「ホーリーボール!」
最後の魔力を振り絞って、アンジェラは聖なる玉を投げつけた。
「やったか?」
デュランとリースはゴーヴァを見上げて、ダメージを計った。
「ゴ…アァァァ…」
ゴーヴァはかなり揺らいだが、まだその力は十分に残っているように見えた。
「まだです!」
「くそっ。」
デュランの大剣もなんとか当たりはするものの、大したダメージには至らないようで、もっぱらアンジェラのガードに徹していた。
そのアンジェラも、すでに魔力を使い果たし、足元さえおぼつかない状態にまで憔悴していた。
「お前はホーク達が戻るまで陰で休んでろ。ここはオレ達でなんとかもたせる。」
「何でよ!あたしもやるわよ!」
「たまにゃ黙って言う事聞け!」
震える手でメイスを握り締めているアンジェラに、今度はリースが呼びかけた。
「魔力が回復したら、またアンジェラに頼らなければなりません!だから、今のうちに休んでおいて!」
「そういうこった!」
デュランはそう言うと、アンジェラを船室への扉の方へ突き飛ばし、甲板の中央に躍り出た。
(くそ、ザコどもに魔法を使わせすぎた…。オレがもうちょっとしっかりしてりゃ、こんな事には…)
(デュラン、今は考えてるヒマはないわ。今できる最善の事をやるの。)
(…わかってる。)
頭に響くフェアリーの声は心地よく、熱くなりすぎるデュランを落ち着かせる効果をも持っているかのようだった。
デュランは、この声に何度も助けられてきたのだ。
(サンキュ、フェアリー。ちょっと長引いてるが、もう少しの辛抱だ。)
(ふふ、そうね。デュランも辛抱を覚えたのね。)
(黙れって。)
デュランはひとつ深呼吸をして、もう一度、剣の握りを確かめた。
一方、アンジェラは扉の側の物陰に倒れこんだが、もはや一人で起き上がる事すらできない自分の身体に驚いていた。
「こ、こんなに動けなくなってたなんて…」
アンジェラは最後のドロップを口に放りこむと、じっと身体を丸めて体力の回復を待った。
次第に四肢の感覚が戻ってくるのを感じながら、アンジェラは目を閉じていた。
(あたしにできる事をやろう。ホーク達が戻るまでに動けるようになって、魔法のクルミをもらって…それからがまた、あたしの仕事。あたしにしかできない…そうだ。やらなきゃ。)
バタン!!
急に扉が開いて、金色のふわふわした物を抱えた、黒い大きな塊が飛び出してきた。
「ケヴィン!……シャ、シャル!?なんで!?」
「アンジェラしゃん、これ!」
ケヴィンの懐から飛び降りたシャルロットは、魔法のクルミをアンジェラに放り投げると、息つく間もなくヒールライトの詠唱を始めた。
「アンジェラ、説明は後!頼むよ!」
自分のものか魔物のものかもわからない程に血まみれになったケヴィンが、ゴーヴァの攻撃からガードするかのように、二人の前に立ちはだかった。
アンジェラは、多少混乱を残しながらも、まだ少し震える足を押さえてなんとか立ち上がり、クルミで回復した魔力を一気に練りはじめた。
「ホーリーボール!」
「ヒールライト!」
闇を切り裂く二筋の光が、交錯しながら甲板を走りぬける。
一段と大きくなった聖なる光は、ゴーヴァの身体の真正面を突き上げた。
「ガアアアアア!!!」
「おし!効いてる!」
ヒールライトの暖かい光に包まれて、デュランは思わず歓声をあげた。
「…て、あれ、シャル…?と、ケヴィン…か?」
足りない者が誰かがわかると、デュランはハッとしてリースをかえりみた。
彼女も回復の光の中にいたが、その表情は固く、心ここにあらずといった様子で、現れた二人を呆然と見比べていた。
その一瞬の隙をついて、大ダメージを受けて怒り狂ったゴーヴァの鉤爪がリースを襲った。
「あッ…!!」
間一髪致命傷は避けたものの、その柔らかい肌を引き裂かれてリースはたまらず倒れこんだ。
そこを続けざまに襲ってきたゴーヴァの爪を、駆けつけたデュランが一振りで跳ね上げ、リースに向かって叫んだ。
「コイツをやれば、ヤツは戻ってくる!しっかりしろ!」
「…は、はい!」
リースは、ハッと目が覚めたようにデュランを見上げると、髪を結っていた緑のリボンをはずし、パックリと開いた傷を止血する為に腕に縛りつけた。
(そうだ…呆けてる場合じゃない。集中して…!早く、早く、助けなきゃ…!!)
リースは頬をパチンと叩くと、バラバラになった金色の髪を振り乱し、また一層力強く、槍を振るった。
アンジェラのたたみかけるような魔法攻撃。
シャルロットは回復に徹する。
その二人をゴーヴァの攻撃から守るケヴィン。
フワリと降りてきた時を狙って、大技を繰り出すデュランとリース。
いつまで続くかと思われたこの攻防も、ようやく終わりに近づいてきていた。
ゴーヴァの動きは目に見えて鈍くなり、その爪も技も、まともには当たらなくなっていた。
「消えルの…か…我が…消エ…る…あァ…ガ…ガガ…」
「これで最後っ!」
アンジェラの放った光がその身体に触れたとたん、霧のつまった風船のように、ゴーヴァは一瞬にしてパァンと弾け飛んだ。
「ガァアアァァァ……」
遠くに響く叫び声を残して、ゴーヴァの気配は静かに消え、あたりにまた闇が広がった。
「…終わり、か?」
「ええ。ゴーヴァは完全に消滅。みんな、お疲れ様。もう大丈夫よ。」
フェアリーがいつの間にかデュランの肩に誇らしげにとまり、憔悴しきって座り込んでしまった勇者達を眺めていた。
シャルロットだけは、タタタとリースの元に駆け寄り、戦闘中には完全にふさぎきれなかった腕の傷を癒し始めた。
その小さな姿を目を細めて眺めた後、はっと気づいたように、リースは恐る恐るフェアリーを見上げた。
「あの、呪いは…?」
「問題ない。呪いは全て解けた。やがてその男もここへ上がってくるだろう。」
聞き覚えのない重厚な声に、一同は驚いて上空を見上げた。
そこには、ゴーヴァとは明らかに質の異なる柔らかな闇を放散しながら、コウモリにも似た真黒な精霊が静かに浮いていた。
「シェイドさん…」
「先の戦闘中に、そこのフェアリーから話は聞いた。喜んで力を貸そう。」
フェアリーは、長い安堵のため息をふうっと吐いて、にっこりと笑いかけた。
「ありがとう…。助かります。」
「助けられたのはこちらだ。我の迷える魂を開放してくれた。礼を言う。」
シェイドは、ユラリとデュランとフェアリーに近づきながら、5人の顔を見渡した。
フェアリーは多少緊張して、恐る恐るシェイドに尋ねた。
「それで、闇のマナストーンは…」
「その話は長くなる。まずはここから脱出する事が先決だ。」
「え、どういう…」
デュランが聞くのとほぼ同時に、突然大きな波が船体を揺らした。
「うわ!」
「きゃあっ!」
今まで凪いでいたのが嘘のように風が強まり、雨こそ降らないものの、海は嵐の様相を呈し始めた。
5人は慌てて手近な物につかまると、何事かと顔を見合わせ、答えを求めてシェイドを見上げた。
「この船を支えていたゴーヴァが消滅したのだ。この船も、消える。」
「そんな!!」
「この嵐は!?」
「ゴーヴァの置き土産といったところか。」
「みんな、しっかりつかまって!」
「中へ!」
フェアリーとシェイドがデュランの中へ消えると、嵐は一層強く激しく船を襲った。
ベキベキベキベキ!!!
船のちょうど中央に大きな亀裂が入り、もともと朽ちかけていた船は、あっという間に半分に割れた。
荒れ狂う波が襲い掛かり、視界も遮られたが、ずぶ濡れになりながらもなんとか海に振り落とされずにすんだ。
「つかまれ!」
「シャル!ここに!」
「ケヴィンしゃん達が!」
激しく揺れる船にしがみつきながら、デュランは分かれてしまった船の後部を探した。
そこには。
「アンジェラ…ケヴィン!」
同じように、二人もずぶ濡れになりながら手すりにしがみつき、何か叫んでいるように見えた。
「くそ!」
「合流できないでちか!?」
「無茶言うな!」
「ホ、ホークアイは…!?」
片手でシャルロットを押さえながら、リースは目を凝らした。
しかし、高波の陰に見え隠れする船の残骸には、その姿を確認する事ができなかった。
「ホーク!ホークアイ!!」
もしかしたら、こっちにいるかもしれない。海に落ちてしまったかもしれない。リースは呼び続けた。
「返事を!してください!ホークアイ!!」
しかし返事は聞こえるはずもなく、ゴウゴウという嵐の音だけが耳をつんざいた。
「このままじゃ沈む…」
デュランは、手足を滑らせながら手すりをつたい、くくり付けてあった空の樽を剣で切り離した。
「リース、こっちへこれるか!?」
リースは、海水と涙でぐしゃぐしゃになった顔をデュランに向けると、シャルロットを支えながら、ゆっくりと樽に近づいていった。
デュランは泣きじゃくる二人の女の子にロープを放った。
「これでお互いをしっかり繋げ。樽にも繋ぐんだ。これで沈む事もねえし、渦にのまれる事もねえ。早く!」
船体はすでに8割がた海の中へと消え、3人がしがみついている樽は、不安定に荒波の上を走り始めていた。
ロープを結びながら、デュランは血が滲む程に歯を食いしばって、すでに遠く離れてしまった船の片割れを見た。
ふと、その船の上から、小さな非常用の小船らしき影が海の上に落とされた。
そして、次々と小船に飛び移る人影。
それは確かに、三つあった。
「ホークはあっちだ!そうやすやすとくたばるかよ、アイツがよ!」
デュランは大きく目を見開くと、この状況下に似合わない嬉しそうな高笑いをあげて、リースの背中をバンとたたいた。
リースは、その勢いにゴホンと咳き込んで、泣き笑いのような表情をしてみせたが、次第に離れていく小船の影を不安げに凝視し続けた。
「ああ…見えなくなるでち…ゴボッ…ゲ、ホ…」
「もうしゃべるな。水飲むぞ。」
嵐の音だけが吹きすさぶ海の上で、三人は一言も口を聞くこともなく、ただ静かに、小船が消えてしまった辺りの海を、いつまでも眺めているしかなかった。
やがて海はいつもの静けさを取り戻し、流れに乗ったその小さな樽は、ゆっくり、ゆっくりと、三人を小さな島へと誘っていく。
6人の長い夜は、今まさに明けようとしていた。
しかしそれは、また新しい苦難の幕開けでもあった。
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