かちゃっかりと赤ずきんちゃんや狼さん、そしてあろうことか、きっちり復活しているスノウホワイトさんに狩人さんまで揃っています。小人さんたちの「レインボーダスト」を食らって復活しているとは、スノウホワイトさんはともかく、狩人さんも全くもって侮れません。
「お前ら…」
ドラゴンさんが震える声で言いました。
「特にそこの人外魔境!!なんで手前ぇまでここにいるんだよ!?」
「いやあ」
突然のご指名に照れつつも、スノウホワイトさんは爽やかに笑いました。
「城もすっかり壊れちゃったことだし、しばらくの間ご厄介になろうかなーって」
「そういうことで、よろしくお願いしますね。アンジェラ」
狩人さんの言葉に、お姫様は口をぱくぱくさせています。そこへ、追い討ちのようにお子様二人の声がかぶさりました。
「デュランー、おいら、腹へったー」
「もうおなかぺこぺこでちー」
「あああ分かった分かった、帰ったらすぐメシにすっから」
ドラゴンさんの言葉に、お姫様はぐりっとドラゴンさんを睨みました。けれど、当のドラゴンさんは既に育児モードに入ってしまっています。
何年振りかの再会、しかもお姫様抱っこで暗い森の道という、滅多にないおいしいシチュエーション。
お互いの意地っぱりと誤解が解けて、この鈍いドラゴンさんにしては実にいい感じだったのに。
わなわなと震えだしたお姫様の顔を、ドラゴンさんが不思議そうに覗き込みました。それにも気付かず、お姫様は地を這うようなダークな声で呟いています。
「せっかく…せっかく後一押しでらぶらぶになるところだったのに…どいつもこいつも良い所で…」
ぷちん。
お姫様の中で、何かが吹っ切れる軽やかな音がしました。
「あああもう…ッッ!!邪魔すんなあぁーーーーーっ!!!」
なあぁーーーっ…
なぁーーっ…
ぁーー…
一体いつになったら、らぶらぶになれるのか。
お姫様の魂の叫びは、星の輝き始めた空に虚しくこだまするばかりでありました。
めでたしめでたし…?
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