パロを出たその船は、静かに、静かに、漆黒の海をどんよりと進んでいた。
薄い靄を引き連れ、底知れぬ闇の中へ…深く…深く………
そしていつしか、まるでその闇に取り込まれるかのように、船影はうっすらと消えていってしまった。
後に残ったのは、ただ波の音ばかり…。
「えっちょっとっ!このまま一人置いて行く気でちか、あんたしゃんたち!!」
シャルロットの悲痛な叫びに、他の5人は顔を見合わせながら振り返った。
「あんたの呪いを解くためよ。仕方ないじゃない。」
「そうそ、人手は多いに超した事はないでしょ。」
困ったように腰に手をあててため息をついたアンジェラの横で、ホークアイがウンウンと頷いた。
「ううっ…だって…ココに一人でこんな姿でぼーーっとしてるのも、怖いでちよぅ……」
半透明な姿になってしまったシャルロットは、その不確かな存在が不安なのか、落ち着かない様子で両手を揉み絞った。
「だいたい、お前がうかつなんだよ。怪しげな航海日誌なんか開いたりしてよ。」
「そんな事、今言っても仕方ないでしょう。」
リースは無神経な言葉を吐いたデュランをキッと睨むと、ぷうと頬を膨らませているシャルロットの前でひざまづいた。
「シャルロット、少しだけ我慢してちょうだいね。すぐに助けてあげますからね。」
「……はいでち……」
優しい言葉をかけられると逆にシャルロットは目を潤ませたが、今度は素直に返事をした。
「じゃ、イイコにしてろよ。なんとかなるって。心配すんな。」
ホークアイの声を合図に一同は扉に向かいかけたが、一人だけ、その足をピタリと止めた。
「あのう…オイラ、ここに残るよ。」
「ケヴィン?」
「ケヴィンしゃん…!」
パアアと明るくなったシャルロットの顔をちらりと見て、ケヴィンはデュラン達に向き直った。 「ここにもまだ手がかりあるかもしれない、しさ。それに…シャル、かわいそう。」
「しかし…」
「ウン!よく言ったケヴィン!男だねえ!むしろ漢!イヨ!イカス!」
ちょっと考え込んだデュランを脇に追いやって、ホークアイがケヴィンの両肩をガシと掴んだ。 「…アンタさっき、人手は多い方がとか何とか言ってなかったっけ…」
妙に嬉しそうなホークアイに、アンジェラは怪訝そうな顔を見せた。
「まあまあ。4人もいればなんとかなるでしょ。それにほら…」
ホークアイはふいに声を小さくして、何かしらボソボソとアンジェラに耳打ちした。
それを聞いたアンジェラは、何故か急ににっこりして、気味悪い程優しくケヴィンの手をとった。
「優しい子。シャルロットの側にいてあげてね。不安でしょうがないみたいだから。」
「う、うん。」
何だか変にニコニコしている二人に挟まれて、ケヴィンはおずおずと頷いた。
「…おまえら、何か企んでねえか?」
「いいええ。」
「なーーんにも。」
探るような目つきで睨むデュランに、二人は合わせたように首を横にぶんぶんと振って否定した。
リースもなんだか不思議そうな顔をしながらも立上がり、ケヴィンに向かって一つ頷いてみせた。
「じゃあ、ケヴィン、シャルをよろしくお願いします。それじゃ…行きましょうか?」
「はぁーーーい!」
ウキウキと扉を開けたホークアイは、3人が部屋の外に出るのを確認すると、中の二人にチョンとウィンクしてみせてから、パタンと扉を閉めた。
「あの、ありがと、ケヴィンしゃん…」
閉められた扉を呆然とみつめるケヴィンに、シャルロットはちょっとだけ照れたようにお礼を言った。
ケヴィンはビックリして振り返ったが、その半透明の小さな女の子を安心させるように、にっこりと微笑んだ。
「なんかお話しようか、シャルロット。」
部屋を出た4人は、薄暗い廊下で輪になり、まずはこれからどうするかを話し合い始めた。
「とりあえず、二人ずつ組になって、手分けして探索してみようぜ。な。」
「ん?ああ、それがいいだろうな。」
ホークアイは、デュランが意外とあっさり承諾したので、ますます嬉々としてリースの横にスイッと移動した。
「じゃ、オレリースと行くー。お前、アンジェラとな。」
「あぁ!?何勝手に決めてんだ?お前!」
「嫌なのかしら、あたしとじゃ?」
「い、嫌とかじゃなくてっ。」
腕組みをしてジットリと見つめるアンジェラに、デュランは慌てて首を振ってみせた。
「力の配分とかバランスとか考えると、これでちょうどいいじゃないのよ。」
「…そう、ですね。ちょうどいい、かも、しれません、ね。」
リースも、幾分もじもじしながらも、このアンジェラの意見に賛成した。
その様子を見てホークアイはまた一段と顔をほころばせると、パチンと手を打った。
「決まりっ。オレらこっち。お前らあっち。また後でココで落ち合おう。じゃっ!」
「ハイハイ、行きましょ行きましょ。じゃねー。」
アンジェラも、ウキウキとスキップでもしそうな勢いでデュランの背中を押した。
「む…。まあ、いいか。気をつけろよ。」
反論する理由も見当たらなかったので、 デュランは少し気まずそうに頭をボリボリ掻きながらも、アンジェラに押されるがままに歩きだした。
廊下の端と端でホークアイとアンジェラはふと振り返り、お互い顔を見合わせるとニシシと笑って親指を突き出した。
(グッドラック!)
唇の動きだけでホークアイはそう言うと、軽くウィンクを投げて廊下の角に消えていった。
期待と不安と困惑と。
様々な思惑が交錯しつつ、6人の長い夜が、まさに始まろうとしていた。
デュランとアンジェラは、ますます薄暗くなった廊下をヒタヒタと歩いていた。
「押すんじゃねえよっ。暗くてよく見えねえんだから、危ねえだろ。」
「はあい。これでいい?」
アンジェラはここぞとばかりにデュランの左腕にスルリと腕をからませた。
「わあっ。何すんだよっ。邪魔だろっ。くっつくなよ!」
「怖いんだもん。いいでしょ、これくらい。」
「剣が振れねえっつうの!離れろよっ!」
「もうっケチ!」
しかし次の瞬間、プウと頬を膨らませたアンジェラの顔がギクリと凍り付いて、廊下の奥の暗闇を凝視した。
「何、何か、いる…??」
「…」
デュランは無言でスラリと剣を抜き、アンジェラの一歩前へ出て軽く構えると、暗闇の中の気配を探るようにスウと目を細めた。
ザワリとした嫌な空気が奥から流れ出て、二人を取り囲む。
その冷気にアンジェラの全身に鳥肌が走り、思わずデュランの服の端っこをぎゅうと握り締めた。
ズルリ、ズルリという何か湿った物を引きずるような音がゆっくり近づいて、暗闇に慣れてきた目に、ぼんやりとその不吉な影が映る。
その時、空気が動いた。
「来る!」
「い、やああああああ!!!」
同じ頃、ホークアイとリースは薄暗い階段を上っていた。
リースは、指先まで真っ白になるほどに槍を握り締めて、少しの物音にもビクリと反応しながら、暗闇の恐怖に耐えていた。
ホークアイは、いつも堂々としているリースが、普通の女の子らしく幽霊を怖がっている様子を見せているのが妙に嬉しくなって、ついニコニコしながら空いた左腕をクイクイと突き出した。
「リース、怖かったら、ここ、ホラ、つかまってていいんだぜー。」
しかしリースは、緊張と恐怖で何も目に入らない様子で、小刻みに震える顔をむけ、ひきつった笑いを無理やり作ってみせた。
「だだだ大丈夫です。こわこわ怖い訳じゃないんですしゅっ集中してるだけ、だっだけなんです、それにホラつつつかまったりしたらじゃじゃ邪魔になるしとっさの時にみっ身動きとれないし」
「……そーですか……」
せっかく二人きりのシチュエーションを作ったのに、なかなかいい雰囲気になるチャンスがなく、ホークアイは人知れず肩を落とした。
が。
「ヒッ!」
階段を上りきったリースが瞬間硬直して声にならない声を上げた。
そこには、もはや人の原型をとどめないほどに腐った身体を持つグールの集団がうごめいていたのだった。
久々に生身の人間を見つけた彼らは、ドロドロに溶け出した顔をこちらに向けて、じわりと這うように近寄り始めた。
「グール…死にきれない肉塊か…」
ホークアイは一瞬哀れみの表情を見せたが、スキを見せて自分もそうなる訳にはいかない。気をひきしめて短剣を握り直した。
しかし、隣の少女の口からか細い声が漏れたのを聞いた時、その厳しい表情は脆くも崩れ去った。
「イ…ヤ…」
リースはすでに顔面蒼白で、しだいに近づいてくるグールを凝視したまま、固まってしまっているようだった。
ホークアイは、むしろこの現状を喜んでいるかのように浮き足立った。
(こっ怖がってるっ!ここはひとつ!)
「リースッ!大丈夫!オレがついてる!さあオレにしっかりつかまって…」
「イヤアアアアアッ!!!」
両腕を広げたままの姿勢で、ホークアイは、絹を引き裂くような悲鳴を上げながら弾けるように飛び出したリースの背中を呆然と見つめた。
リースはもう、闇雲に槍を振り回しながら、グールの群れをなぎ倒している。
「いやっ!やめてっ!近づかないでっ!!」
「えーと、それはオレに言ってるのかな…」
何もする事がなくなったホークアイは、グールのかけらがべちょっと飛んでくるのをひょいとよけながら、指をくわえてリースの鬼神のような闘いっぷりを眺めていた。
「もうっ!こないでっ!早く、成仏、してくださーーい!!」
「成仏、できるといいねえ…」
すでに原型なくバラバラになったグール達に哀悼の意を表し、ホークアイは神妙な顔つきで目を閉じると、黙って手を合わせた。
攻撃の対象がなくなった事に気づいたリースは、肩で息をしながらホークアイを振り返った。
「だ、大丈夫でした?お怪我ありませんか?」
「おかげさまで。めっきり無傷でございます。」
ホークアイは、まだ両手を合わせたまま、ゆっくりとお辞儀をしてみせた。
(でもちょっぴりハートエイク。オレってつくづくカッコ悪ぃ…。)
そんなホークアイの心情にリースが気づく筈もなく、ホッと息をついて呼吸を整えると、ホークアイにニッコリ笑いかけた。
「よかった。じゃ、進みましょうか。」
「…はぁーい。」
リースは、一暴れしたおかげかスッキリと緊張のほぐれた表情になって、足取りも軽く廊下を歩き出した。
(アンジェラの方は、ウマくやってんのかなあ…)
すっかり思惑の外れたホークアイは、もう一つのペアの経過を思いながら、とぼとぼとリースの後についていった。
「それ、ホーリーボールー…っと。」
「真面目にやれよ、てめ。」
「あーい。」
アンジェラはすでに、機械的に魔法を繰り出しているに過ぎない状態になっていた。
闇の魔物である上に数が多いので、手っ取り早く全体魔法で切り抜ける事になったのであった。
おかげで最初の呪文詠唱の時以外はさほど緊張感もなく、グールに対する恐怖感もしだいに薄れていって、あわよくばデュランとベタベタしてやろうという、チャンスも気力も失ってしまっていた。
「お疲れさん、さ、行こうか。」
「ほんと、疲れたわー。一休みしたいわねえ。」
アンジェラはだるそうに背伸びをして、わざとらしく欠伸までしてみせた。
「別にいいけどよ…。ここで一休みなんかしてたら、そのうちコイツら、また復活してきちまうぜ。」
デュランの指差す方を見て、アンジェラはうんざりとため息をついた。
完全に消滅できないでいるグールの肉塊が、まだジクジクとうごめいていたのである。
「あの階段の上の扉の先に何もいなかったら、そこで休もうぜ。それでいいだろ。」
「わかったわよーう。」
二人は窓の側を通り過ぎたが、その瞬間、アンジェラは背中に冷たい視線を感じたような気がして、ふと振り返った。
が、そこには誰もいる筈はなく、窓の外にも、暗い海が静かに波打っているだけであった。
「どうした?」
階段を少し上り始めていたデュランが、急に立ち止まったアンジェラを心配げに見つめた。
「う、ううん、何か、誰かに見られてたような気がして…」
デュランは一瞬緊張して、用心深くアンジェラの背後を眺めてみたが、とりあえずおかしな気配は感じられなかったので、ふぅと息をついた。
「疲れてんじゃねえの?やっぱり。」
「うん…そうかな…。」
アンジェラはまだ不安げに背後を見つめていたが、また肉塊がうごめいたのに気づいて、慌てて階段に駆け寄った。
その階段の中ごろで、顔は前に向けたままで手を差し出しているデュランを見つけ、アンジェラははたと立ち止まった。
「…何?」
「疲れてんだろ。ほら。手!」
表情は見てとれなかったが、デュランの真っ赤になった耳に、その心情がつぶさに現れていた。
アンジェラは、一度に疲れが吹き飛んだように、青白かった顔もピンク色になって、胸の奥から湧き出る笑みを満面に浮かべた。
そして、下手に扱うと壊れてしまう大事なものに触れるかのように、そっとデュランの手につかまった。
船室に取り残されたシャルロットは、室内をしつこく嗅ぎまわっているケヴィンに、ひっきりなしに語りかけ続けていた。
「………なんでちよー。まったく小うるさいじいさんでち…。」
やれやれ、というジェスチャーで、シャルロットは頭を横に振った。
「でも、司祭さま、シャルロットを心配してくれてる。シャルロットだって、それ、わかってる。」
「う、ん。そうなんでちけどね。」
エヘヘ、と、照れたように笑うシャルロットを見て、ケヴィンもつられてニッコリ笑いかけた。
「シャルロット、司祭様大好きなんだな。」
「えっ、うん、まあ、そうでちねえ。一番はヒースなんでちけど。」
さらに照れくさくなったのか、シャルロットは頭をポリポリかきはじめた。
「今となってはたった一人の家族でちからねえ…」
「家族だからって、スキになれるとは限らないけど…。」
「え?」
急に寂しげな表情になったケヴィンに驚いて、シャルロットは目をパチクリさせた。
「あっ、いや、ゴメン。その、スキになれる家族がいて、シャルロットは幸せだね、って言いたかっただけで…。」
何と答えていいものか、シャルロットがモゴモゴしていたその時、船が突然グラリと揺らいで、二人は思わず膝をついた。
その動きはあまりに不自然で、高波のせいではない事がはっきりとわかった。
「何だ!?」
少し沈みかけた想いを振り切るように、ケヴィンは窓に向かって走った。
「…船が起きたでち…」
「エッ!?」
外の様子を見ようと窓に顔をはりつけていたケヴィンは、何かを感じ取っているらしいシャルロットを振り返った。
「なんか、そんな感じがするでち…」
シャルロットの瞳は、ケヴィンを見ているようで、しかしどこも見ていないような、不思議な、不安定な色をたたえていた。
ケヴィンはその瞳の美しさに一瞬たじろいだが、次の瞬間、シャルロットの膝がガクンと崩れたのと同時に、すさまじいダッシュで側に駆け寄った。
「!!」
しかしケヴィンは、シャルロットの身体を支えようと伸ばした手を、ピタリと止めなければならなかった。
シャルロットは、しりもちをついた姿勢のまま、ケヴィンの手を直前でさえぎったのである。
「ダメでち。触ると、今度はケヴィンしゃんが…。」
少し生命力が落ちたような、前より一層青白く見える顔で、シャルロットは力なく頭を振った。
「大丈夫でち。ちょっとこの船の闇のパワーにあてられただけでち。カッコ悪いでちね。エヘヘ。」
ケヴィンは、この今にも消えそうな小さな少女に、助けにきたつもりの自分が助けられた事を知って愕然とした。
自分の身が危うい状態でありながら他人を思いやる精神力、そしてそのとっさの判断力に身震いしながら、ケヴィンは気づかないうちに拳をきつく握り締めていた。
自分は、何をした?ただ一緒にいただけで、たいくつしのぎに話をしただけで、呪いの手がかりもみつからず…
(オイラは、シャルロットに、何をしてやれたというんだろう。)
今自分にできる事は何だ。
ケヴィンは握り拳を作ったまま、力を込めてシャルロットを見た。
「シャルロット、オイラ…」
「??」
その時。
また大きく、今度は先ほどとは比べ物にならない程に激しく船が揺らいだ。
「始まった…始まったでち…!!」
ケヴィンの言葉の続きを聞くのも忘れ、シャルロットはまた、頬を押さえて預言めいた。
ケヴィンもまた、自分にも大きく響いてくる闇のパワーに圧倒されながら、何かが始まった事を感じ取っていた。
船全体が、まるで意思を持っているかのように怒り、震え、恐怖しながら、力を充填させている。
何が起こっているのかわからないまま、二人は緊張で息を殺しながら、窓の外を伺っていた。
扉を開けると、そこは甲板だった。
夜の冷たい霧が充満し、数メートル先もまともに見る事ができない。
しかし、デュランが思わず身震いしたのは、その霧のせいだけではなかった。
「…いるな、フェアリー。」
(そうね。そして…結構大きい…。精霊の気配も、その中に感じるわ。)
デュランはゆっくり息を吐きながら気をためていき、剣に手をかけた。
(大丈夫、大丈夫、きっと、大丈夫…)
アンジェラも、尋常でない気配を感じ取って、緊張で倒れそうな足元をぐっと踏みしめた。
「こりゃあ…大事になりそうだな。」
「なっ…」
ふいに背後で声がしたのに驚いて、アンジェラはメイスを突き出しながら振りかえったが、そこにいたのは気配を殺しながら近づいてきていたホークアイとリースだった。
「この相手は結構でかいらしいぜ。」
デュランは、彼らがそこにいるの事などとうに知っていたかのように、振り向きもせずに言った。
「そのようね。」
ホークアイは、まだ自分に向けられているメイスをスッと手で押さえると、呆然としているアンジェラの肩をポンポンと叩いて、デュランの左についた。
その後ろからリースが現れ、多少青ざめてはいるがしっかりとした表情で、アンジェラにうなずいてみせた。
アンジェラも気を取り直して口をぎゅっと結び、リースにうなずきかけると、どちらともなく、互いに勇気付けあうかのように、手をぎゅっと繋いだ。
(…出るわ…)
「出るってよ。」
デュランはフェアリーの言葉を声に出して伝えると、神経をあらゆる方向に張りめぐらせて、どんな状況にも対応できるように、構えをやわらかく変えて備えた。
「霧が、動いてる…?」
アンジェラが目を凝らすと、それは錯覚でも何でもなく、まさに霧は意思を持ったかのようにうごめき、ある一箇所にスルスルと吸い寄せられ、いつしか見上げる程に大きくなっていった。
魅せられたように見つめる四人の前で、それは次第に形を成し始め、もはや霧とは言いがたいはっきりとした実態となって、しかし霧のような浮遊感は残したまま、上空を漂っていた。
顔らしき箇所に開いたいくつかの空洞が、徐々に目と口の形をつくりだし、とうとうその魔物が本体をあらわした。
その目が数回瞬いたかと思うと、自分を見上げている小さな人間達を見据えた。
「我の眠りを…妨げしは…貴様らか…」
腹の底にズシンと響き渡る暗い声が、闇を震わせて四人の元に届いた。
「おう。シャルを…仲間を呪いから解放してもらいたい。」
デュランは、その圧倒的な闇の力に押しつぶされそうになりながらも、力を込めて声を振り絞った。
「眠りを妨げしは貴様らか!」
次第に魔物の闇の力が増幅しているのがわかり、デュランは一気に緊張を高めると剣を固く握り締めた。
「話は通じなさそうだぜ。」
「寝起きで機嫌悪いんじゃねえの?」
「アホかっ!」
ホークアイの間の抜けた返事に、張り詰めすぎていた緊張の糸が少し緩んで、デュランは幾分落ち着きを取り戻した。
「お前は何者なんだ!?いったい!」
「我は…ゴー…ヴァ…」
ゴーヴァは、底のない空洞のような目を、まるであざ笑うかのようにスゥと細めて答えた。
「呪いを解く方法はただ一つ…我を倒すことだ…」
「なんだ、ちゃんと目ぇ覚めてんじゃん。」
ホークアイはクククと笑うと、両脇の短剣をスルリと抜き放った。
「ようこそ…我がさまよえる魂の船へ…」
「くるぞっ!!」
船の揺れはしだいに激しさを増し、船室の二人は、立っているのもままならずに床にしがみついていた。
「一体、何が、起きてるんだ??」
ケヴィンは、バラバラと落ちてくる本や小物を手で払いながら、不安げにシャルロットに顔を向けた。
「詳しくはわからないでち…。でも、多分…」
「みんな、何かと戦ってる…?」
シャルロットは、歯を食いしばってケヴィンに頷いて見せた。
「あたちが…ヘマしちゃったから…みんなに…迷惑…」
「違うよ、シャル。」
ケヴィンは、泣きそうになっているシャルロットを真っ直ぐな目で見据えた。
「シャルは、悪くない。シャルのせいじゃない。こうなる事は、この船に乗った時に、もう決まってた事なんだ。」
シャルロットは口元を震わせながら、ケヴィンの言う事に聞き入った。
「幽霊になってたのは、他の誰かだったのかもしれない。誰が呪いにかかっても、みんな同じ事してるはず。」
ケヴィンは揺れる床にしっかり足を踏みしめて、四つんばいに立ちあがった。
「オイラ、行くよ。必ず助ける。シャルも、みんなも。」
シャルロットは、こらえきれなくなって、涙をぽろぽろと床に落とした。
「し、し、信じてるでち…」
「うん、まかして。」
ケヴィンはまた、シャルロットを安心させるように二コッと笑いかけると、役に立ちそうなアイテムをかき集めて懐にしまいこんだ。
その時。
バタン!!
ドアから何かが文字通り転がり込んできて叫んだ。
「ケヴィン、来い!!」
「ホーク!?」
「その傷…?」
ホークアイは、ゴーヴァとグールの群れから受けたダメージもそのままに、二人の元へ駆け寄った。
「エラい騒ぎだぜ、上は。手伝ってくれ。」
「そんなに…?」
シャルロットは、荷物を確認しているホークアイに、涙声で訊ねた。
「ん、ああ、まあね。よし、魔法のクルミがあるな。アンジェラの魔力が回復すりゃ、どってことねえだろ。」
「魔法しか通じないの?」
「しかって訳じゃねえが…ぷかぷか浮いてるもんだから、物理攻撃があんまり効果ねえんだよな。せいぜいリースの槍くらいしか届かなくてよ。オレの短剣じゃ、クソの役にもたちゃしねえ。」
平然とした顔に見えたが、ケヴィンには、ホークアイのはらわたが煮えくり返っているのがわかった。
自分の力が相手に通用しない事ほど腹立たしい事はない。
それで居ても立ってもいられず、単身ここへ戻ってきたという訳か。
「ホーク、それなら…シャルを連れていった方が、いいんじゃない?」
ホークアイは、荷物をまとめる手をピタリと止めて、ケヴィンを見た。
「オイラだって、行っても役にたてないかもしれない。それより…。オイラ、シャルと代わるよ。だから…」
「ケヴィンしゃん、ダメでち!」
「ああ、ダメだな。」
「ホーク!!でも!!」
ホークアイは、持っていた荷物をポンとケヴィンに手渡した。
「オレが代わる。お前はシャルを連れて、甲板まで走れ。その方が早い。」
「え…!?」
「またあそこまで戻るには、正直オレのダメージはデカすぎるみてえだしさ。ここでちょっと休ませてもらうぜ。」
確かによく見るとホークアイの顔はかなり青ざめ、小刻みに震える身体には無数の傷があり、体力的にも限界に見えた。
「ホーク、せめてドロップを…」
「上で使うんだ。今無駄使いすんじゃねえ。」
ホークアイは甲板までの道順を簡潔に説明すると、呆然としているケヴィンの耳をグイッとひっぱった。
「最短距離だ。間違うなよ。」
そして、もう涙は出すまいと必死にこらえているシャルロットの前にひざまづいた。
「ついたらまず、アンジェラに魔法のクルミを渡して、それからみんなにヒールライトだ。その後は臨機応変に。頼むぞ。」
シャルロットはコクリと頷くと、震える手を差し出した。
その小さな手に触れた瞬間、何かひどく冷たい物の中に引き込まれるような感覚に襲われ、ホークアイはたまらず目をつぶった。
ゆっくり目をあけると、半透明になった自分の手を通して、不安げなシャルロットの顔が見えた。
「うへ。幽霊なんてなるもんじゃねえな、気色悪ぃ。お前、よく我慢してたな。偉い偉い。」
おどけた表情をしてみせるホークアイに、シャルロットもエヘヘと笑ってみせた。
「少しだけ我慢ちてちょうだいね。すぐに助けてあげまちからね。」
リースがこの部屋を出る時にシャルロットにかけた言葉をそのままに受け取って、ホークアイは思わず微笑んだ。
「おう。よろしくな。」
大事なアイテムを入れた袋を腰にぎゅっと巻きつけると、ケヴィンは獣人化を始めた。
夜のパワーを吸収するかのように、パワーをみなぎらせていく。
そしてシャルロットを抱き上げると、もう一度ホークアイの方を振り向いた。
「無駄な戦いはすんな。ザコは跳ね飛ばしながら突っ走れ。」
ホークアイの忠告に、口を真一文字に引き締めると、ケヴィンはコクリと頷いた。
「ホーク、待ってて。すぐ終わる。」
そして、開けっ放しのドアをスルリと抜けると、あっという間に走り去っていった。
それを見届けたホークアイは、今まで張っていた気が急激に緩んだのか、眉間にシワを寄せると、傷口を押さえながらドスンと床にしりもちをついた。
「…さみ…」
そして、凍りついたように冷えた身体を暖めるように、ゆるゆると緩慢な動きで膝を抱えると、少しでも体力を回復させる為に目を閉じた。
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