ゴォォン、ゴォォン…と重い鐘の音が響く中、一同は娯楽室に集められていた。一同、といってもデュランとホークアイの姿は見えない。集まって欲しいとライザに呼ばれた連中は、急な招集に戸惑っているようだった。
「どうしたでちか、ライザしゃん。また何かあったでちか?」
「はい、実は…」
言いかけてライザは後ろを振り返る。その視線の先では、ソファに腰掛けたアンジェラがコーヒーカップを手に微笑んでいた。
「あたしが頼んだのよ。皆を集めて欲しいって」
昨晩から降り続いた雨もすっかり上がって、今は琥珀色の西日が部屋に差し込んでいる。その鮮やかな光を浴びつつ、アンジェラはゆっくりと腰を上げた。それを眩しげに見やりつつ、リースが尋ねる。
「どういうことですか、アンジェラ? まさか、犯人が…?」
「ええ。犯人は、───」
薄紅色に染めた形の良い爪が、すう、と宙に弧を描く。やがてある一点──リースの前で止めると、アンジェラは静かに続けた。
「──貴方、よ」
「…私が?」
「そう」
頷いてから、アンジェラは「正確じゃないわね」と肩を竦めた。
「貴方は共犯。本当の犯人は、ホークアイ、よ。…いるんでしょ? ホークアイ」
「え?!」
「ホークしゃん?」
アンジェラの言葉に、ケヴィンとシャルロットが驚いて室内を見回した。が、それらしい人物は見えない。
しかし、どこからともなく聞き慣れた忍び笑いが聞こえてきて、やがてその姿が実体を伴って現れた。
「ご名答。よく分かったね、アンジェラ」
そう言って笑うホークアイの周囲を、光の精霊・ウィスプが緩やかに旋回して消えた。
「ホ…ホークアイ、死んだ、違うのか?」
「あ、足はちゃんとあるでちか?!」
「そりゃーもちろん」
笑みを絶やさぬまま、長い足を誇示するようにぷらぷらと振って見せると、ホークアイはアンジェラに向き直った。
「いつから分かってた?」
「デュランよ。あいつがあれだけふらふらしてんのに、往生際の悪いあんたが素直に天に召されるわけがないでしょ?」
「…なるほど」
「それに、ご丁寧にメッセージまであったじゃない。『もぬけのから』って。あの暗号、この部屋の中には誰もいないってことだったんでしょ?」
アンジェラの言葉に頷くと、リースはにこやかに先を促した。
「それで、私達が犯人と思ったのは何故ですか?」
「そうね。一番最初から始めましょうか」
長くなりそうだと判断して、ライザがお茶の準備を始める。それぞれも好きな場所に陣取ると、菓子鉢に手を伸ばした。
「今回の一件はね、最初からデュランがターゲットだったのよ。ホークアイが最初に死んで見せたのは、その目くらましと、自分が自由に動けるようにするため。…そう、最初から仕組まれてたのよ」
「しくまれてた?」
ケヴィンの問い返しに、頷くとアンジェラは天井を見上げた。
「骨休めといってこの城に来たこと。本当は使えるのに、行動を制限するために、あっちこっちの階段を立ち入り禁止にしたこと。…そして、部屋割りもそう。偶然っぽいけど、デュランの性格考えれば、ね。三階か二階のあの部屋を選ぶっていうのは、すぐに予想がつくわ」
「どうしてでち?」
「離れて寂しい部屋だからよ。四階は女湯があるから、あいつは絶対選ばないでしょ? で、三階はホークアイがとったじゃない? そうすると、一室だけ離れてるのってあの部屋だけよね。あんた達、…とくにシャルなんか、そういうの厭でしょ」
「あたりまえでち、一人ぼっちはコワイでちようー」
「だから、よ。あんたかケヴィンがぽつんと一人じゃ可哀相だって思ったら、あの部屋を選ぶでしょ?」
「…」
言われてケヴィンとシャルロットは顔を見合わせた。自分達に気を遣った結果があれなのだと思うと、申し訳なくなってくる。
ちょっぴりしょげてしまった二人の頭を、ぽんぽんと叩いて、アンジェラは先を続けた。
「部屋の中のバラは、ケヴィンの鼻対策よね。他の誰かが居た事ではなく、他に誰も居なかったことを誤魔化すため。…これで準備は調ったわ。…おっと、そうそう。ホークアイが図書室へ行ったのも、続きの抜けた本があったのも伏線よ。後でリースが届けに行くためのね」
いよいよ話が第一の事件に入ってきて、一同に緊張が漂い始める。アンジェラはコーヒーで喉を潤すと、小さく咳払いした。彼女にしても、緊張しているのだろう。
「ホークアイはもっともらしいことを言って、リースに本を持ってきてくれるように頼んだ。皆それを聞いてるわね。だから唐突に部屋が離れているはずのリースが現れても、なんの違和感も無い。あたしやシャルの部屋からも離れてるから、リースは安心して階段の陰かなんかでデュランかケヴィンが通るのを待てた。…そして通りかかったのが…」
「…おいら?」
「そうよ。で、ケヴィンが角を曲がったところで悲鳴を上げ、駆けつけたところで人を呼ぶように指示する。ケヴィンも慌ててるから、中の様子も見ずに皆を呼びに行った。そして皆が駆けつけるまでの間に、あんた達は現場をそれっぽく細工した。…まあ、ある程度はホークアイがあらかじめやっておいたんだろうけど? いかにも相手が居たようにワイン飲みさしで置いてみたり、グラスを床に転がしたり」
「…」
「で、現場を保存するといって皆を締め出し、鍵をかけてしまった。こうしてホークアイは私達の視界からは消えちゃった訳よ。…これがホークアイ殺人事件のあらまし」
「じゃあ、デュランの時は? あの部屋は鍵がかかってたんですよ?」
リースの反論に、アンジェラは得たりとばかりに笑みを浮かべた。
「あの部屋は密室ではないわ。ちゃんと抜け穴があったもの」
「抜け穴?」
「そうよ。これを見て」
デュランの部屋にあったという暗号を取り出す。全員の視線が紙片に落ちたところで、言った。
「最初の文字だけ拾っていって。なんて書いてある?」
「ええと…く、ろ、ぜ、つ、と、の、か、べ……クロゼットの、壁?!」
ケヴィンが目を見開いてアンジェラと、リースの顔を見比べる。
「さっき確かめてきたわ。あれって、ホークアイの部屋に通じてるのね。でも、そんな抜け道、知ってるのはリース位でしょう?」
「で、でもアンジェラしゃん、そしたら、シャルの見た、誰かしゃんは…?」
「誰かが、上の階の窓から光るボタンをつけたお面をぶら下げたのよ。これが、あんたの部屋の窓の下に落ちてたわ」
アンジェラはテーブルに置いていた白い円盤を、全員に見せるように掲げてみせた。
「デュランも、多分このお面にやられたんでしょうね。三階のベランダの手すりからこれを吊るして、デュランが窓に気を取られた隙に、クロゼットから現れたホークアイが飛び出す。リースはそれを素早く回収して、ホークアイが細工をしている間に、今度は同じ階のシャルロットの部屋にちょっかいをかけて、いかにも外に人がいたように装う」
「え? じゃあ、リースは…」
「そう、リースが自室に居たって言うのは嘘。本当は、三階に居たのよ」
「何故、そう分かるんです?」
リースの問いに、アンジェラは少し真顔に戻って言った。
「あんたは濡れた身体で階段を駆け下りてきた。じゃあ、当然階段に足跡なり水気なりが残るわよね? でも昨夜帰りに確かめたら、四階以上に行く階段は濡れていなかった。代わりに三階の廊下で水の落ちた跡を見つけたわ」
「…そうですか」
溜息をついてリースは、迂闊でしたね、と小さく笑んだ。
「昨夜から、もう私が犯人だって知ってたんですね」
「そうじゃないわ。ただ…聞こえるはずのないものを、聞いたって言ったからよ」
「聞こえるはずのないもの?」
訝しげに問い返す。ホークアイも不思議そうにアンジェラを見た。
「あの悲鳴よ。五階にいれば、聞こえなかったはずなのよ。…その前のホークアイの時よ。あたしはお風呂場にいたの。だけど、リースの悲鳴は聞こえなかった。あたしだけじゃない。真下に居たデュランにも、その声は届かなかった。なのにどうして、二階のデュランの声が五階のリースの部屋に届くの? それが聞こえたってことは…本当は直ぐ上、それも外に居たってことよ」
「なるほど、迂闊だったな」
ぴしゃん、と額を叩いてホークアイが笑う。しかし、シャルロットはそれどころではない、と言いたげに口を挟んだ。
「で、でも、じゃああの悲鳴は? デュランしゃんが叫んでからじゃ、ホークしゃん勝てないでちよ?!」
「あれはホークアイよ。皆を呼び寄せるためと、リースに準備完了を知らせる合図ね。…あいつはきっと、ホークアイの顔さえ見てないんじゃないの? で、リースはベランダから身を乗り出してたから、当然ずぶ濡れになるわよね。だから石鹸を塗りつけて、いかにも入浴中だったように見せかけたってワケ。…これがデュランの事件のあらましね。間違ってる?」
「いいえ」
リースがゆっくりと首を振る。ホークアイも「まあ、アンジェラってのは妥当な線だよな」と呟きつつ頷いた。
が。
「まあ、事件のトリックはこれでいいとして。動機は? なんで俺達がデュランを狙う?」
「それと、…これ、解けました?」
反撃とばかりに突きつけられた最後の暗号に、アンジェラが一瞬、うっと詰まる。
そう、ここが彼女の推理の泣き所。動機がつかめていないのだ。
しかし、不意に部屋に入ってきた人影とその声に、全員が固まった。
「…その質問には、俺が答えてやろう」
「デュ、デュラン?!」
赤銅色の髪が、西日を弾いて炎の色を宿している。力強く歩を刻む足元には濃い影が落ち、その両手には一抱えもある大きな宝箱があった。
「あ…!!」
宝箱を目にしたライザとリースが、同時に声を上げる。その表情から正体を察して、アンジェラやケヴィン、シャルロットも宝箱を見た。しかし何より一同が驚いたのは。
「デュラン、生き返ったのか?!」
「お、お前でも解けたのか?!」
ケヴィンの喜びの声と、ホークアイの呆然とした声がかぶさって、二人は一瞬顔を見合わせた。
「失礼な」
憮然と答えると、デュランはずんずん部屋の中央までやって来た。そして、その不機嫌そうな表情とは裏腹な慎重な手つきで宝箱をテーブルの上にそっと置く。
「これが答えだ。…だろう?」
リースを見て、にやりと笑う。訳の分からないアンジェラ・ケヴィン・シャルロットはただ三人の顔と宝箱を見比べるばかり。リースは困ったように宝箱とデュランの顔を交互に見ると、小さく溜息をついた。
「やっぱり、デュランが見つけてしまいましたね…。そんなに簡単でした?」
「事件の方のはてこずったけどな」
デュランが、何故か呪いの解けた後も頭に取り憑いているシェイドをちらりと見て、笑った。
「こっちの方なら得意分野だ。『七匹のこやぎ』を知ってりゃ、後は楽勝だもんな」
「ちょ、ちょっと」
『七匹のこやぎ』と聞いて、アンジェラが慌てて割り込んだ。それが最大の謎だったのだ。
「なんなのよ、その『七匹のこやぎ』って?!」
「おとぎ話だよ」
デュランの答えはあっさりしていた。
「聞いたことないか? 七匹のこやぎが母親の留守中に狼に食われちまうんだが、機転のきいた七匹目は、時計に隠れて助かるんだ。…そこの本棚に、童話集があるだろう。それにも載ってたぞ?」
「と…時計の、中…?」
全員が思わず時計を振り返る。デュランがやや上機嫌で続けた。
「そう、その時計の中。それって鏡の飾りがついてるだろ? だから一発で分かったよ。で、調べてみたら振り子の陰に鍵があってさ。後は『パンを焼く』ところ…つまり、厨房に行って、料理長に鍵を見せてみた訳。そしたら、それをくれたよ」
聞いてみれば、他愛のない謎解きだ。確かにおとぎ話を知っているなら、楽勝に違いない。
…知っていれば、の話だが。
「そんなの分かる訳ないじゃなーい!」
「そうでちよう! 難しすぎでち!!」
おとぎ話を知らない仲間達が抗議の声を上げたが、デュランは不思議そうに首を捻っている。ホークアイは呆れたように肩を竦めているし、ケヴィンはケヴィンで、デュランの頭上のシェイドが気になるようだった。
「…だから、ハンデだったんだろ? 今回のことは」
デュランが仕方なさそうに口を開く。
「この宝のありかの暗号、どこにあったと思う? クロゼットの抜け道の中だぜ。ひでぇと思わねぇ?」
「あー。あそこに結んであったの、それだったんだ」
デュランより一足先に抜け穴を確認していたアンジェラが、納得したように手を打った。
「…でも、結局見つけたのはデュラン、か」
ホークアイが溜息交じりに天井を見上げる。そして、デュランの方へと向き直った。
「で、お前はなんで俺が犯人だって分かったワケ?」
「まあ」
少し決まり悪そうな笑みを浮かべると、デュランはホークアイの肩を、ぽん、と叩いた。
「経済観念の勝利ってとこかな。あのワイングラス、絨毯に置いたのお前だろ?」
それだけで通じたのだろう。ホークアイが一瞬、うっと詰まった後、同じく決まり悪そうな笑みを浮かべた。顔を見合わせてへらへら笑い出した二人に、あまり金銭に囚われない仲間達が不思議そうな視線を送っている。
「? なによそれ?」
「グラス、どうした?」
「二人ともにやにやして、気持悪いでちね…」
「まあ、それはともかくですね」
気を変えるようにリースが口を挟み、全員がリースと、彼女の前の宝箱を見た。
「動機は、それだけじゃありませんよ。それも解けましたか?」
「まーな…」
デュランは小さく溜息をつくと、宝箱に鍵を差し入れた。かちり、と小さな音を立てて蓋が開く。
「動機その1。まずは、このチラシ」
宝箱の中から一枚の紙片を取り出すと、デュランは全員に見えるように掲げてみせた。
「『ミステリー・イン・ジャド〜熱帯夜殺人事件』…?」
アンジェラの呆然とした呟きに、やや憮然とした表情で頷くとデュランは内容をかいつまんで説明した。
「そっ。ちょっとしたイベント中に殺人事件が発生する。折りしもの嵐で、宿は孤立状態。犯人はここにいる誰か、そしてどういうトリックを使ったのか。客は宿の中を捜査して、得た手がかりから犯人を割り出していく…そういうイベントらしい。…つまり、こういうゲームだったのさ」
「ゲーム?!」
「あんた、これ知ってたの?」
アンジェラの問いに、今度は首を振る。彼だって、このチラシを見つけた時は卒倒しそうになったのだ。
「デュランには本当に申し訳ないんですけど、巻き込ませてもらいました。…でも、暗号って難しいですね。あんまり分かりやすくても分かりにくくても駄目だし…」
リースがちょっと困ったような笑みを浮かべて言った。その傍で、ホークアイもうんうんと頷いている。確かに仕掛けた側はそうかも知れないが、知らずに巻き込まれた方はたまったものではない。
まだ納得できていないアンジェラが、ややきつい声でリースに詰め寄った。
「それで、宝ってのはなんだったのよ? まさかそんな紙切れ一枚じゃないでしょうね?」
何か言おうとするデュランを遮ると、リースは自ら宝箱に手を入れて、あるものを取り出した。
「これが動機その2…というか、今回の本当の動機です」
それを見て、アンジェラが口を噤んだ。代わりにデュランを見るが、当の剣士は居心地悪そうに、もじもじと視線を宙にさ迷わせている。
デュランが宝箱を慎重に扱った理由。それがようやく判った。彼もそれを見て怒る気を殺がれたのだろう。
仕方なくアンジェラはもう一度、「その物体」に目を向けた。
それは、綺麗な生クリームでデコレーションされた大きなケーキだった。そして、その表面にはチョコレートで大きくこう書いてあったのである。
『素晴らしい出会いから一年。感謝と祝福をこめて』
「…一年…」
「憶えてないですか? 丁度一年前の今日、私達全員が揃ったんですよ…」
言われて、全員が顔を見合わせた。昨日のことのようで、随分昔のような気もする。
「一年、か…もう、そんなになるのか」
デュランが溜息をついて、傍らのケヴィンとシャルロットを見る。すると、二人も同時にデュランを見つめ返していた。
「まあ、色々あったよな」
「でも、ここまで来たのよね」
「一年、楽しかった、な」
「これからも、きっと楽しいでちよぅ」
「…何か、記念になるようなことをしたくて、無茶をしました。…ごめんなさい」
リースがそっと頭を下げる。それに慌てて手を振ると、再び仲間達は顔を見合わせた。
「ま、ちょっとネタ的にはきつかったけど、いいんじゃないの?」
アンジェラが言って、リースの肩をぽんと叩く。そして、ちょっぴり本気な目で続けた。
「もちろん、後日、お詫びとして美人の湯に招待してくれるのよね?」
「は、はい。もちろん」
アンジェラの目に何を見たか、リースが慌ててこくこくと頷いた。その笑顔は心持ち青ざめ、引きつっていたが。
王女達の密談を横目に、こちらでもにこやかなやりとりが始まっていた。
「一周年記念ってのはリース発案として、だ」
何故か未だにシェイドを頭に乗っけたまま、デュランがホークアイの肩に、ぽん、と手を置いた。
「この馬鹿騒ぎはお前の発案だな?!」
「ご名答ー」
どこから取り出したか、パフパフ、と妙な鳴り物を鳴らしてホークアイが笑った。
「いやあ、皆楽しんでもらえたかな? もうちょっと難易度上げてもイイ感じだよねー」
「…俺は?」
「一度本場の方に参加して、空気を感じるってのも考えたんだけどさーどうもスケジュールがね…」
「半日幽霊やってた俺の立場は?!」
半眼のデュランに爽やかに向き直ると、ホークアイは、ぽん、と彼の肩に手を置き返した。笑顔が非常に爽やかではあるが、頬を伝う汗が微妙に裏切っているあたり、まだまだ彼も修行不足といったところか。
「いやあ、デュランちゃんってば、サイコーの化けッぷり! 無事に生き返ったところで大団円ってとこだネ!」
「大団円? 違うな」
デュランがにっこりと笑ってみせる。笑顔は優しいが、その目はさっぱり笑ってない。
視界の端に、そそくさとケーキやテーブルを避難させるケヴィン達を捕らえて、ホークアイの発汗は最高潮に達した。
「とととところで、デュランちゃんはどうしてシェイドを頭にくっつけてるのかなー?」
「知りたいか?」
逃げようとするホークアイの肩をがっしと捕まえたまま、デュランは邪悪な笑みを浮かべた。
「シェーイドー…」
「うむ…」
呼びかけに答えて、闇の精霊が浮かび上がる。それと同時に、デュランの身体から闇のオーラが吹き上がった。
「これから始まるんだぜ。『ローラント城殺人事件』がな!」
「ちょ、ちょっと待てその構えはぁあ!?」
その日。
パロの住民は、ローラント城の方角に盛大に吹き上がる火柱を、見たとか見なかった、とか。
すっかり夕闇に包まれたローラント城の中庭で、シェイドは静かに漂っていた。雨上がりの心地よい風が木々を揺らしていくのを楽しむように、目を細める。
と、騒々しい声と共に、水と風の気配が近づいてきた。
「ああ、もお、くったくたやー」
「ダスー」
現れたのは、ウンディーネとジン。二人は昨晩から夕方まで、ずっと雨を降らしたり雷を鳴らしたりと大忙しだったのだ。二人を出迎えるようにすいと近寄ると、シェイドは低く笑った。
「うむ、どうやらお互い無事に役目を完遂できたようだな」
「そらもう。うちの雨の降らしっぷり、ちゃんと見てくれたかいな。そこらのアメフラシとは、一味違うんやで」
確かに水の精霊とアメフラシは違うと思うが。シェイドはあえて突っ込まないことにして、二人を仲間達のところへと誘った。
疲れ果てた、という割には、ウンディーネのお喋りは留まるところを知らない。言葉少なに相槌を打つシェイドやジンを相手に、ひたすら喋り続けていた。
「…そら、あんたはんとウィスプはんはええで。デュランはんに張り付いてても参加できたんやから。うちらなんて、ずーっと雨降らせて雷鳴らせてやんか、なあジンはん」
「ダスー」
思い切り雷を鳴らしたり風を吹かせたりできたので、それはそれで満足していたが、ジンは逆らわずに頷いておいた。実際の雷はともかく、ウンディーネの落とす雷の方が仲間内では恐れられていたからだ。
困った様子のジンを見かねたか、シェイドが少し笑みを含んだ声で言った。
「うむ、すまぬな。さぞ疲れたことだろう」
「それほどでもないけど」
さっき「くたくただ」と言っていたくせに、シェイドに謝られて焦ったか、ウンディーネは慌てて手を振った。
「ま、今度は、もちっと良い役回りにしてや」
「そうだな」
次があれば、だが。
仲間達の姿を捉えて、会話はそこで途切れた。彼らを見つけた月の精霊が、柔らかな笑みを湛えて出迎えてくれた。
「お疲れ様。大変だったでしょう」
「お土産話がぎょうさんあるで。後でゆっくり話したるわー」
「楽しみにしてるわ」
ルナのねぎらいですっかり機嫌の良くなったウンディーネが、ふと思い出したようにシェイドとウィスプを振り返る。
「なぁ? くっついてただけのウィスプはんはともかく、シェイドはんのかけた『呪い』な。あれ、夕方までに解けんかったらどうなってたのん?」
そうだそうだ、と他の精霊達もシェイドを見る。建物の一角を見つめていたシェイドは、ん?と振り返ると、低く笑った。
「なんのことはない。ある言葉で解けるようになっていた」
「キーワードかいな。そら用意周到やね」
感心したようにウンディーネが頷く。
「それって、なんて言葉っスか?」
ウィスプの問いに、シェイドは楽しそうに目を細めた。常にない様子に、仲間達が顔を見合わせる。そんな仲間達の様子にも気付かぬように、再び視線を建物へと向けながらシェイドは言った。
「…聞こえるだろう?」
つられて、その視線を追いつつ精霊達は耳を澄ませた。
さっきの大暴れが嘘のように、聖剣の勇者たる剣士が今回の仕掛け人の盗賊と肩を組み合い笑っている。そのシルエットが、グラスを持ち上げた。
『乾杯!!』
「…あれ、だ」
何回目か分からないその解呪の声にシェイドが小さく笑い、他の精霊達も陽気な笑い声を上げたのだった。
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