「黒幕は静かに笑う〜ローラント城殺人事件〜」(捜査編)





 「…外に?」
 ライザの不審げな声に、ケヴィンとシャルロットは大きく頷いた。疲れきった表情でソファに身を沈めていたアンジェラとリースも、興味をそそられたか身体を起こしている。
 ほんの一時間ほど前と同じように、一同は娯楽室で事情聴取を受けていた。先ほどと違うのは、一人減っていること。それは些細に見えたが、あまりにも大きな違いであった。
 どの顔にも疲労の色が一層濃く滲んでいる。常に拙い言動を補足してくれる保護者を失った年少コンビも、例外ではない。二人は先ほどから、少ない語彙力を総動員して必死にライザに説明を続けていたのだった。
 「窓の外から、こっちを見てたんでち。その後、デュランしゃんの悲鳴が聞こえたでちから、きっと犯人はそのオバケに違いありまちぇん!」
 「おいら、その時、廊下いた。誰もいなかった。デュランの部屋、行く時、同じ。誰も廊下、通ってない」
 「ケヴィンさんがシャルロットさんのお部屋にいる間に、通ったのかもしれませんよ?」
 ライザの言葉に、ケヴィンはゆっくり首を振った。
 「それ、ない。デュランの部屋行く、おいら達の部屋の前、必ず通る。通れば、匂い残る。でも、匂いしなかった」
 それに、と言いかけてケヴィンは口を噤んだ。
 仮に、デュランとケヴィン達の部屋を隔てるあの階段を犯人が通れたとしても、あそこには図らずもケヴィンの置いた花瓶がある。そこを通れば、当然薔薇の香りがついたはずなのだ。だが、三階にも一階にも、そんな匂いは残っていなかった。窓に開いた痕はあったが、それもわずかな水気であり、ずぶぬれの人間が出入りしたような痕跡はなかったのだ。
 しかも、部屋には鍵がかかっていた。そんな室内から犯人は、一体どこへ逃げていったのだろうか。

 いや───そもそも、犯人は「どこ」から現れた?

 「もう──休みましょう。いいでしょ?」
 重い溜息をついて立ち上がったのは、アンジェラだった。
 「とにかく横になりたいわ。お互い、部屋には厳重に鍵を掛けて寝ることね。…じゃあ、おやすみ」
 「アンジェラ」
 リースがためらいがちに呼び止める。何よ、と振り返るアンジェラに、少し迷った後、問い掛けた。
 「一人で大丈夫ですか?」
 「今の状況じゃあね」
 そんなことかと、アンジェラは苦笑しつつ肩を竦めた。
 「誰が犯人かも分からない、次は自分かも知れないって時に、一緒に寝られる? 一人で毛布被って震えてた方がマシ、よ。誰も疑いたくないの。…じゃね」
 最後の方の言葉を殆ど呟くように言って、彼女は娯楽室を出て行った。
 「…私達も、休みましょうか。二人とも、この階で平気?」
 何か物言いたげにアンジェラの背を見送っていたリースも、ゆっくり溜息をつくと立ち上がった。同じ階、階段を挟んで向こうの部屋に、今もデュランの身体が転がっているのだ。
 リースの気遣いに、一度顔を見合わせると金髪年少コンビは異口同音に答えた。
 「平気。おいら達、一緒、ここいる。さっき、そう決めた、から」
 「リースしゃんこそ、平気でちか?」
 かえって気遣われて、リースは小さく苦笑を浮かべた。
 「私なら、心配いりません。…では、もう行きますね。おやすみなさい」
 リースと、再び歩哨に立つライザが出て行った後、二人はそれぞれソファに丸くなると、部屋から持ち込んできた毛布にくるまった。おやすみ、と交わす声もそこそこに、ケヴィンが小さな寝息を立て始める。それを聞きながら、シャルロットは小さな声で呟いた。
 「…そんなはずはないんでち。だって…だってデュランしゃんは…」
 そして一度、扉に目をやると小さく、小さく溜息をついた。



 長い夜が明けて、四人は食堂で少し遅めの朝食を取っていた。会話の少ない、味気ない食事など、パーティを組むようになってから初めてのことである。今までも斥候や買い物の都合などで人数が減ることはあったが、今回は訳が違う。それが彼らの口を重くしていた。
 「お食事中、失礼します」
 控えめなライザの言葉に、全員が顔を上げた。ライザは手に紙の束を持っている。それを一人一人の席に配ると、最後にリースの後ろに控えた。
 「昨晩の皆さんの行動について、証言を元にまとめさせていただきました。違っているところがありましたら、ご訂正願います」
 そう言われて、紙片に目を落とす。確かにデュランやホークアイを含めた各人の行動が、時間と共に細かく記されていた。なるほど、これを見ればどの時間帯にどこにいて、何をしていたのか一目で見ることができる。
 「問題ないわ。覚えてる限り、皆のも合ってると思うけど」
 「同感です。これを全員分作るなんて、大変だったでしょう」
 リースにねぎらわれて、ライザは小さく首を振った。
 「いえ、大したことは…。それより、こちらもご覧いただけますか? 昨晩、デュランさんの部屋で発見されたものです」
 「デュランの?」
 訝しげに問い返しながら、リースは差し出された紙束を受け取った。律儀な彼女らしく、こちらも全員分写し取ってきたらしい。全員の手に、奇妙な書付けが回された。
 「なにかしら? なんかの詩みたいだけど…」
 「え? なになに? なんて書いてあるでちか?」
 文字の読めないシャルロットが、じれったそうに声を上げる。その様子に「あ、そうか」と顔を見合わせると、代表してアンジェラが声に出して読んでやった。
 「いい? 読むわよ。

  『 雲流れ行く
    六月の空
    ゼフィルスの羽が
    連れてくる夏
    遠く歌声
    野に流れ行く
    可憐に揺れる
    紅色の花   』
 
 …なんのことか、サッパリだわ」
 アンジェラの言葉に、リースはライザを振り返った。
 「これ、部屋のどこにあったんですか?」
 「テーブルの上です。何か、お心当たりのある方はいませんか?」
 そう言われても、と顔を見合わせる。デュランがたまに読んでいる本は、大抵が戦記ものなどで、物語であることが多い。詩集を読んでいるところなど見たことがないし、以前にそういうのは苦手だと言っていたような気もする。とてもじゃないが、彼のものとは思えない。だとしたら、誰が置いたものなのか。
 全員の表情を見て、ライザは困ったように「実は」と続けた。
 「実は───見つかったのは、これだけではないのです。後、二つあります」
 「え?」
 「一つは──申し訳ありません。不覚をとりました。今朝、ホークアイさんの部屋の扉にこんな貼り紙が…」
 それも全員分写し取ってきたらしい。随分と律儀と言うか、手回しの良いことである。
 「…同じヤツの仕業とみて、よさそうね」
 三枚目の紙を手に、アンジェラが呆れたように溜息をつく。そしてシャルロットが何か言うより早く、内容を読み上げた。
 「えっと、いい?

  『 もしも明日が晴れならば
    沼でヌシ釣り
    ケンカ友達と
    野原の道をゆこう
    軽やかに
    ラム酒かついで 』

 …さらにワケ分かんないわね…」
 「…もう一つというのは?」
 困惑の表情を浮かべたリースが、ライザに先を促す。ライザの表情が、一層曇ったように見えた。
 「ライザ?」
 「これは、出所は分かっているのですが…何故、彼がこれを持っていたのかが分かりません。…どうぞ」
 差し出された紙片には、やはり奇妙な詩が書き付けてある。紙片が全員の手に渡ったのを見届けると、今度はリースが読み上げた。
 「
  『 私が笑えば あなたも笑う
    貴方が怒れば 私も怒る
    私は右手 貴方は左手
    七匹目のこやぎは パンを焼く 』

 …これは?」
 「…」
 言い淀むライザを促すように、全員が彼女の顔を見つめた。ライザは、この暗号だけは出所が分かっている、と言った。それを辿れば、犯人が分かるのではないか。
 やがて、ライザはゆっくりと息をつくと、全員の顔を見回しながら低く言った。
 「今日の宝探しに使うはずだった、ヒントの暗号なんです。…デュランさんの、左手に握りこまれてました。恐らく、彼を襲撃した犯人が後で握らせたと思われるのですが…」
 「宝探しの…ヒント?」
 「何故そんなものが…。ライザ、貴方の書いたものなの?」
 「いいえ」
 リースの言葉に、ライザは首を振った。
 「原文は、未だ私の部屋にあります。デュランさんの握っていた紙は、筆跡を掴ませないためでしょう。妙に四角張った、印刷みたいに形の揃った文字で書いてありました」
 「宝は、まだそこにある?」
 アンジェラが軽く指で唇をなぞりながら問い掛ける。何か考え事をしているらしい。ライザはゆっくりと頷いた。
 「その紙を発見してから、確認しましたが…元通り、ちゃんとありました」
 「そう、…もしかしたら、まだそいつも見つけてないのかも。それとも、その宝自体に、何か特別な意味があるのか…」
 最後の方は口の中で呟いて、アンジェラはリースを見た。
 「ねえ、この際だから宝探しもやってみない? もしかしたら、何か手がかりが見つかるかも」
 「そうですね」
 答えて、リースは残る二人に目を向けた。ケヴィンとシャルロットもリースとアンジェラの顔を見返すと、こっくりと頷いた。
 「暗号解く、犯人分かる? おいら、やる!」
 「そういうズノー労働は、シャルにどーんと任せるでち!」
 「決まり、ですね」
 少し満足そうに頷くと、リースはカップに残った香草茶を飲み干した。
 こうして、にわか探偵(しかも犯人含む)による捜査が開始されることになったのである。



 そんな仲間達の決意など、知る由もなく。彼は少し長い夢から目覚めつつあった。
 (…まだ、降ってるんだな…)
 窓を叩く風の音や雨だれの音に、そんなことを考える。ふかふかした枕の感触が心地よいが、いつベッドに入ったのかは憶えていなかった。
 (今、何時だろう。そろそろ、起きて…)
 ぼんやりと考えて、唐突に思い出した。昨晩起きた、衝撃的な事件。その光景を。
 「!」
 思わず、かっと目を見開く。そのすぐ目の前に、巨大な黄金の瞳があった。
 「☆□◎〜ッ!?」

 どがどたばたーーーん!!

 「随分と元気の良い起床であるな、デュラン」
 「………シェイド〜…」
 勢い良くひっくり返ってベッドから転げ落ちた体勢のまま、デュランは恨めしげな視線を枕もとの主に送った。
 「しかし、少々騒々しい。早朝ではないにしても、もう少し静かに起きたらどうか?」
 それに、痛いだろう──そう諭されて、デュランはがばっと跳ね起きた。
 「あんたに驚いたんだよ! 目ェ開けた時に超どアップ食らったら、誰だってびびるだろうが!!」
 「おお、それはすまぬな。では、今度からもう少し遠くから起こすことにしよう」
 「…」
 さらりと流されて、デュランは頭を抱え込んだ。大体何故、滅多に接触のない精霊──しかも、マイペース度ではぶっちぎりナンバーワンの”彼”──に起こされなくてはならないのか。
 「…昨日今日と、俺って厄日?」
 思わず呟いて、ベッドに腰掛ける。それを見て、ふよふよと漂うように闇の精霊が寄ってきた。
 「大体、なんであんたが俺を起こしに出てくるんだ? 何かあったのか?」
 何か、といえば昨晩既に起きているのだが、それに関係するとも思えない。が、シェイドの答えはあっさりしていた。
 「うむ。少々お前に説明せねばならんことがあってな」
 「説明? 何を?」
 「お前に降りかかった災難の件だ。…昨晩のことを憶えているか?」
 言われて、デュランはゆっくりと腕を組んだ。シェイドがデュラン自身の記憶を辿るように、低く言葉を続けた。
 「ホークアイの事件、それは全体の災難だ。…思い出せぬか? その後のことを?」
 「その後…」
 少し考えて、彼はようやく思い出した。
 「そうだ、誰かが窓を叩いてた。それで、カーテンを開けたら…」
 闇の中、ぼんやりと浮かんだ白い顔。妙にのっぺりとしたその顔は、仮面のようにも見えた。それに驚いて、窓を開け───その瞬間。
 「なんか、急に気が遠くなって…?」
 そこまで聞いて、シェイドは、うむ、と頷いた。
 「今、お前は死んだことになっている」
 「はぁ?!」
 「まあ、論より証拠。実際に体験した方が早かろう。部屋の外へ出てみるのだな」
 言うなり、シェイドはデュランの頭にふわりと取り付いた。重さは殆ど感じないが、何かが乗ったことは分かる。
 「さあ、出た出た。他の者達は既に動き回っておるのだぞ」
 せかされて、デュランは不承不承立ち上がった。丁度、廊下の向こうをケヴィンとシャルロットが歩いているのが見える。扉の開閉に気付いたか、向こうもこちらに視線を向けた。
 が、様子がおかしい。二人はたちまち真っ青になって震えだしてしまったのだ。
 「デュ…デュラン、しゃん…?」
 口をぱくぱくと、二三度動かした後、ようやくシャルロットが言葉を押し出した。そんな二人に歩み寄りつつ、デュランは声をかけた。
 「なんだよ、どうした?」
 「ひょえぇええ!! デュランしゃん、迷わずジョーブツしてくんしゃーーーい!!!」
 「デュ、デュラン、かか、仇、きっと討つ、から、ユーレイ、駄目!!」
 口々にそう叫んで、元来た道を走って逃げていく。
 「! おい? 成仏って、俺は…」
 「ターンアンデッドー!!」
 いきなり白い光に包まれて面食らっているうちに、二人は階段を駆け下りていってしまった。
 「俺は生きてるぞーって…人の話聞けよ!!」
 「さもありなん」
 頭上から降ってきた声に思わず声の主を振り仰ぐ。が、頭に張り付いているので姿は見えない。端から見たら相当妙な光景に違いないのだが、本人(?)はお構いなしに続けた。
 「ちなみに、プライバシー保護のため音声は変えてあるのだ」
 「誰のプライバシーだよ誰のッ!?」
 思わず叫ぶデュランだったが、唐突に気が付いた。シェイドが小さく、うむ、と頷く。

 視線の先には、一枚の鏡。映っているのは、自分の姿。
 まるで幽霊のように、半透明に透けた体の───。

 「…俺は、死んじまった、のか?」
 鏡を凝視したまま、デュランは低く呟いた。シェイドが、するりと肩へ滑り落ちてくる。
 「死んだわけではない。呪いをかけられたのだ」
 「…呪い? あの、幽霊船の時のような?」
 「近いが、少々違う。動き回ることもできるし、触れることもできる。他人に触れても、呪いを移すこともない。ただ姿は半透明となり、他人と言葉を交わすことはできぬ。…昨晩、お前は呪いを受けて仮死状態になったのだ。それを見て、彼らはお前が死んだと思ったであろう。今のお前は幽霊のような存在だ。彼らの中の認識も、お前自身の状態も…な」
 「…」
 少しの間、デュランはシェイドの黄金に輝く瞳を見つめた。ようやく彼にも、闇の精霊が出てきた理由が理解できたのである。
 「どうすれば解ける?」
 「ふむ」
 シェイドは一度窓の外に目を向けると、漆黒の闇を孕む翼を竦めた。
 「…今、お前の仲間達は、犯人を見つけようと謎に挑んでいる。夕刻までにその謎が解けたなら、その身の呪いも解けるだろう」
 「…もし、それまでに解けなかったら?」
 「…」
 ふわり、とシェイドが宙に漂い出る。それを視線で追いながら、デュランは促すようにその名を呼んだ。
 「シェイド?」
 シェイドは焦らすように一瞬ちろりとデュランを見やると、あさっての方を向きつつ妙に明るい声で言った。
 「ま、それはそれとして、だな」
 「シェイドォォオ!!」
 思わず泣き叫ぶデュランに、さも可笑しそうな精霊の声が舞い降りる。
 「そんなに心配ならば、お前自身が謎を解いてはどうだ?」
 「…俺が?」
 うむ、と頷くとシェイドは再びデュランの頭に乗っかった。
 「そのための知識は、彼らと同じだけ手に入る。後は、お前次第だ。他人任せより、お前の性に合うであろう?」
 確かに、自分自身で努力して駄目だったなら、諦めもつくというものだ。覚悟の決まったらしいことを見て取ったか、シェイドは「では行こう」と彼を促した。
 「どこへ?」
 「こういう時は、まず最初から見ていくのが良い。そうではないか?」
 「…」
 何故、闇の精霊がこうまで協力してくれるのかは分からない。だが、そんなことよりも───
 「…シェイド」
 「うむ」
 「恐らくあんたは全部知ってるんだろうが…一つ、聞いていいか?」
 ふるふると震えだした剣士の肩を、シェイドはじっと見下ろしている。無言を肯定と受け取って、デュランはついに、先ほどからずっと気になっていた疑問を精霊にぶつけたのだった。
 「あんたは何で、さっきから俺の頭に乗ってるんだ?」
 ふむ、と精霊が息を吐く。そして少し意外そうに尋ね返した。
 「重いか? 我に重さはないから、そんなことはない筈だが」
 「いや、…そうじゃなくて。なんでさっきから、ぺとぺとくっついてくるのかなってことなんだけど」
 「我が離れては、呪いが崩れてしまうのだが…。離れても良いのか?」
 どうやら、呪いの魔力を維持しているのはシェイド自身であるらしい。しかしそれは、ある程度予測していたことだ。
 それよりも呪いが崩れる、と聞いて、デュランは思わず大きく頷いていた。
 「崩れるって、丁度いいじゃねぇか。なんか都合が悪いことでも?」
 「うむ」
 シェイドはゆるゆるとデュランの頭から離陸すると、彼の目の前をわざとゆっくり横切ってみせた。
 「呪いが崩れると、お前も一緒に崩れるのだが。…まあ、本人のたっての希望とあっては、仕方があるまい。いや惜しい人材を亡くしたものだ」
 「ちょっと待てシェイドー!!」
 そのままひょろひょろと飛んで行こうとするシェイドの尻尾をがっしと掴んで(といっても、精霊を取り巻く闇の力場を捉えただけのことなのだが)、慌てて手繰り寄せる。
 「呪いだけでなく、俺自身まであんたに依存してんのか?!」
 「まあ、そうとも言う」
 尻尾を掴まれているせいか。シェイドはやや憮然とした様子で頷くと、「どうする?」とデュランを見た。
 「…そういうことなら仕方がない。ってーか、頼む。傍にいてくれ」
 「うむ。承知した」
 デュランが観念したようにシェイドを小脇に抱え込む。それをするりと躱すと、シェイドは再び彼の頭の上に取り付いた。
 「…だから、なんで頭に乗るんだ。肩とか色々あるだろうが」
 「うむ、なかなかに良い寝心地であってな」
 「鳥か、あんたは」
 これが夕方まで───いや、もしかしたら一生続くのか。鳥の巣よろしく、頭を精霊の寝床にされていることに、デュランは人生の悲哀を噛み締めずにはいられなかった。





 (うごうごと喚く半透明の)剣士の姿が階段を下っていくのを扉の物陰から見送りながら、アンジェラは溜息をついた。
 「なにやってんだか…」
 呆れ半分、安心半分の呟きを洩らし、するりと廊下に滑り出た。そして周囲に気を配りつつ、デュランの部屋の方へと歩き出す。少し濡れてしまった髪や肩を、ハンカチで拭いながら足早に進むその姿は、明らかに人目を憚っているようだ。
 それもそのはず。今彼女の出てきた部屋は、当然彼女にあてがわれた部屋ではない。そこはシャルロットの部屋であった。
 一人きりで一体何を探しているのか。シャルロットの部屋で何か見つけでもしたのか、その深緑の瞳は面白そうに輝いていた。
 「さて、丁度鍵も開いたことだし」
 デュランの部屋の扉に手をかけ、アンジェラは嫣然と微笑んだ。
 「確かめさせてもらうわよ、デュラン」
 そして、先ほど廊下に出てきた時と同様に、するりと猫のようなしなやかさで部屋の中へと滑り込んでいったのだった。なんとなく憂鬱げな、呟きを廊下に残して。
 「そんなはずはないの。あるわけがない。…だって、あたしには聞こえなかったんだから」


  『 もしも明日が晴れならば
    沼でヌシ釣り
    ケンカ友達と
    野原の道をゆこう
    軽やかに
    ラム酒かついで 』


 「うあ、なんだこりゃ?」
 ホークアイの部屋の前で、デュランは思わず顔をしかめていた。
 扉はきっちり鍵がかかっているし、おまけに妙な貼り紙までされている。
 「…ローラントの風習…な、訳ないよな…」
 やや自信なげに呟いて、無駄とは知りつつ頭上のシェイドを振り仰ぐ。
 「これは、判じ物ではないのか?」
 ややあって、身を乗り出すように貼り紙に見入っていたシェイドが言った。
 「判じ物…って暗号、だよな? じゃあ、これは犯人が?」
 「他に心当たりがあるか? ちなみに、お前の部屋にも似たようなものがあったと記憶している」
 「え!?」
 衝撃発言に、デュランは慌ててシェイドを見上げる。幸い、闇の精霊は間一髪で宙に浮かび上がったので、振り落とされずにすんだが。
 いささかシェイドが憮然としているようだが、デュランにそれを気遣う余裕はない。
 「俺の部屋って、どこに?」
 咳き込むように尋ねる剣士に、うむ、と律儀に一つ頷くと、闇の精霊はその黄金の瞳を瞬かせた。
 「テーブルの上だ。お前の私物かと思ったのだが、配列がこれに似ている」
 「うーん…」
 犯人が置いていったものならば、それを解くことで謎に近づくことができるのではないか。
 デュランは腕組みをすると、僅かな間考え込んだ。
 「何か書くもの持って来ねぇと、駄目か…。仕方ないな、出直そう」
 そして、はーあと大きく溜息をついた。いい加減腹も減ってきているのだが、果たして自分は食事にありつけるのだろうか、という危惧も込めて。



  『 私が笑えば あなたも笑う
    貴方が怒れば 私も怒る
    私は右手 貴方は左手
    七匹目のこやぎは パンを焼く 』

 一方、シャルロットとケヴィンは食堂で宝探しに取り組んでいた。
 二人の前にはココアの入ったカップと、宝のありかを示すという暗号がある。なぞなぞのようなこの暗号は、さすがにアマゾネス達が考えただけあって、他の二つに比べれば少々とっつきやすい。
 「いいでちか、やってみるでちよ?」
 シャルロットの言葉に、順番を反芻していたケヴィンが慌てて頷いた。
 「まず、シャルが笑うとー」
 そう言ってにっこり笑う。ケヴィンもぎこちなく笑みを浮かべた。
 「ケヴィンしゃんも笑うでち? で、」
 「おいら、怒る…」
 照れが入るのか、ケヴィンがやはりぎこちなく、しかし一生懸命口をへの字に曲げてみせる。と、こちらは結構ノリが良いのかシャルロットが大げさに怒った顔を作ってみせた。
 「シャルも怒るんでち。さて、ここが問題でち。シャルが右手を上げたとき、ケヴィンしゃんは?」
 「…左手…。…あ!」
 向かい合わせの動きに、ケヴィンが声を上げる。シャルロットにも分かったのか、素早く椅子から飛び降りてケヴィンを振り返った。
 「そうでち、きっと、カガミに違いないでち! お城中のカガミを探すでちよ!!」
 言うなり、打ち出されたように勢いよく走っていく少女の後を追いながら、ケヴィンは釈然としない表情で呟いた。
 「…でも、七匹目のこやぎって…何だろ?」
 その時、丁度階段の方から歩いてきたアンジェラとすれ違った。何故か雨に濡れた様子に振り返ると、彼女は何か白い円盤を手に満足げな笑みを浮かべていた。



 「おお!」
 部屋に戻るなり、デュランは感嘆の声を上げていた。誰が置いたのか、テーブルの上にはサンドイッチとチキンのバスケットが鎮座していたのだ。ちゃんと香草茶のポットとカップも添えられているあたり、気が利いている。
 喜び勇んでバスケットを抱え上げると、デュランはその下に置かれていた紙片に目を落とした。シェイドの言葉通り、謎の詩が書き付けられている。
 しばらく佇んだままそれに見入っていた彼であるが、テーブルにバスケットを戻すとお茶の準備を始めた。
 「何はともあれ、飯だ飯。腹が減っては戦はできぬ、ってね」
 部屋に備え付けられた暖炉の中にランプを置くと、その上にポットを乗せてお茶を温める。その間に自分の荷物からもう一つカップを取り出す。やがて充分温まったところで、二つのカップにお茶を注いだ。
 「ほい、シェイド」
 「うむ、すまぬな」
 ふわり、と差し出された来客用カップの縁に留まると、シェイドは心地よさげに黄金の瞳を瞬かせた。
 「なかなか良い茶葉を使っているな。香りが良い」
 「そりゃまー、王族のご用達なんだろうから。…でもよ」
 食べる手を止めて、デュランがバスケットとポットを見比べた。
 「こうやって差し入れてくれるってことはさ、俺が死んでないって知ってるってことなんだよな…」
 「うむ。そういうことになるな。…おや?」
 何気なくバスケットの中を覗き込んだシェイドが、不審げな声を上げた。つられてデュランも中を覗き込む。
 「底の方に、なにやら書きつけのようなものが見えるが…」
 「どれどれ…?」
 見れば、油紙のその下に、確かに何枚かの紙片が覗いている。指先で引っ張り出すと、折り目を開く。
 「…こりゃ、昨夜の皆の行動表じゃねぇか。俺の時のもあるぞ」
 それは朝食時に他の仲間達に配られた物なのだが、当然デュランはそのことを知らない。その中の一枚、宝のありかを示す暗号が抜けている、ということも。
 「…そういえばさ、俺、ちょっと引っかかってることがあるんだ」
 デュランの言葉に、シェイドが不思議そうに彼を見上げた。
 「引っかかっていること?」
 うん、と頷いて苦笑する。
 「まあ、俺にも何が引っかかってるのか分かんねぇんだけど、さ。…さて、飯も食ったし。出かけるか」
 「うむ。残された時間は限られている」
 荷物から雑記帳をペンを取り出すデュランの肩に、ふわりとシェイドが乗り移った。念のために今まで入手した紙片をまとめてポケットにつっこむと、デュランは部屋を後にした。
 謎は山積みなのだが、シェイドの言う通り、時間は限られている。今はとにかく情報を集めることだった。

 廊下に出たところで、ケヴィンとシャルロットに再び出くわした。二人は鏡の前で、ああでもないこうでもないとやっていて、デュランには気付いていない。気付かれてまた騒がれても気分が悪いので、そのまま通り過ぎることにした。
 「…なあ、シェイド」
 「うむ?」
 階段を下り始めてから、デュランはようやく口を開いた。
 「ホークアイは、生きてるよな?」
 「…」
 「だって、俺が生きてんだぜ? あいつも、あの時本当は仮死状態で…今、俺と同じことになってるんじゃないか?」
 「だとすれば」
 シェイドがするりと宙に滑り出す。
 「呪いの維持をやっているのは誰であろうな?」
 なんとなくその声には笑みが含まれている。デュランは少し困ったようにシェイドを見上げると、首を捻った。
 「あんた…なワケないよな。くっついてなきゃ呪いが崩れちまうんだから。第一、俺がこれだけふらふらしてるってのに、俺達は一度もあいつを見てないんだ。死んだって、速攻で化けて出てきそうなヤツが?」
 ぶつぶつと呟きつつ階段を下りていく剣士を、せかしもせずシェイドは宙を漂いながら追っていく。
 やがて踊場に差し掛かって、デュランは足を止めた。
 「じゃあ、こういうのはどうかな? 俺にあんたがとっついて半透明っていうなら、あいつにはウィスプがとっついてて完全に透明になっちまってる、とか」

 ご名答。

 「?!」
 何か聞こえたような気がして、デュランは慌てて周囲を見回した。が、彼ら以外に通行人は見えない。思わずシェイドを見ると、闇の精霊はそ知らぬ顔で彼の頭に乗ってきた。
 「シェイド…あんた、今何か言ったか?」
 「いや? …どうかしたか?」
 「…」
 空耳だろうか。
 少しの間そこに佇んで気配を探っていたが、やがて諦めてデュランは溜息をついた。
 「…絶対に謎を解いてやる」


  『 雲流れ行く    
    六月の空
    ゼフィルスの羽が
    連れてくる夏
    遠く歌声
    野に流れ行く
    可憐に揺れる
    紅色の花   』


 「紅色の花…か…」
 自室のベッドに寝転がりながら、デュランは暗号詩を呟いた。傍では闇の精霊が、ホークアイの部屋から写し取ってきた暗号に見入っている。
 「こういうのって、苦手なんだよなあ…。第一、ゼフィルスってなんだよ?」
 「蝶の名だ。…だがこの際、言葉に意味を捉えるのは、無意味というものだろう」
 シェイドの言葉に、デュランが身体を起こした。シェイドは未だ紙片に視線を落としたままだ。
 「解けたのか? シェイド」
 「造作もないこと」
 ちらりと笑むと、シェイドはデュランを振り返った。
 「法則性はどちらも同じだ。単語に意味を求めるな。必要なのは音であって、そのものではない」
 「…音?」
 助言に従って、しげしげと紙片を見つめる。しかしやはり単語が気になってうまく読み取れない。仕方なく雑記帳を引き寄せると、一音ずつ書き直してみた。
 「ええと…どれどれ?

  『  くもながれゆく
    ろくがつのそら
    ぜふぃるすのはねが
    つれてくるなつ
    とおくうたごえ
    のにながれゆく
    かれんにゆれる
    べにいろのはな 』

 …まてよ?」
 もう一度読み返す。さらに、もう一回。
 やがてその肩がぶるぶる震えだしたのを、シェイドは興味深げに眺めていた。と、ひょいとその赤銅色の頭に取り付く。デュランはそれどころではないのか、紙面を見つめたままだ。
 「まさか…!」
 がばっと立ち上がり、手を伸ばす。昨夜開けては見たものの、仕掛けにはまったく気付かなかった。
 頭をつっこんで、さんざんがさがさやった後、デュランは獣のような唸り声を上げた。
 「畜生、してやられた───!!」
 二重壁になっている狭い空間に垂れた、細いはしご。
 これが、犯人の侵入ルートであったのだ。
 「窓に気を取られてる間に、ここから出て来やがったのか!」
 はしごをよじ登り、行き着く先を確かめる。戻ってきたその顔は、普段に輪をかけて不機嫌そうだった。
 「だとしたら…動機は、なんだ?」
 呟いて、右手を見る。はしごの途中に結び付けてあったものだ。破らないように注意深く折り目を開くと、デュランは深い溜息を洩らした。
 「またかよ…どうなってやがんだ」
 そこには第三の、──彼自身は知らないことだが──宝のありかを示す暗号が書かれていたのである。


   『 私が笑えば あなたも笑う
    貴方が怒れば 私も怒る
    私は右手 貴方は左手
    七匹目のこやぎは パンを焼く 』


 「はひ〜…カガミって、いっぱいあるでちね…」
 「うん…」
 とぼとぼと階段を下りつつ、ケヴィンとシャルロットは溜息をついていた。勢い込んで駆け回ったものの、やはり残りの暗号が解けなければ無理らしい。
 「と、とにかくいったん退却でち。シャル、のどがカラカラでちよー」
 「おいら…腹へった…」
 「もうじきお昼でち。それまでのガマンでちよう」
 そういうシャルロットも、小腹が空いてきている。二人は顔を見合わせると、食堂に向かって歩き出した。



 三枚の暗号を前に、デュランは腕を組んでじっと目を閉じていた。
 今、その一枚の暗号に従って、自分を襲った犯人の侵入経路を掴むことができた。だが、それでいくと犯人はこの抜け道を知っていたということになる。
 「アンジェラやケヴィン達が知ってるはずがない。…知ってるのは、一人だけだ」
 しかし。
 釈然としない気持のまま、デュランは全員の行動を記した紙片を手に取った。
 「俺に呪いをかけた理由は何だ? それに」
 何かがひっかかる。
 考え込みながら、カップに手を伸ばす。別のことに気を取られていたのがまずかったのか、指先は僅かにカップを逸れ、大きく揺れたカップからお茶が床に飛んだ。
 「あ、いけね!」
 言うなり、デュランが慌ててタオルで絨毯を叩き始めたのを見て、シェイドが呆れたような声を上げた。
 「何を慌てているのだ? そのくらいのシミなら、大したことになるまいに」
 「いや、そう言うけどシェイド」
 自分の慌てぶりが恥ずかしくなったか、デュランは少し赤くなると、しょうがないだろ、と口を尖らせた。
 「この手の絨毯って高いんだぜ。もし弁償なんてことになったら、俺の給料一生分でも買えないんだか…ら…」
 「? デュラン?」
 急に黙ってしまったデュランに、不思議そうにシェイドが呼びかける。しかしデュランは絨毯のシミを見つめたまま固まっていた。
 「そうだよ…なんで気付かなかったんだ」
 「?」
 呟く声に、訝しげな視線を送る。それに気付いたか、剣士は照れくさそうに笑った。
 「あの時、引っかかってた理由が分かったんだ。…絨毯だよ。ワイングラスが転がってたのに、絨毯にはワインのこぼれた跡がなかった。まるで、そこに置いたみたいに、さ」
 「…」
 「だけど、ようやく合点がいったぜ。…そうとも、ワインがこぼれるワケがないのさ。シミを気にするヤツがやったんだからな!」
 一人で納得してげらげら笑い出したデュランを、やや気味悪げに見つめて、シェイドは溜息をついた。
 「どうやら、犯人は分かったようだな。だが、動機は? それが解けねば、呪いも解けぬぞ」
 「それは、こいつが教えてくれるさ」
 三枚目の暗号を取り上げると、デュランはニヤリと笑った。
 「行こうぜ、シェイド。七匹目のこやぎに会いに、さ」





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