「デュランしゃんデュランしゃん、おきてくだちゃい」
ぺしぺしぺし。
声と一緒に降ってきた小さな手に肩を叩かれて、デュランは渋々目を開いた。
目の前には案の定、法衣姿の少女がうずくまっている。胸にしっかりと抱え込んでいるのは、雑記帳だろうか。字の練習にと買ってやったのは随分前の話だが、彼女がそれを使っているのを見たことはほとんどなかった。
「こんなところでおひるねしたら、カゼをひきまちよ」
「んー…」
背もたれにしていた大木から身を起こす。街道沿いの小さな広場で、昼食後の小休止をとっていた。いつの間にうとうとしてしまったのか、記憶がない。見れば、自分のマントの他にもう一枚羽織らされている。どうやらもう一人の仲間は、彼を起こすより上着をかけることを選んだらしい。
毛布代わりに身体に巻きつけていたマントを押しのけながら、デュランは大きなあくびをした。
「悪ぃ。どんくらい寝てた?」
「30分くらいでち。それよりデュランしゃん、ちょっと教えてくだしゃい」
何を、と問う前に、雑記帳が突き出される。開いてあるページには、落書きのような乱雑さで文字らしきものが散らばっていた。しげしげとそれを眺めた後、小さくため息をつく。
「…"E"」
「え?」
「ここ、"O"じゃなくて、"E"だぞ」
一番手前の───それは彼女の名前なのだが───単語を指差す。
「そ、そーでちたか?シャルとしたことが、あははははやだなあ」
慌ててぐりぐりと書き直す少女はひとまず置いておいて、自分にマントを提供した少年はどこかと広場を見回した。
「シャル、ケヴィンは?」
視界に入ってこないことに不安を覚えて、未だに文字と格闘している少女に尋ねてみた。水色の大きな瞳がひょいと上がってデュランを映した後、少し笑う。
同時に、彼の頭上から聞き慣れた声が降ってきた。
「呼んだか?デュラン」
慌てて見上げると、彼の背にした大木から伸びる大枝から足がぷらぷらしているのが見える。
それがすっと引っ込んだかと思うと、向こう側に着地したのか、とん、という軽い音が響いた。
「マント、ありがとな。寒かったろうに」
「平気だよう」
傍に寄ってきたところを捕まえてマントを羽織らせる。ケヴィンはちょっと嫌がった素振りを見せつつも、デュランの顔を見てにっこりと笑った。
「デュランしゃん、これでいいでちか?」
新しいページに自分の名前を綴り直して、シャルロットがおずおずと雑記帳を差し出してくる。それを覗き込んで、デュランはにっこり笑った。
「うん、合ってる合ってる」
ほっとしたように息をついて、シャルロットは、じゃあ、と本題に入った。
「デュランしゃんとケヴィンしゃんってどう書くでちか?」
「あ?」
「おいら?」
呼ばれて興味を覚えたか、ケヴィンがデュランの脇から雑記帳を覗き込む。
携帯用のペンを渡されて、デュランは訝しく思いつつも、できるだけ分かりやすいように自分とケヴィンの名前を書きこんだ。
「これでいいか?」
「えっとね、クリスマスってどう書くでち?」
二つの名前の下に、同じように書き込む。書き終えるとすかさず、次の単語を指示される。
そんなことが数回続いた。
(これは…さりげなく要求されているんだろうか…)
雑記帳のページは、自分たちの名前以外はクリスマス関連の単語で埋め尽くされている。確かに後数日でクリスマスである。遠回しに何かを要求されているような気がしないでもないが、常に直球勝負の少女の性格を考えると違う気もする。
真意が掴めずにシャルロットの顔を見上げると、彼女はせっせと自分の手で綴り直すことに余念がなく、彼の視線には気付いていないようだった。ケヴィンも一緒になって掌の上に綴ってみては、シャルロットに何かアドバイスしている(彼は文字が書けるのだ)。
(まあ、なんにしても字を学ぼうっていう姿勢はいいことだしな)
小休止が、思わぬところでお勉強タイムとなってしまった。出発予定の時間にはまだ少し間があることを確かめて、デュランも懐からメモを取り出した。
「?デュラン、それ、なに?」
目ざとく見つけたケヴィンが、彼の手元を覗き込む。
「呪文のアンチョコ」
短く答えて、デュランはため息をついた。
「いい加減、使えるようになっておきたいからな…状態回復呪文」
「まだ使えないでちか?」
ざくっと刺さる言い方でシャルロットが顔を上げる。なにやら嬉しそうな様子に、デュランは口を尖らせた。
「呪文が憶えられねーんだよ。お前よくこんなの唱えられるな」
字が読めないくせに、シャルロットは平気で高度な回復呪文を学び取り、操ることができる。常々不思議に思っていたのだが、彼女に言わせると呪文は文字で覚えるものではないらしい。
「だからー、それはオトメの愛でカバーなんでちよう」
「俺はオトメじゃないっつーの。愛ったってなあ…そんな漠然としたこと言われても」
左手でぐしゃぐしゃと髪をかき混ぜると、デュランは深くため息をついた。
「…俺、頭カタイのかなあ…」
ぺた。
ぺたぺた。
「普通と思いまちけど」
「デュラン、頭、固い?」
「…そういう意味で言ってんじゃねえ…」
すかさず両側から伸びてきた手に頭を叩かれて、思わず半眼になる。
体に関係する比喩表現は、この二人には通用しない。口にした途端に確認しようとするので、一体何度冷汗をかいたことか。この前の時など───やめよう、怖いこと思い出すのは───思い出しかけた恐怖の出来事を心の奥底に封印しなおして、デュランは仕切り直しとばかりに咳払いした。
「で、どうして急に字の練習を始めたんだ?」
「クリスマスでち」
急に変わった話題に疑問を持たないのか、シャルロットがにこにこして答えた。
「デュランしゃん、昨日言ったでちよ?クリスマスには、一度お休みしましょって!」
「ああ…」
そういえば、確かに言った。
このところ連続で神獣と戦い詰めだったし、闇の神獣の居所も定かではない。そこでフェアリーと相談の上、クリスマスくらいはきちんとした宿で休暇を取ろうと決めたのだ。
しかしそれが文字の練習とどうつながるのだろうか。
まだ事情の飲み込めないデュランに、シャルロットはちょっとじれったそうに続けた。
「クリスマスにはサンタしゃんが来るでち。でも、シャルロット、今年はウェンデルにいないでちから…サンタしゃんはシャルがどこにいるか分からないと思うんでちよ」
「サンタさん?そのひと、シャルに会いに来る、のか?」
不思議そうな声を上げたのはケヴィンだ。彼には、「サンタ」なる人物がどういう存在なのか分からないらしい。
「サンタしゃんは、子供たちにプレゼントをくれる人なんでち。女神さまのお使いでちよ?」
知らないの?と問われて、ケヴィンは首を捻る。
「サンタさん?知らない。クリスマスって、プレゼント、もらえるのか?」
「おりょ…?じゃあ、ウェンデルだけなんでちかね…」
シャルロットが救いを求めるようにデュランを見た。
「デュランしゃんは?デュランしゃんもプレゼントもらったこと、ないでちか?」
「ん…」
どう答えたものか迷いつつ、デュランは髪を掻き上げた。
「まあ、昔はな。俺はもう大人だから、プレゼントは無しなの」
「デュラン、大人なのか?大人には、サンタ、来ないのか?」
おいら達と二つしか違わないのに…そう言いつつケヴィンは、デュランの顔を見上げた。デュランは複雑な表情で、少年の黄金色の瞳を見返した。
「フォルセナでは、16歳で成人なんだよ。『帯剣の儀』って儀式をやってな、それで真剣を持ち歩けるようになるんだ」
「うひょー早いでちねえ。ウェンデルはハタチの『せーじんしき』でおとなになるんでちよ!おとなはプレゼントもらえないでちか…なんだか、かわいそうでちね」
それに曖昧な笑みで答えると、デュランはケヴィンを見た。ケヴィンはまだ考え込んでいる。
そろそろ出発した方がいいだろう。よいしょ、と立ち上がると、マントを肩当にきちんと留めつけた。
「さて、ぼつぼつ行くぞ。支度しちまいな」
「あ、はいでちー」
「分かった」
それぞれに返事を返して、ぱたぱたと動き始める。その様子を見ながら、デュランはそっと息をついた。
ハーフエルフなためか、口こそ達者だが外見は4、5歳にしか見えないシャルロット。
ハーフビーストで体格こそデュランに劣らないものの、言動がたどたどしく、どこか幼さを残すケヴィン。
どちらも同じ15歳だと言っても、信じるものが何人いるであろうか。
(まあ、外見はともかく、精神年齢は同じくらいのガキんちょにしか見えないけどな…)
旅を始めて既に一年近く。気が付けば、すっかり二人の保護者と化している自分がいる。
そのこと自体はあまり苦ではないが、時折複雑な気分に陥るのも事実であった。
支度を整えた二人と周囲を見回して、忘れ物がないか点検するとデュランは自分の荷物を担ぎ上げた。
「よっしゃ、行くぞ」
「おう」
「はいでちー」
ぞろぞろと歩き出しながら、彼はもう一度ケヴィンを見た。まだ何か考え込んでいる様子に、小さくため息をつく。
どうやら今夜は、サンタとプレゼントの関係について───何故大人にサンタが来ないのかも含めて───質問責めに遭いそうだと覚悟しながら。
数日後。
一行は、マイアに程近い空き地へとフラミーを着地させていた。先日の約束通り、クリスマス休暇を取るためである。
マイアを選んだのはさほど金のかからない町だからなのだが、適度に雑然としたこの町は一般庶民的なクリスマスを楽しむには良い場所と言えた。
「デュランしゃん」
マントの裾をくいくいと引っ張られて、フラミーからせっせと荷物を降ろしていたデュランは、ん?と視線を降ろした。腰の辺りでふわふわした金髪が揺れている。明るい水色の、大きな瞳が彼を見上げていた。
「どうした、シャル?」
「シャルたち、ちょっとあっちに行ってるでち」
小さくて白い指が差した先には、雑木林が広がっている。その脇には小道が通り、うっすらと影のように街並みが広がっているのが見えた。
なんで、と尋ねかけてデュラは慌てて口をつぐんだ。なんとなく理由がつかめたからだ。わざわざ尋ねて、「オトメの恥じらい」ハリセンチョップを受けるほど野暮ではない。
代わりに、視線をケヴィンに向ける。彼はよく理由のつかめてなさそうな表情で、フラミーから降ろしたシャルロットのリュックを抱えて二人を見つめていた。
「じゃあ、俺はここにいるから」
デュランは慌ててケヴィンの手からリュックを引ったくると、にっこり笑った。
「あまり奥まで行くんじゃないぞ」
「はいでち」
シャルロットもにっこり笑い返すと、まだ察していないらしい獣人の少年の手をとって歩き出した。
「え…な、なんでおいら…?」
「いいからさっさと来るんでち!」
ぐいぐい引っ張られながら遠ざかっていくケヴィンの声と、急かすようなシャルロットの声。
それを見送りながら、デュランは小さくため息をついた。
(素直にトイレだって言やぁいいのに、ちっこくても女ってのは面倒くせぇもんだな)
本人にそんなことを言ったら、たちまちハリセンが飛んでくるだろうが。
もう一度デュランはため息をつくと、地面に降ろした荷物を寄せようと腰をかがめた。と。
ぱすぱす。
「?」
不意に頭を軽く叩かれて、慌てて顔を上げる。
「フラミー?」
いつもならば、荷物を降ろすのを待ちかねたように飛び立っていくフラミー。
それが今日に限って、じっと佇んだまま彼を見下ろしている。心なしか、途方に暮れているように見えた。
「どうした?具合でも悪いのか?」
問いかけに、くるると喉を鳴らすと、フラミーは両手に握っていたものを彼の眼前で開いて見せた。
「…手紙?」
くるる、と再び喉を鳴らす。読んでみろ、ということなのか。
デュランはそっとそれを開くと、あ、と声を上げた。
果てしなく読みにくい(しかもところどころ綴りを間違えている)、しかし一生懸命綴られた言葉。
思わず振り返り、雑木林に目をやる。当分出てきそうにないことを確認して、もう一度文面に目を落とした。
『 さんたさんへ
しゃるろと うぇんでる ちがうます
くりすますは まいあ です
けび いっしょ じゅうじん でも よいこです
でゅらんん おとな でも よいこです
ぷれでんと ください
しゃるろと 』
「…」
しきりと綴りを尋ねてきたのは、このせいか。
デュランは三回ほど読み返して、元通りに閉じるとフラミーの手に戻した。当惑しきったフラミーは、救いをもとめるように彼を見つめている。
「お前、これをサンタに届けるように言付かったわけか」
くるる。
「で、どこに持ってけばいいかということなんだな?」
くるるるる。
頷くフラミーに、デュランは腕組して少し考え込んだ。それから、にっと笑みを浮かべる。
「じゃあな、こうしよう。その手紙をな…」
こそこそとフラミーの耳元で囁くと、ぽん、とその頭を撫でる。
「じゃ、頼んだぜ」
くっくるるる…。
悩みが晴れたか、フラミーは嬉しそうに一声鳴くと、晴れ晴れとした様子で空に舞い上がった。それを見送って、デュランはちらりと雑木林に目をやる。
よし、まだ戻ってこない。
今度こそ荷物を寄せて、手近な倒木に腰を下ろした。膝に肘を乗せ、頬杖をついて遠くを見やる。その藍色の瞳は、景色ではなく数日前の記憶を見つめていた。
(さて、どうしたものか)
毎年、「サンタさん」からのプレゼントを受け取っているシャルロット。
一度もプレゼントを受け取ったことのないケヴィン。
家庭環境が違うといえばそれまでかもしれないが、だったら一緒にいる今年くらいは何とかしてやりたい。
「…ふむ」
デュランが思いついたアイデアに一人ほくそえんだ時、ようやくケヴィンが出てくるのが見えたのだった。
話は少し戻って、雑木林に入った二人。
蛇だのモンスターだのがいないかをチェックして、ケヴィンはシャルロットを呼び寄せた。
「ケヴィンしゃん、ちょっと待ちんしゃい」
入れ替わりに出て行こうとしていたケヴィンは、不思議そうに振り返った。
「?」
「おトイレは単なる口実でち。デュランしゃんがうまくだまくらかされているうちに、ちゃっちゃと作戦を練るでちよ」
「さ、作戦?」
ケヴィンはよく飲み込めない様子で、シャルロットを見ている。シャルロットは得意満面の笑顔で頷いた。
「そーでち。『デュランしゃんへサンタしゃんからのクリスマスプレゼントをあげよう大作戦』でち!」
「デュランに?」
そういえば、デュランは大人なのでサンタが来ない、と言っていた。自分にも来たことはないが、配達圏外なのかもしれないと言われて納得してしまったケヴィンである。
「今年はきっと来るでちよ。マイアなら森の中ではないでちから、サンタしゃんも来れるはずでち」
「そうかな…」
「でも、デュランしゃんは大人だからきっと駄目でち。だから、シャルとケヴィンしゃんがデュランしゃんのサンタしゃんになってあげるでちよ」
「どうやって?」
普通に渡したのでは、「サンタさんから」にはならないだろう。そのくらいは彼にも分かる。
その疑問を予想していたのか、シャルロットは得たりとばかりににっこり笑った。
「デュランしゃんがおねんねした後、こっそり枕もととかにプレゼント置くんでち。きっとびっくりするでちよ!」
「眠った後…」
「サンタしゃんは、子供たちがおねんねしてる間にプレゼントを配るんでち」
ケヴィンはその様子を想像してみた。
安らかな寝息を立てているデュラン。
その枕元に、忍び足で近寄っていってプレゼントを置いていく自分たち。
翌朝自分たちの贈ったプレゼントを手に、あの特別な笑顔を浮かべているデュラン…。
(しかも、それを置いたのが自分たちだっていうことを、彼は全然気付いていないのだ!)
「やろう。それ、面白そう!」
次第にわくわくしてきて、ケヴィンは大きく頷いた。シャルロットが、よしとばかりに頷くと作戦の説明に移る。
「お宿についたら、早速プレゼントを買いに行くでち。もちろんデュランしゃんにはナイショでちよ!」
「う、うん。でも、何をあげたらいいんだろう…」
ケヴィンの問いに、シャルロットはにんまり笑った。
「それはもう、ばっちり考えてありまちよん。ともかく、買ってきたら、どこか見つからないところへ隠しておいて、デュランしゃんがおねんねするまで待つんでち」
「分かった」
全く同じ頃、デュランが同じような笑みを浮かべているとも知らずに、二人は顔を見合わせてにんまりと笑ったのだった。
マイアは、これでもかというくらいの賑わいをみせていた。
商店はもとより、一般住宅の庭先までもが布や紙で作った花や星、きらきらと輝く玉や人形で綺麗に飾り付けられ、通りかかる者たちの目を楽しませている。町の中央の広場に組まれた大きなやぐらは、色とりどりのリボンや花に彩られて、遠くから見るとまるで巨大なクリスマスツリーのようであった。そしてそれを取り巻くようにして、女神の降臨伝説を歌う吟遊詩人、剣でお手玉をする曲芸師、鮮やかな衣装をひらめかせて踊る踊子などが入れ替わり立ち替わり現れては、自慢の技を披露して拍手喝采(たまにブーイング)を浴びている。少しでも広い通りにはひしめきあうように出店が立ち並び、食べ物や小物を売る威勢の良い声が飛び交っていた。
弾けるような陽気な音楽と笑い声。町中に漂う食べ物の良い匂い。
「ほらよそ見してないで、行くぞ」
「う…うん」
「すごいでちねぇ…」
こういうクリスマスは初めてなのか、シャルロットとケヴィンは目を丸くして周囲を見回している。
「マイアは自由交易都市だから、特に賑やかなんだよ。明日のクリスマスは一晩中パーティだろうな」
「一晩中?!」
デュランの言葉に、ケヴィンは丸い目をさらに丸くした。
「なにせ女神の降臨祭だからな。賑やかに楽しくやってるところには、女神が遊びに来るって言われてる。だから明日は、もっと賑やかになるよ」
デュランは、そう言いながらシャルロットを抱え上げた。そしてケヴィンの手をとって歩き出す。
そうでもしないと人ごみに流されて、はぐれてしまいそうなのだ。
「ウェンデルでは、神殿でお祈りするんでちよ。女神さまが最初に降りるのが、光の神殿なんでちって。もちろんパーティもあるでちけど、ここまですごくないでち」
「へえ。…っと、にしても、本当にすごい人だなこりゃ…」
あちこちぶつかりそうになりながら、やれやれとため息をつく。
フォルセナは武術奨励の国なためか、ここまで馬鹿騒ぎをすることはない。
むしろ盛んに行われるのは武術の競技の類である。もちろん王城主催の華やかな舞踏会も催されるが、彼は行った事がなかった。
「まあ、自由都市ならではってことか…」
くい、と右手にひっかかりを覚えて、振り返る。視線の先では、手を引っぱられたままのケヴィンが曲芸に見入ってしまっていた。
「ケヴィン〜…」
「あ、あ!ゴメン!!」
慌てて振り返ったもののやはり気になるのか、ちらちらと視線がそっちへ向かってしまう。デュランは小さくため息をついた。
「宿に着いて荷物降ろしたら、好きなだけ見てきていいから。もうちょっと我慢してな?」
「う、うん」
「じゃあ、お宿へ急ぐでち!シャルも早く回りたいでちよ!!」
シャルロットの言葉に否やはない。デュランは再び人ごみの間を縫うように歩き出し、手を引かれたケヴィンも大人しく続いた。
宿は、町の中心から少し外れたところを選んだ。単にその一帯しか空きがなかったせいもあるが、料金の割になかなか小奇麗な内装の宿なので、三人は満足した。
「二人部屋と一人部屋に分かれるんだが、どうする?お前たち一緒の部屋でいいか?」
受付から鍵を受け取ったデュランは、二人を振り返った。
「デュラン、一人、さびしくないか?」
逆に問われてデュランは苦笑した。ひとまずは部屋の前まで移動してきて、ケヴィンに二人部屋の鍵を渡す。
「俺は今晩はちょいと夜更かし予定なの。お前らはサンタさんが来るんだから、早く寝ろよ」
「なんで?」
デュランの手から荷物を半分取り上げながら、ケヴィンが首を捻る。
「シャルに聞かなかったか?サンタは、寝ている子供のとこにしか来ないんだぞ」
そういえばそんなことを言われた気がする。ケヴィンはシャルロットを見下ろした。シャルロットもケヴィンを見上げている。
「じゃー、そうするでち。ケヴィンしゃん、行こ」
「う、うん」
「あ、そうだ」
部屋に入ろうとする二人に、言い忘れたとばかりにデュランが声をかける。彼は既に部屋の扉を閉めかけており、首だけを出していた。
「荷物置いたら、見物に行ってもいいぞ。ただ、暗くなる前に戻って来いよ。晩飯行くからな」
「はいでちー」
「わかった!」
「無駄遣いすんなよ」
元気の良い返事に、デュランはにこりと笑って扉を閉めた。
「むだづかいするななんて、デュランしゃんもシツレーな人でちね…。デュランしゃんのプレゼントはむだじゃないでちよう!」
中央広場へ続く道を辿りながら、シャルロットはそこにはいないデュランへ舌を出した。ケヴィンがなだめるように、シャルロットの頭を撫でる。
「急ごう、シャルロット。デュラン、暗くなる前に帰れ、言った。今、日暮れ早い」
「それもそうでちね」
「でも、何を買ったらいいんだろう?」
考え込むケヴィンに、シャルロットは余裕の笑みを浮かべた。
「んふっふー。それはばっちり考えてあるんでちよん」
「え?それ、なに?」
「防具でちよ。武器やさんで、デュランしゃんの防具をどーんと買ってあげるでち!」
それを聞いて、ケヴィンがぱっと顔を明るくした。武器こそ気をつけて買い換えているものの、防具はシャルロットやケヴィンの分を優先しているデュランである。きっと喜んでくれるに違いない。
「すごい、シャルロット、頭いい!」
「へへへ。そんなこともあるでちよん」
誉められて満更でもないらしい。シャルロットが得意げに胸を張った。
「そうと決まったら、武器やさんへレッツゴーでち!」
「うん!」
中心部に近づいたために、通りも次第に混雑してきている。ケヴィンはシャルロットを背負うと、武器防具の店へと向かった。
いつもは無骨な武器防具の店も、今日ばかりはリボンや花が飾られている。店先に置かれたディスプレイの鎧が、なんだか困っているようにも見えた。
「さて、ケヴィンしゃん。あんたしゃんのお金を出すでちよ」
言われてケヴィンはポケットから持ち金を引っ張り出した。シャルロットもアップリケのついた可愛い財布から、中身を全部出している。そして、手に乗せた自分の所持金を同時に見せあった。
「…」
「…」
シャルロットの手には、1ルク硬貨が三枚。
ケヴィンの手には、同じく1ルク硬貨が四枚。
顔を見合わせた後、再び手元に目を落とす。武器や防具が非常に高価な代物であることは、一応二人も知っている。パーティ全体の資金を前に、頭を抱えているデュランを何回も見かけているからだ。
「…買えるかな?」
「…ま、まあ、なんとかなりまちよ。うん」
不安そうなケヴィンに、それでもシャルロットは笑って頷いた。その笑いがやや引きつっているように見えたのは、ケヴィンの気のせいではないだろう。
そのぎこちない笑みのまま、シャルロットは店のドアノブに手をかけてもう一度言った。
「だーいじょうぶ、なんとかなりまちって!」
なんともならなかった。
十分後、二人は中央広場でぼんやりと曲芸を眺めていた。周囲の熱気に比べると、そこだけが妙に沈んで見える。
「ううう、あのオヤジ、あんなに笑うことないじゃないでちか!きぃぃ、くやしーでち!!」
シャルロットはよほど腹に据えかねているのか、まだ怒っている。それをなだめながら、ケヴィンは、でも、とため息をついた。
「ほんとに、プレゼント、どうしよう…」
「うーん…」
その言葉に、シャルロットもがくっと肩を落とす。
そうなのだ。もう太陽が沈みかけている。一時間としない内に暗くなってしまうだろう。早くプレゼントを決めて宿に戻らなくては、暗くなる前に帰るという約束を破ってしまう。
しかし、何を買えばいいのか。二人の所持金は7ルクしかない。それではろくなものが買えないのだということは、さっきの件で学習済みだ。かといって、貯めている時間はない。プレゼントを贈るのは、今夜なのだから。
「…シャルロット、ここにいる、なにも進まない。少し、回ろう?」
「…そうでちね」
底抜けに明るい音楽も、二人の耳にはよく入ってこない。人ごみにもまれながら、出店を覗いて歩く。
小物を扱っている店で立ち止まっては、二人で顔を見合わせる。ちょっと良いものを見つけては、値段を訊いてみる。そんなことがしばらく続いた。
「ケヴィンしゃん、お店がなくなってきちゃいまちた…」
気が付けば、もう店はまばらになってきている。町の反対側に出てしまったようだ。
周囲も薄暗くなってきていて、篝火に火が入れられていくのが見えた。
「どうしよう…」
そろそろ戻らねば、真っ暗になってしまう。途方に暮れた顔を見合わせ、来た道を振り返る。
「あんなにいろんなものがあるのに、シャルたちの欲しいものってないんでちね…」
シャルロットがため息をついて言った。
「まるで幸せのトビラみたいでち」
「幸せのトビラ?」
耳慣れない言葉に、ケヴィンは首を傾げた。シャルロットは篝火の点った通りを眺めたまま、うん、と頷く。
「クリスマスは、マナの女神しゃんが降りてきまち。そのときにね、『世界でいちばん幸せな場所』のトビラが開くんでち。でも、あんまりたくさんトビラがあって、ちゃんとわかる人にしか、わからないんでちって。ずーっと前に、おじいちゃんが言ってたでち」
「世界でイチバン、幸せな場所…」
呟いて、ケヴィンは空を見上げた。
一体どんな所なのだろう。そこでは、皆幸せに暮らしているんだろうか。
(でも、幸せって、どんなことなんだろう…)
ケヴィンが黙り込んだのをどう思ったのか、シャルロットは、さて、と両手を打ち鳴らした。
デュランが二人の注意を向けたい時に、よくやってみせる仕草である。彼女としては気分を変えたかったのだろうが。
「ここでこうしててもダメでちね。あそこにもお店がありまちから、あそこで決めるでちよ!」
「そうだね」
どのみち、もう時間はない。あそこで見つからなければ、諦めて宿に戻るしかないのだ。
二人は店先に駆け寄って、売り物を覗き込んだ。
「…デュランしゃん、こういうの好きだと思いまちか?」
「うーん…」
シャルロットの問いに、ケヴィンは唸り声で応じた。あまり食べている姿を見たことがない。
そう。そこは色とりどりのお菓子が所狭しと並べられた、キャンディーショップだった。
「おやおや、可愛いお客さんだね。何が欲しいんだい?」
声に顔を上げると、カウンターの中ではお婆さんがにこにこと笑っている。シャルロットとケヴィンは顔を見合わせた後、おずおずとお金を差し出した。
「デュランしゃんに、プレゼントをあげたいんでち」
「それで、なにか買える?」
お婆さんは、渡された7ルクと二人の顔を見比べた後、ちょっと首を傾げた。
「デュランっていうのは、あんたたちのお兄さんかい?」
「まあ…そんなもんでち」
シャルロットの曖昧な答えをどう思ったのか、お婆さんは少し考え込んだ後、カウンターの右端に置いたガラス瓶へ手を伸ばした。中には、黄金色に焼き上げられたクッキーが入っている。一枚を引っ張り出すと、二人へ見せる。珍しい星の形のクッキーは、大きさも普通のクッキーよりずっと大きくて、シャルロットの掌くらいあった。
「この星型のクッキーはどうかねえ。あまり甘くないし、クリスマスにしか作らないんだよ」
ケヴィンはその瓶に貼り付けられた紙に目をやった。
『10枚15ルク』
「え、そ…それ…」
先ほど、同じように15ルクと書かれたものが買えなかった。二人のお金はその半分にも満たない。
それを思い出して慌てる彼を尻目に、シャルロットがすかさず頷いていた。
「じゃあ、それにしてくだしゃい」
「はいはい」
お婆さんはにっこり笑うと、クッキーを10枚引っ張り出した。
「そうそう、プレゼントなんだったね」
そう言って、奥からきれいな袋とリボンを取ってくる。あっというまに可愛らしく包装すると、ケヴィンの方へ差し出した。
「はい出来た。割れやすいから、気をつけて持ってお行き」
「あ、あの…」
もじもじしているケヴィンに、お婆さんは軽く片目をつぶってみせた。
「私からのプレゼントだよ、今日はクリスマスだからね。お兄さんが喜んでくれるといいね」
「あ、ありがとう!」
包みを受け取って、にっこり笑う。それを見て、お婆さんもにっこり笑った。
シャルロットもなんとなく察したらしい。にこにこしてお礼を言うと、僧侶らしく祝福の印を切った。
「お婆しゃんに、幸せのトビラが開きまちように!」
「ありがとう、気をつけてお帰り」
お婆さんに手を振って、二人は大急ぎで来た道を戻り始めた。
中心部から離れてしまったせいか、あるいは太陽がすっかり沈んでしまったせいか。通りはとても寒かった。白い息がお互いの頬を彩っては流れていく。冷たい風に逆らうように盛大に焚かれた篝火も、寒さまでは追い払えない。
それでも、ケヴィンの胸の底はほんわりと温かかった。腕に抱えた包みから、なんともいえない温みが伝わってくるような気さえした。
「デュランしゃん、喜んでくれまちかね」
「きっと」
少し不安げなシャルロットの言葉に、ケヴィンは大きく頷いてにこりと笑った。
プレゼントを贈るのは、サンタであって二人ではない。だから、お婆さんの好意も彼には話せない。
けれど、きっとデュランならこの温もりに気が付いてくれる。ケヴィンはそう信じていた。
ケヴィンの答えを聞いて安心したのか、シャルロットも笑顔を浮かべる。
と、はっと我に返ったように周囲を見回した。
「ま、まずいでち!もう真っ暗でちよ!!」
もう、互いの顔も定かでないほど暗くなってしまっている。宿ではデュランがやきもきしていることだろう。
「また心配かけちゃう!」
「シャルロット、これ持ってて」
ケヴィンは包みを手渡すと、背中に彼女を背負い上げた。そうしてできるだけ速足で歩き出す。本当は走り出したかったが、この人ごみでは無理だった。
「本当に夜でも賑やかでちねえ」
いつもならば、この位の時間にはほとんど誰もいない。ところが今日は、むしろ昼より多い気がする。
「シャルロット、それ、どこに隠そう」
ケヴィンは一際明るく照らされた広場を小走りに抜けながら、シャルロットに問い掛けた。
「きっとデュラン、戸口にいるぞ」
「うーん…」
ケヴィンの言う通り、ここまで真っ暗になってしまってはデュランのことだ、戸口で二人を待っているに違いない。怒られるのはもう仕方がないとしても、そこまでして買ったプレゼントが見つかってしまっては、あまりにも報われない。
「ケヴィンしゃんが怒られてる間に、シャルが部屋に隠しにいくっていうのは、ダメでちか?」
「えーッ!おいら、怒られるの?!」
「どっちかがデュランしゃんの気を引かないと、ダメなんでち。シャルは小さいから、目立たないもん」
それはそうなのだが。どうもそういう展開になる回数が、微妙に多い気がしているケヴィンである。
とはいえ、他に上手い手はなさそうだ。
「うー…分かった。おいら、怒られる」
渋々ケヴィンが頷いた時、ようやく宿の明かりが見えた。
案の定、デュランは戸口の外にいた。吐く息が、篝火に照らされて淡く輝いているのが見える。
ただ、宿の入り口に向かっているのか、二人のいる通りには背を向けていた。
「デュラン」
呼びかけに、ふっと振り返る。ため息をついたのか、二人を見つけた彼の口元から大量の白い息が漏れた。
まるで炎を吐いているようにも見えて、二人は思わず足を止めた。
「デュラン…」
「そ…その、ただいまでち…」
「…」
無言で見返すその姿に、二人はしゅん、と縮こまった。
「その…遅くなって、ごめん」
「ごめんちゃいでちー」
かちゃり、と扉の開く音に顔を上げる。デュランが扉を少し開けて二人を待っていた。
「なにやってんだ、早く入れよ」
明かりに照らされたその顔は、はにかむように少し笑っている。特別怒っている様子もない。
「…?」
一瞬不思議そうに顔を見合わせた後、二人は転がるようにデュランの後に続いた。
不思議ではあったが、二人だって別に怒られたいわけではない。部屋に戻る時にちょっとおでこを小突かれはしたが、それは仕方がないだろう。
とにかくデュランの目に触れる前に、プレゼントを隠してしまわなくてはならない。
ケヴィンもシャルロットもそのことで頭が一杯で、デュランの様子にまでは気が回らなかったのだった。
「やれやれ、危ないところだった…」
二人が大慌てでプレゼントの隠し場所を吟味している頃、デュランもまた部屋の扉の前で安堵のため息をついていた。そして、ぴったり前を合わせたマントの中から、抱えていた荷物をベッドに降ろす。
そう、彼は戸口で二人を待っていたのではない。彼もまた、今帰ってきたところだったのだ。
二人が出て行った後、デュランも買い物に出かけた。あれにしようか、それともこれに、と迷いに迷って二人へのプレゼントを探し回り、ようやく納得のいくものが買えたのは篝火が灯される頃。
すっかり遅くなってしまって、大慌てで戻ってきたところを二人に見つかった、とこういう訳だ。
「さて、どこに隠しとこうかな…」
クロゼットの中やら、ベッドの下やら覗き込むと、ごそごそと荷物を押し込んで、デュランはにんまりと笑った。
「あいつら、喜ぶといいけどな」
そして、よいしょと立ち上がると部屋を出て行った。
頭の中を、夕食を何処でとるかとか、ケーキは明日の方がいいかなとか、そういう「重要な問題」で一杯にしながら。
とにもかくにも、後は深夜を待つばかり。
それぞれの思惑を秘めて、クリスマス・イブは夜を迎える。
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