「――――おい、……おい、ロディ!」
いきなり頭をはたかれて、ロディは我に返った。目の前に、ザックのひどいしかめっ面がある。
きょろきょろとあたりを見渡して、ようやくロディは現状を思い出した。ここは、アーデルハイドの街を見下ろす丘の上。赤茶けた岩の真下には、ファルガイアでは数少ない大森林地帯が広がっている。この森の豊かさが、大戦のあとに広がりつつある荒野の中で、アーデルハイドと周辺の村々の民を生かし続けてきたのだ。
それにしても、ザックたちは何の話をしたんだろう。考え込んでいると、容赦の無い手がもう一度飛んできた。
「何をぼんやりしてやがる! お前、また、俺たちの話を聞いてなかったな!?」
そのとおりだったのでロディは、顔を赤くして、頭をさすりつつ、ごにょごにょと口の中で言い訳のようなものをつぶやいた。
「私たち、これからどこに行こうかって話していたんですよ」
にっこり笑ってセシリアが助け舟を出してくれる。そういえば、とロディは思った。じいちゃんのことを思い出しているさなかに、そんな会話を漏れ聞いたような気がする。
「でも、なかなか決まんなくてさ。ロディはどう? どっか行きたいところがある?」
ザックの肩の上からハンペンが聞いてくる。
「お――――俺?」
へどもどと聞き返した。ひどく疑わしげな目をしたザックが、じいっとこっちを睨んでいる。ともかく、何か答えなくては、と思った。そうでないと、またザックに叱られてしまう。
「ええと、ええと、俺――――」
まだ回想の余韻の中にいたロディは、何をどう答えればいいのか思いつかなくて、あたふたと左右を見た。厳しい顔のザック、その肩にちょこんと乗っかったハンペン、小首をかしげてロディの答えを待っているセシリア。
「え、ええと、ええと――――」
必死で頭をふりしぼったあげくに、不意に明るい顔になり、そうだ、とロディは手を打った。
「俺、ザックとセシリアが行きたいところに行きたい!」
胸を張ってロディは、万面の笑顔で答えた。にこにことしている少年を仏頂面で見下ろしていたザックは、その頭を、無言ではたいた。
「馬鹿かお前は!」
怒鳴り声が響き、ロディは頭をかかえ、首をすくめた。
「この野郎、本気で俺たちの話を聞いてなかったな!? 大事な話をしてたってえのに、どうしてお前はこんなにぼんやり坊主なんだ!」
不満そうに頭をさすりながら、ロディはザックを見上げた。だって、本当に行きたい場所など無いのだ。これまでどおり二人が歩いて行く先に、一緒についていきたいだけなのだから。
「……あきらめなよ、ザック」
ため息まじりにハンペンが言った。
「希望のガーディアンロードをよみがえらせようと、魔族との戦いに勝利しようと、ロディはロディだもの。そうそう簡単に性格が変わるわけはないってことさ。ましてやオイラたちがロディに会ってから、まだ半年しかたってないじゃないか」
「まあ、それだけしか経っていないんですの?」
口に手を当て、しみじみとセシリアが言った。
「もうずうっと、一緒に旅をしているような気がしますのにねえ」
「……姫さん、頼むから、あさっての方向に話を持っていかねえでくれ」
疲れた声でさえぎり、ザックは肩を落とした。
「こんなしょうもねえ言い合いが一生続きそうな気がするのは、俺の気のせいか……?」
「さあねえ」
他人事のような顔で撫でていたひげを、ハンペンは、ぴんとはじいた。
「でもまあ、子供はいつか成長するものだし、いくらのんびりやのロディだって、五年もすれば二十だもの。たぶん今よりは、大人になってると思うよ。それまでの間、年長者の義務として親代わりをやってればいいんじゃないの?」
「ザックがロディのお父さんなんですか? すると、十二のときの子供ということになりますわね」
のんきそうにセシリアが言った。ザックの喉がぐっと鳴ったが、はた目にもわかる自制心を持って耐えた。
「……ともかく話を戻そう。これからどこへ行く?」
あらためて問われ、ロディとセシリアは、顔を見合わせた。
「王位をかなぐりすてて来ちまうくらいだ。姫さんは、何か当てがあるんじゃないか?」
「私ですか?」
きょとんと目を丸くしたセシリアが、頭上に目線を上げて考え込んだ。
「そう言われましても……、何はともあれ皆さんに追いつかなくちゃって、それしか考えていませんでしたもの。ザックは? 長いこと旅をしておられるんですから、きっと良い考えがおありでしょう?」
「当てがあったらみんなに聞くわけがないじゃないか」
肩をすくめ、揶揄するようにハンペンが首を振った。
「ザックのことだもの、ロディやセシリアがどう考えてるか――――なんて気遣いもしないで、どんどん歩いてっちゃうよ」
「ああ、それもそうですね」
納得したように、ぽん、とセシリアが手をあわせた。ザックはしかめっ面で、太平楽な笑顔をうかべたセシリアをじろりと睨んだ。
「……二人で言いたい放題言い合ってんじゃねえよ。ともかく、誰も当てはないってことだな? そんじゃ、どうする? コインで行き先を決めるか?」
「待ってくださいな、ザック。今だったら、ロディに何か良い考えがあるかもしれませんわ」
くるりとこちらを振り向いて、セシリアが笑顔になった。
「ロディ、本当に行きたいところはないんですか? たとえば、ゼペットさんと暮らした小屋は? 巨人のオカリナを取りに行って以来、一度も戻ってないでしょう? マクダレンさんが教えてくださったんですけれど、ああいう建物はときどき手を入れなければ、老朽化が進んで住めなくなってしまうそうですよ」
おじいちゃんの庵?
ロディはきょとんと、目を丸くした。
「それからゼペットさんのお墓はどうです? たまには墓参した方が、おじいさまもお喜びになるじゃありませんか?」
お墓参り?
じいちゃんの?
そんなこと、思いもつかなかった。行った方がいいのだろうか?
「ああ、そういうのもあったな」
ザックが考え込んだ。
「どうせあてがあるわけじゃなし、とりあえずロディのじいさんに一言挨拶してくるってのもいいかもな。そうするか?」
「うん……」
もごもごとロディは口ごもった。セシリアが、首をかしげる。
「行きたくない……のではなさそうですね。どうしたんですか、ロディ?」
「もしかして、場所を忘れちゃった?」
セシリアとハンペンが聞いてくる。ロディは、あわてて首を振った。
「ちゃんと、覚えてるけど。でも、ここから結構遠いし……」
「別にかまわねえよ。急ぎの旅じゃねえんだから」
あっさりと肩をすくめ、ザックが、少しばかり気遣わしげな顔になった。
「それとも、やっぱり行きたくねえのか?」
「う――――ううん。そうじゃなくって……」
悲しい思い出がいっぱいつまった土地だから、行くのがつらくないと言えば嘘になる。だからきっと、今まで一度もじいちゃんの墓に足を運ばなかったのだろう。そう思うと、自分が情けなかった。あんなに大好きでやさしかったじいちゃんに、墓参りひとつしてあげなかったなんて。
「……じいちゃん、俺が行かないから、淋しかったかなって、そう思って……」
「ロディ! それは料簡ちがいというものだと思います!」
きっとした口調で、セシリアが遮った。
「たとえお墓参りをしなくても、ロディはいつだって、おじいさまのことを想ってらしたじゃありませんか。おじいさまはきっと、その気持ちだけで十分だって思ってらっしゃいますよ!」
「……墓参りをした方が良いって言いだしたのは、姫さんだったよな」
呆れたように口をはさんだザックが、ま、いいか、と言った。
「何はともあれ、お前に異存が無いなら行ってみようぜ。どうせどこだって、モンスターがいてトラブルがあるってのに変わりはねえんだ」
「そのお墓ってさ。もしかして、人里から離れてる? 前に、空に一番近い場所に埋めてあげたって言ってたよね。山の上とか、そういうところ?」
「山って言うか――――ええと、村の墓地があって、そのすぐそばに、岩山があって、そこの崖の上」
ハンペンに聞かれて、ロディはおじいちゃんを埋めた場所を思い浮かべた。たしかに、人里からはちょっと離れていると思う。でもしかたがなかったのだ。よそものを村の墓に埋めてはいけないと、言われてしまったのだから。
「もしもさ、この先お墓参りをもっとできるようにしたいって思ってるなら、どっかロディが行きやすい場所に葬り直したら? たとえば、アーデルハイドの墓地とかさ。そしたらしょっちゅう行けるじゃないか」
「まあ! それって名案ですわ! そうしたら、私たちもいつだって行けますものね!」
「こっちまで遺骨を持ってくるのかよ? そしたら、その墓にたどりつくまえに箱か壷でも用意した方がいいかもな」
――――アーデルハイドの墓地?
ロディがぽかんとしている間に、どんど話が進んでしまう。目を丸くして聞いていたロディは、ふと、崖の向こうに広がる緑を見た。
遠くにかすむ紫色の山並み。
アーデルハイドの街と、生気にあふれた森が一望できる。
頭上には青い空が広がり――――。
……遠くに見はるかす地平線から、背後にうずくまる森まで、空がどこまでも果てしなく続いている……。
じいちゃんの声が、ふとよみがえった。
あのなつかしい丘。
じいちゃんが、大好きだと言っていたところ。
「……あの……」
ゼペットの遺骨を入れるにふさわしい容器について、あれこれと言い合っていたセシリアたちは、おずおずと声をかけたロディを振り返った。
「何だ?」
「何?」
「どうかしましたか?」
口々に聞かれて、ロディは思わずうつむき、もじもじと手をこすった。無口なたちなので、物事を説明するのは大の苦手なのだ。
「……俺、あそこがいい――――と思う」
「あそこ?」
「何の話だ?」
いぶかしげにハンペンとザックが聞き返す。セシリアが、目を丸くしてロディを見つめた。
「……じいちゃんの、新しいお墓。ここもいいかなって思ったんだけど、でも、じいちゃんは、庵のそばの丘の上が大好きだったんだ。そこから見る空が、一番好きだって。じいちゃん、いつか鳥みたいに飛びたいって、よく言ってた。だから、街とかよりも、空がたくさん見えるところの方が……」
「あ、なるほどね」
「そうですわね。おじいさまのお好きだった場所なら、遺志にもかなうと思いますわ。それに、あの庵はたしかに人里離れていますけれど、とってもきれいな場所だったですものね」
ぽん、とセシリアが手をあわせた。
「良いアイディアだと思いますわ! それじゃ、さっそく行きましょう!」
言うなり、くるりときびすを返して歩きだす。はずむような足取りで行ってしまうセシリアの背中を、ロディたちは呆気にとられて見つめるだけだった。
「……“お墓のありかを聞いてないのを思い出して、こっちに戻ってくる”に、今日の昼飯」
ザックが、ぼそりとつぶやいた。
「“それを思い出すのが三日後”に、昼飯プラス晩飯」
すかさず、ハンペンが返した。
追いかけないのかな、と、すたすた遠ざかっていくセシリアの背中と、しかめっ面をしたザックたちとを心配そうに見比べていたロディは、迷ったあげくに駆け出した。
「セシリア!」
走りながら呼びかける。金色の髪をふわりとひるがえし、セシリアが振り向いた。
その笑顔の向こうに輝く、青い空。
胸一杯に幸福を味わいながら、ロディは一心に駆けていった。
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